記憶を記録に「3.11.2:46〜」

Jiyugaoka2011年3月11日午後2時46分、自由が丘駅前にある老舗洋菓子店にて買物中に、今まで経験したことのない大きな揺れ。ホワイトデー直前で混雑していた店内に、小さな悲鳴がいくつも上がる。揺れが収まらない。動揺しながらも、とっさの判断でというよりは、瞬間的には思考が停止し、店内に止まる。お店のスタッフの女性と店内にいたら良いのか、外の方が安全かと短い会話を交わし、店内にいたスタッフ、買物客と共に外に出る。誰かが率先して誘導した訳ではなく、群集心理のようなものが働いたのか。余震が続いている。駅前のロータリーには周辺のビルや駅から出て来たと思われる大勢の人が不安そうに佇んでいる。高架となっているホームが歪むように揺れている。そのホームには人の姿も見える。大丈夫か。周囲のビルが揺れているのが目視で分かる。凄い。もっと大変な事態になるのか、予想がつかない不安と恐怖感。

源はどこなのか。東京直下型なのか。この場所より大きな揺れがあったのか。駅前の交番からアナウンスが流れている。建物の周囲は危険だから離れるようにとの注意。他の情報はない。繋がらないだろうと思いながらも、妻に電話をしてみる。やはり繋がらない。こうやって輻輳が起きるんだなぁとぼんやり思う。揺れが収まったこともあり、多少の余裕が出てきたこともあるのだろう。会社に向う。ざわざわした動揺した空気が街を被っているが、恐怖感は収まりつつあるようだ。階段で4階のオフィスに到着。高層ビルの上層階だったら、こんな時にはどんな行動パターンになっているのだろうと、かつて在籍した会社のオフィスのことを思う。オフィスにはスタッフが落着かない様子で落下した書類などを片付けている。震源は東北方面らしい。スタッフは全員が子供がいる母親たち。帰宅するように指示をする。彼女たちの心配は、もちろん子供たちのこと。その間も余震が続く。小さく悲鳴をあげるスタッフ。システムの責任者と今後の業務について打ち合わせ。当日一緒に食事をする予定だった仲間にメールで中止を伝え、店にもキャンセルの連絡をする。その時点では国全体の被害の大きさを知らなかった。

Koshuンターネットサイトを通じて次第に情報が入って来る。震源は牡鹿半島沖、マグニチュード9!東京は震度5強。そんな大地震が起きるのか、起きてしまったのか。現実感がない。交通機関は全く動いていないらしい。打ち合わせを終え、歩いて帰宅しようかと思案。自由が丘から用賀までは歩いた経験がある。その先もタクシーで何度も通ったルート。明るい内に帰れるだろうと心の準備をする。が、たまたま自家用車で出勤していたシステムの責任者の帰宅に同乗する。意外にも車の流れは順調。都心部と違って交通規制もない。環状8号線を北上する。対向車線は激しい渋滞。東名などに向う車列だろうか。既に歩道には帰宅を急ぐ人が多く見かけられる。1時間程で帰宅。地震に備えて壁に固定する方式に変えた家具が多く、思ったよりも被害は少ない。かなり重量のある書斎のデスクと本棚が大きくズレており、本や小物が落下していた。TVやパソコンで情報収集を続ける。

間を追うごとに震災の悲惨な状況が分かってくる。大きな揺れ。津波。火災。現実感がない映像が繰り返し流される。独りで抱えられない気持が溢れ出して来る。翌日から一緒に旅行をする友人から連絡がある。友人たちの無事が伝えられる。横浜に住む彼は、大手町のオフィスに泊まりだという。当然旅行は中止。妻ともようやくメールで連絡が取れる。渋谷の駅が人で溢れ、たいへんな状況になっていることを伝える。妻は歩いて帰るという。無事は分かっていても焦燥感が募る。到着まで2時間以上はかかるという妻を迎えに渋谷方向に向かってみる。甲州街道では今まで見たことがない数の人が歩いて来る。ルートの途中まで歩いたところで諦め、自宅に戻る。無事に帰ってきた妻の顔を見て、ようやく安堵する。

源地から500kmも離れた東京でこの有様だ。震源に近かった街では、津波が襲った沿岸部では、火災が起きた夜には、福島第一原発の周囲は、いかに恐ろしく、悲しかったことか。想像を絶する喪失感、空虚、絶望。自分に何ができるのか。何をするべきなのか。何ができたのか。心ばかりの寄付をして、節電に協力し、普段通りの消費を心がけ、TVから流れる映像に涙した。暗い街に慣れ、商品がなくなった陳列棚に呆れ、整然と並ぶ被災地の人々を誇りに思った。1年が経った。いろんなことを忘れていた。思い出そうと努め、残った記憶をさらに忘れないように、文字にしてみた。去年の今頃は、こんな些細な経験を書いたり、何かを発することを躊躇った。今なら肩の力を抜いて、書き残すことができる。この程度の経験でも、自分の人生観が変わったのだ。人との繋がりを変えようとしたのだ。変えたのだ。忘れては行けない。あれから1年。2012年3月11日2時46分。黙祷。

…自分の記憶のメモとして。

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