キャッチボール「伊集院静の短編集」

Photo_135新刊の文庫が発売されると、中身を見ずに買う作家が何人かいる。ハードカバーを買うことは一部の例外を除いて禁止されている我家では、文庫とは言え“特待生”扱い。ちなみにハードカバー購入が無条件で許されているのは、村上春樹とロバート・B・パーカーの二人だけ。そして、文庫になった時点で無条件に購入する日本人の作家は、浅田次郎、石田衣良、江國香織、奥田英朗、景山民夫、鷺沢萠、重松清、椎名誠、中島らも、山田詠美、阿川佐和子、そして伊集院静。3人の故人を除けば、僅か9人。やっと野球のチームができる人数。私にとってのベストナイン。そして、さしずめ亡くなった3人は殿堂入りか。

Photo_136伊集院静は、そのいくつかの著作で繰り返し書いているように、立教大学の在学途中まで野球を続けていた。野球をテーマに、あるいは背景にした小説やエッセイも多い。そしてこの春、“野球”をベースにした文庫の企画本が出版された。カバー装画の井筒啓之さんのイラスト、カバーデザイン(伊集院さんの友人でもある)長友啓典さんによる装丁も爽やかで、つい手にとってしまいたくなる。「ぼくのボールが君に届けば」「駅までの道をおしえて」「坂の上のμ」「受け月」そして、「野球で学んだこと ヒデキ君に教わったこと」の5冊。

Photo_137伊集院静の作品は、読んでいると背筋が伸び、読後にきっぱりとした気持にさせてくれるものが多い。浮かんでくるイメージは、鎌倉や京都に残るきちんと掃除が行き届いた日本家屋にある床の間。季節の移り変わりをはっきりと意識させる場所。静謐な世界で時間が静かに穏やかに流れて行く。世の中では<無頼派作家>と呼ばれているが、筆致には品があり、細やかな心情が描かれる作品は、ひとつの物語ごとにちょっと嬉しく、淋しく、時にもの悲しい余韻を残す。この5冊も、読みきった後に満足感が拡がると同時に、黄昏時に感じる僅かな人恋しさが湧き上がる。彼の投げたボールが、きちんと届いた。

Photo_1385冊と書いたが、小説としては4冊。残り1冊「ヒデキ君に教わったこと」は、松井秀喜選手のヤンキースでの活躍を追ったエッセイ集。青い空と緑の芝生が印象的な美しい写真も多数掲載されている。そして、このエッセイ集の中にも、短編集のいくつかにも、キャッチボールの描写がある。例えば、こうだ。「最初柔らかなボールを相手の胸元に投げ、相手も同じように投げ返して、そうして少しづつ離れていって速くて強いボールを投げる。一方的に相手が受け取れないボールを投げるのはキャッチボールではない」・・・伊集院静は、人と人との関りを、作者と読者の関係をキャッチボールのように描いているのかもしれない。「上手くボールが投げられないから、キャッチボールって苦手なんだよねぇ」妻が零す。お互いに暴投もあるけれど、暴投のボールを拾いに行くのは、投げた方ではなくボールを受け損ねた方。それがキャッチボール。そんな関係を続けていくのも面白い。

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