故郷の母逝く「永眠の朝」

P1040775_3なんとか間に合ったという気持と、間に合わなかったという気持が錯綜した。過日、ある覚悟をして故郷の母を見舞った。普段は離れて住む兄弟を集め、家族全員の写真を撮るのが目的だった。母は驚き、同時に喜んでいた。どうして皆こんなに集まっているのか、何があったのかと。そして、病床から、しっかりとした視線でカメラを見つめた。温かく、良い写真になった。大きく引き伸ばした写真を弟に託した。母のベッドサイドに飾って欲しかった。皆がいつも一緒にいられない分、せめて写真だけでもと。

その母が逝った。痩せて体力がなくなった母は、眠るように亡くなったという。誰にも最期を看取らせてもくれず、独りのベッドで。でも、苦しんだ病気のせいではなく、安らかに逝ったことを感謝したい。その分、それまでに母は充分苦しみ、母は充分頑張った。そして何度も何度も危険な状態から復活した。母をフェニックスと呼ぼうかと、最後になってしまったお見舞の病室で冗談を言った程に。でも、永遠の生命はあるはずもなく。

まだ母の死に現実感はなく、母の“不在”は存在しない。母はまだこの写真の真ん中で、私の記憶の中で、確実に存在する。そして、その世界の中であれば、永遠に存在し続けられる。山田詠美の『PAY DAY!!!』に、忘れられない場面がある。9.11で亡くなった母について、父が双子の姉弟に語るセリフ。「これから、二人に言っておきたいことがある。どうか、おまえたちの母親について語ることを止めないでくれ。心で思うだけではなく、何かにつけて、二人で彼女のことを話して確認して欲しい。自分たちの母親が、彼女であるってことを。そして、彼女から何を受け継いで来たかということを。言葉にして行かないと、記憶は風化する。忘れられた人は、それこそ、ほんとうに死んでしまう」

母を語って来ようと思う。母の、若く、父を愛し、徒競走ではいつも一番で、元気な若枝のようだった頃の話を、何度でも父に尋ねよう。生け花の先生をしながら野の花を愛で、山を歩き、仲間と熱く語った頃の話を、父に聞かせてもらおう。それぞれがどれだけ心配を掛け、怒らせ、悩ませたかを兄弟で競い合おう。私の知っている母と、知らなかった母のことを、たっぷりと言葉にして、皆で語って来よう。最期になった写真の記憶と共に。彼女をほんとうに死なせないように。

2つのコメントがあります。

  1. 猫姫日記


    こんな時に、
    もっと言葉を知っていればと。。。

    ご冥福をお祈りします。

  2. IGA


    猫姫さま、コメントありがとうございます。
    覚悟をしていたことなのに、まだ現実感がなく、
    遠く離れていたこともあり、喪失感も湧いてきません。
    そんな気持でいるのは悪い感じでもありません。
    母は、きっとこの先もずっと淡く優しい形で
    私の中に存在しているんだと思います。

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