GO!GO!ニッポン!『GO』金城一紀

P1010272お腹を壊した。子供の頃からずっとお腹の弱かった私には、良くあることだが、今回はひどい。2日間下痢が続いた。会社を休んだ。何も食べずにぼーっと過ごす。体重が3kg減った。名付けて・・・下痢ダイエット。余り楽しくない減量法。お勧めはしない。そして、WBC準決勝「日本VS韓国」の映像を何度も、何度も観た。読みかけの金城一紀『GO』を完読した。いろんなことを考えた。お腹に力が入らないので、思考は散漫だったけれど。

WBCの報道の中で何度も聞いたイチローの発言に、ざらっとしたものを感じた。勝利に向けてチームを鼓舞する意図ではあろうが、違和感を感じた。彼は意識してはいないのだろうが、韓国に対する優性的な感覚や、無自覚な差別。直接そんな教育を受けたわけではないのに、いや、逆に正しく教育を受けていないために持ってしまう潜在的な意識。「単一民族」」とか、「万世一系」とか、戦前の教育を受けた世代に染み込んだ誤解が、この国の地下水脈を汚染し、今の世代までに伝わってしまっている。なぜ在日コリアが「外国人登録証」を持たなければいけないのか、“国”とは何か?“国籍”とは何か?“民族”とは何か?“人種”とは何か?

無意識、無自覚なための、あるいは知ろうとしない事による罪がある。『GO』の爽やかな読後感と共に、そんな思いが残る。学校で教育を受けなくても、今の日本では知ろうと思えば“知る”ことはできる。自分の祖母のルーツを知って“韓国”を意識した鷺沢萠『ケナリも花、サクラも花』、自らの大陸の血を自覚した伊集院静『海峡』三部作、従軍慰安婦への思いを記憶の奥に閉じ込めた父の描写が印象的な村山由佳『星々の舟』、在日の美しい少女への思慕を明るく描く、井筒和幸監督作品『パッチギ!』等など、文学・映像作品を通じて、日本(人)のやってきた事、やってこなかった事を知ることができる。

類似嫌悪、近親嫌悪に近い感情を、この隣国同士で抱いている現実。皮は黄色なのに実は白いバナナと例えられるように、自分達以外の黄色人種を卑下し、白色人種にコンプレックスを持ち続けた、明治維新以後の日本文化の志向性が根底にある。私の中途半端な知識と記載では誤解を受けてしまう深い問題ではある。でも、知ろうとすることは大事。知った上で好き嫌いを判断したい。そして、良い意味でライバルでありたい。ところで、今日は「日本VSキューバ」の決勝戦。せいぜい高校野球で地元の高校を応援する程度の(?)ナショナリズムを発揮しよう!・・・あれれっ!?今日は“落ち”がない!

Comments are closed.

002146175

SINCE 1.May 2005