銀座のかに、銀座の矜持「銀座らん月」

銀座らん月便局の年末臨時スタッフ、日中友好の非営利団体事務局、ホテルのルームキーパー、コンサート会場のスタッフ、神社の祭礼スタッフ、英会話スクールの教材作り、花屋の休日店長、飲食店のサービス係…。学生時代、数えきれない程のアルバイトを経験した。中でも飲食店のサービス係としては、神田の寿司屋、お茶の水の中華料理店、赤坂のホテルのパブ、青山のオムレツ専門店、銀座のステーキ専門店、ホテル宴会場、そして「銀座らん月」の店内案内係と数多くの店で働いた。大学とアテネ・フランセのダブル・スクール生活。その講義の合間を縫って効率的に働くことが前提。時給が高いことを条件に探した結果、アルバイト先は有名店、老舗の高級店が多くなった。それぞれが記憶に残る店だったけれど、昭和22年創業、銀座の老舗「銀座らん月」での仕事は特に印象的だった。

蟹刺し人暮らしの身に取っては各店の「まかない」も魅力的。デートやサークルの宴会で使わせていただき、サービスしていただくこともあった。銀座らん月でも一度だけ「追い出しコンパ」で利用させていただいた。カニミソ、カニ刺し、カニの姿焼き、カニしゃぶなどのカニ尽くし。学生たちの乏しい予算以上の料理を出していただいた。当時の学生にとっては“超”が付くゼータクな宴会。普段は厳しい板さん、サービス係の上司、着物姿のお姉さんたち、地下にある利酒処「酒の穴」を預かる主のような強面のベテランスタッフが次々に顔を出してくれた。それぞれが「旨かったか?」「酒は足りてるか?」などと幹事だった私に声を掛けてくれた。優しく家庭的で、けれど仕事には厳しい、実に良い職場だった。上司の社員に連れられ、銀座の裏通りにある居酒屋に通った。六本木のステーキ屋でご馳走になった。

焼きしゃぶの冬、ズワイガニ不漁のニュース。「ふぅ〜ん。でも私はタラバの方が好きなんだよねぇ。それって、ほんとに美味しいズワイガニを食べていないってこと?」と挑戦的な妻。ようしっ、美味しいズワイを食べに行こうじゃないか。ある週末、芝居の後に銀座に向かった。目指すは「銀座らん月」だ。卒業後、ランチは何度か訪れたことがあったけれど、夜に訪れるのは初めて。「いらっしゃいませ」。銀座通り側の入口を入ると店内案内係のスタッフから声がかかる。かつての私だ。入口後ろの壁には、黒光りする歓迎看板に白い文字で予約のお客さまの名前が並ぶ。毎日丁寧に予約名を書き込んでいたかつての店長を思い出す。清潔で上品な佇まいは当時のままだ。

カニアシニを食べたいと伝えると2階に通されたお気楽夫婦。まだ時間も早く、店内には客もまばら。ゆったりとメニューを眺める。30年前と値段は大きく変わっていない(気がする)。当時はどんな人がこんなゼータクな食事をするのだろうと思ったメニューが、今自分の目の前にある。手頃とは言わないけれど、リーズナブルなお値段。当時はメニューになかった「かに焼きしゃぶ」のコースをオーダー。酒が飲めない妻の大好物、カニ味噌からスタート。「うん、やっぱり冬はこれだね♪」と妻。続いてカニ刺し。「すっごい、甘ぁい♪」とろりとした舌触りが堪らない。そしてメインのカニ焼きしゃぶ。牛脂を乗せた鉄鍋で、生のカニをさっと焼いて食べる。カニの身の表面がうっすら赤みがかかったところを、一気にぱくり。ふぅわりと上品な香りが鼻腔に抜け、同時に生とはまた違った甘さが口に広がる。絶品。

銀座百点味しかったぁ。さすがだねぇ。これだったんだねぇ、ズワイの味って…」銀座のカニを堪能し、満足げな妻。時間が経つにつれ中国人観光客などで賑わい出した店内。着物姿のお姉さんたちが慌ただしく店内を行き来する。それでもお気楽夫婦の席にもきちんと目が行き届いている。おしぼりが差し替えられ、デザートが運ばれる。接客の所作が小気味良く、心地良い。決して深くは踏み込まないけれど、すっと会話に入ってくるタイミングが絶妙。大人の店だ。良き銀座の空気を纏い、銀座の老舗の矜持をきちんと残している店だ。マクドナルドの日本1号店は銀座。国際的ブランドショップの旗艦店が目立とうが、ファストファッションの店が増えようが、新しいモノを受け入れつつ、古いモノも守る、そのバランスを保っていられる間は、銀座は銀座だ。こんな店が頑張っていられる間は、銀座も健在だ。

座百店会の加盟店でもある銀座らん月。1955年に創刊された情報誌「銀座百点」は通巻663号を数える。店置きの冊子を久しぶりに手に取り読んでみる。著名人の連載や広告ページからも、銀座の香りが漂う。銀座の矜持が溢れる。良い雑誌だ。ところで、お気楽夫婦は、この街を訪れるのに相応しい大人になったのだろうか。「う〜ん、まぁ良い年齢だからね」と妻。答はどっちだ?

1つのコメントがあります。

  1. SAKAMOTO


    突然のコメント失礼致します。
    現在、銀座らん月で接客係をしています。
    この記事をたまたま見つけまして、とても嬉しかったです。
    私の様に心に残る店と思って下さっていること、今も尚大事にしてくださっている事が今の私にとても励みになりました。
    今の銀座はらん月の創業時や10年前ととても変わりましたが書いて下さった様に銀座の矜持は変わらずとても優しい街です。
    らん月に入店してまだ間もないですが働いていることを誇りに思います。
    是非、また奥様と一緒にお越し下さい。
    しっかりと接客が出来る様に、いつかお会い出来るまで沢山頑張ります。先輩、ありがとうございます。

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