親父、傘寿にて「Happy! 20×4+α」

Gassanランス語で「80」のことを「Quatre-vingts」という。4つの20。60進法の名残の不思議な数え方。一方、日本では80歳の長寿の祝いを「傘寿」という。「八」「十」と縦に書くと「傘」の略字になるからだという。田舎に住む親父が80歳になった。お祝いをしなければと思い立った時、そう言えば親父の80年は4つの20でできているなぁと思い付いた。最初の20年は自分のために、2つめと3つめの20年は母と家族のために、4つめの20年は病で倒れ車椅子生活になった愛妻の介護のために、そして自分の生まれた町のために生きてきた。そんな父。振り返れば4つめの20年で緑綬褒章を授かったのが何よりの誉れだろう。さて、どんなお祝いをしようか。

80&88GW後半に親父の兄が(私にとって伯父にあたる訳だが)88歳の米寿の祝いをするという。それでは、伯父の米寿の宴席にはタイミングが合わないけれど、2人の長寿のお祝いをしようと妻を伴い故郷に向った。農家の長男として家を継いだ伯父。農家の次男坊で農業高校なら進学させてやると言われ、なぜか農業高校で野球やらブンガクやらをやっていたらしい親父。幸い父の3人の姉妹と計5人の兄妹が揃って健在。年に1度、全員が集まって温泉旅館に泊まるのが楽しみだという。慎ましく生まれ、生きた昭和一桁〜戦中生まれ世代の、彼らが言うところの「身の丈にあった生活」だ。では一緒に旅館に泊まってお祝いをしよう。それも、親父にいらぬ遠慮をさせないように、転勤生活中の友人の住む横手に行くついでに立ち寄ったという設定だ。

Sakura行機が空港に着陸しようとする頃から、見事な桜色がお気楽夫婦を迎えてくれた。都内より1ヶ月近く後からやって来たサクラの春。雪が多かった今年は、例年より2週間ほど遅い満開らしい。空港まで車で迎えに来てくれた父。ブレーキとアクセルを間違えることはないかと冗談半分、本当は本気半分以上で尋ねる。まだ大丈夫だと笑って短く答える父。ハンドルさばきや停発車はスムース。しばらくは心配なさそうだ。とは言え、数年前に胃ガンを煩い全摘出。若い頃に野球やバレーボールなどで鍛えた身体はすっかり痩せてしまった。こうして一緒にドライブできるのも、お祝いだからと一緒に温泉旅館に泊まるのも、最後の機会になってしまうかもしれない。そんな覚悟もしつつ、一緒にサクラの名所を巡り、亡き母の墓参り、伯父の家を訪ねてお祝いの酒を手渡し、甥や伯父夫婦と記念撮影。この顔ぶれでの撮影は最後だろう。

Sanjuの宿泊の同伴には、昨年都内の大学に入学した甥を指名した。子供のいないお気楽夫婦。親父の、甥にとっては祖父の記憶を一緒に紐解く場にいてもらおうという計画だ。ゆったりと温泉に浸かり4人で祝いの膳を囲む。2間続きの広く豪華な部屋に「いくらぐらいするんだ」と心配する昭和一桁。まぁ気にするなと酒を酌み交わす。胃がなくなって小食になったものの、酒も医者には止められていないとのこと。「ゆっくり少しづつ飲んだり、食べたりしてたら平気だ」ということらしい。いつもと違い酔う程に饒舌になる父。チャンスとばかり幼なじみだった母との馴れ初めを聞くと、意外にも照れずに詳しく語り始めた。記憶もしっかりしている。まだ元気だ、大丈夫だ。まるで母と初めて出会った日を昨日のことのように細部まで思い出すようだ。父母の、殊に亡くなった母の中学生の頃を、高校生の頃を思い浮かべる。ちょっと涙腺がゆるくなる。来て良かった。今日は良い日だ、良い酒だ。つい深酒になる。

「それでお風呂はどうかなぁ」確かに入浴の注意事項には、泥酔の方はご遠慮くださいとある。私は泥酔かと聞けば「ぎりぎりかなぁ」と答える妻。深夜の風呂にのんびり浸かる。親父の来し方と、行く末をぼんやりと思う。傘寿に掛けた傘のプレゼントも、思いがけない程に喜んでくれた。一緒にたっぷり話もできた。父のおそらく最後の20年に向けて、元気でと祈るばかりだ。

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