Archive for 8 月 8th, 2011

旅という病、旅の適齢期『旅する力 深夜特急ノート』沢木耕太郎

MidnightExpressNoteの文学と言えば?と聞かれると真っ先に思い浮かべる作品がある。沢木耕太郎の『深夜特急』だ。第1便から最終巻の第3便まで、新潮文庫では分冊されて6巻からなる魅惑的な旅の物語だ。街に溢れるエネルギーをストレートに伝える文体の疾走感。街に住む人々の生活の中に深く沈みながらも、旅人としての冷めた視点や、異文化への苛立、憧れ、怖れなどの複雑な心情が沸き立ってくるエピソードの数々。読む者を旅に誘うだけではなく、実際に旅立たせてしまうほどの魅力に溢れていた。デリーからロンドンまで、乗り合いバスで行くという(本人曰く“ささやかな”)主題を持って、作者の沢木耕太郎が実際に旅立ったのは1970年代前半。そして第1便が刊行されたのが1986年。第3便が1992年。そして2008年(文庫版は2011年5月)、深夜特急ノートという副題が付いた『旅する力』が刊行された。

とは何か。その問いに対する答えは無数にあるだろう。…そんな書き出しに始まる沢木の文章は相変わらず魅力的だ。沢木は旅は病だという。そして、初めての旅として小学生の頃にマツザカヤまで独りで電車に乗って行ったこと、中学生の頃に大島に旅したエピソードなどが綴られる。…自分にとって初めての旅はなんだっただろう。文庫本を閉じ、しばし自らの記憶を辿る。すると、旅ということばから広がるいろいろな記憶が蘇る。小学生の頃、ようやく乗れた補助輪なしの自転車で4Kmほど離れた父親の生家に向ったこと。仲良しだった友だちが転校した街まで、何人かの友人たちと1時間ほど電車に乗って会いに出掛けたこと。中学時代に友人と一緒に初めて泊まりがけで行ったキャンプ。高校時代にアルバイトで貯めた小遣いで、独り自転車で出掛けた1週間ほどのユースホステル巡り。未知の街への不安と期待、独りで向う道筋がいつもと違う景色に見える不思議で新鮮な感覚。その頃には既に私も旅という病に罹っていたのかもしれない。

MidnightExpress木は言う。旅には経験がなくても経験があり過ぎてもダメな旅の適齢期がある、のだと言う。沢木耕太郎がユーラシアへの旅に出たのが26歳。若いということは、ものを知らないこと。例えば、若い頃には空腹を充たすことが優先して美味しいと感じていたものが、美味しいモノを求めて食べる現在だったら果たして美味しいと感じるだろうか。沢木にとってその旅の適齢期が26歳だったと振り返る。『旅する力』には、その旅に出ることになるまでのエピソード、その後『深夜特急』を出版することになる経緯などが描かれる。けれど、それは決して『深夜特急』の楽屋話などで終わってはいない。旅することの魅力、訪れる街の引力、旅が人にもたらすエネルギー、旅が人の何かを変えてしまう“力”を持つことを綴る。タイトル通り、旅する力の意味、そして何よりも旅の力が描かれている。

にとって、その旅の適齢期は20歳だった。大学入学前、フランス語を学ぶためにアテネフランセに通い、奨学金とアルバイトで貯めた資金で大学入学早々にフランスを旅した。まだヨーロッパに向うのにシベリア鉄道経由というルートが、貧乏学生の選択肢としてあった時代。南回りの格安航空券。香港、バンコク、モスクワを経由し、コペンハーゲンで飛行機を乗り換えた長い行程だった。パリの語学学校に通うという名目での短期留学。アリアンス・フランセーズという学校に行ったのは1日だけ。パリの街を歩き回り、美術館を巡り、カフェで本を読み、公園でクロック・ムッシュを齧った。マッターホルンが見たくて夜行列車でツェルマットに向った。無事にその山容を眺められたお祝いにと初めてチーズフォンデュを食べた冬の日。モン・サン・ミッシェルを見るためにブルターニュの港町サン・マロに立ち寄り、ムール貝と生ガキを大量に食べたがために(?)お腹を壊して、パリに帰還してしまった。1970年代の終わり、沢木耕太郎がロンドンを目指した数年後のことだ。

気楽夫婦にとって、その旅の適齢期?は1995年だった。返還前の香港。残念ながら九龍城砦は前年に取り壊されていた。けれど、啓徳空港に着陸するために香港の摩天楼を掠めて飛ぶスリルは味わうことができた。香港初日の夜、ディープな空気が淀む灣仔(ワンチャイ)の街と、英語が通じない場末の中華料理店の味に虜になった。以降、毎年のように出掛ける特別な街になった。そしてこの夏、何度目かの香港に出掛ける。妻は「訪れるべき中華料理店」のリストを嬉々として作成している。到底1週間の滞在では行けるはずもない長いリストだ。

木耕太郎がインドに行く途中で立ち寄り、魅せられた香港とはすっかり違う街。けれど、お気楽な2人にとって新たな魅力も纏ってもいる街でもある。さあ、ようやく松葉杖も持たず、けれどスカッシュラケットも持つこともない、2人のヴァカンスはもうすぐだ。

*時代を超える紀行文学です♬おススメ♡

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