3人寄れば文殊の知恵、69億人寄ったら…「集合知」

Pray for JAPANんじゅ」とは、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉(原型炉とは商用化前の原子炉)の名前であり、文殊菩薩に由来する。3人寄れば文殊の知恵、と言うように文殊菩薩は智慧を司る。釈迦如来の脇侍として普賢菩薩と共に幅広く信仰されている。ちなみに、新型転換炉という方式で原子力発電を試み廃炉になった「ふげん」の名の由来は普賢菩薩。そして、普賢菩薩は慈悲の象徴で、象に乗った(象を制御した)姿で描かれることから、原子力という巨大なエネルギーを制御しようというのが命名の理由らしい。例え原子力というエネルギーは制御できても、地震という自然の摂理は制御できないという難しさに日本は今直面している。

ころで、文殊である。先日、入学試験中にケータイを使ってYahoo!知恵袋に投稿しカンニングしたとされる受験生が逮捕される事件が起きた。もちろん、不正であり許容されるものではない。手口がネット社会を反映したことで話題となり、大きな事件となった。けれど、この事件の本質は、古くは6世紀の中国科挙の時代からあったというカンニングという不正にあるだけではなく、教育、知識、学力とは何かを問うている。学力を問う入学試験は、読み、書き、計算、すなわち読解力、記憶力などの主にトレーニングによって得られる能力を計るものである。すると、検索力、ネットワーク力、コミュニケーション力は学力ではないのだろうか。今は少なくとも違う。けれど、辞書(先人の知恵の集合)使用可の試験があり、簿記の試験のように電卓持ち込みが前提の試験もある。

合知ということばがある。例えば、Wikipedia。インターネット上で世界中の人が“匿名”で記事を書き、百科事典(のようなもの)を作ろうというプロジェクト。恣意的な書き込みや、“荒らし”があったり、管理的な課題も多い。けれど、あらゆる領域に及ぶ記述は画期的であり、学術的な裏付けや正確性に欠けることを前提に利用している人も多いと思う。学術的な裏付けがなくとも、目の前に直面する課題に対し、世界中の人々の知識、知見、知恵などの「知能の集合」で解決できるものがある。すなわち、課題に直面する人が、それらの情報を取捨選択し、判断して答えを導くことができれば、集団の知が個人の知となる場合がある。もしかしたら、未来の学力とは、何を使って、どこを探し、どのように選択し、判断するかになるかもしれない。そんな時代なのだ。

10年もしたら、試験会場に検索用にスマートフォン持ち込み可になってるよ」と、乱暴なことを言うお気楽妻。彼女は自分のiPhoneを“検索ちゃん”と呼んで肌身離さず持ち歩く。今やiPhoneは彼女の羅針盤。3月11日の夜、文字通り羅針盤となった iPhoneを使って、2時間半の道程を迷うことなく自宅まで帰って来た。「あなたの記事だって、いろんなことをネットで検索して書いてる訳だしね」む、そりゃそうだ。辞書だって間違っている場合がある。今は正しいけど、将来的にはことばの意味が変わり、間違っていたということもある。ましてや、私の記事を読んでそのまま受け取る人もいないだろう…と開き直る。

日も余震が続いている。地球という生命体(?)の大きさから見れば、地震は皮膚の新陳代謝のようなものかもしれない。人類とは、地球にとっては寄生しているウィルスのように些少な生物なのかもしれない。しかし、宿主と寄生動物は共生できるはずだ。過去の何百億人の知の集積と、同時代の69億人の知で、宿主である地球と人類が共生できる関係でありたい。そして、日本の災害を知りアクションを起こしはじめている全世界の個人の、そして集団の、知や思いが結集し、東日本大震災の復興、福島原発の危機的状況からの回避が、早期に実現できますように。

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