Archive for 8 月 12th, 2012

オリンピックの夏に『チーム』堂場瞬一

TEAM不足だ。熱帯夜が続き、余りの暑さに目が覚める。ベッドルームを抜け出し、リビングルームのエアコンを付ける。ブラインドを開ける。日が昇る予兆がある空は、新しく生まれようとしている清潔な朝の色を纏っている。夜が開け切る前の空気が好きだ。目醒めはすっきり。前夜の酒も残ってはいない。時計を見る。そろそろ始まる頃か。ん、良い時間だ。顔を洗い、ストレッチ代わりに大きく伸びをする。声を出さずに気合いを入れて、お気に入りの椅子に座り、スタンバイOK。妻を起こさないように、ボリュームを絞ってTVの電源を入れる。そして4年に1度のナショナリストになる。

っと個人競技のスポーツをやってきた。団体競技はせいぜいダブルスまで。チームスポーツが苦手だったからこそ、チームスポーツを観戦するのが好きだ。勝ち負けがあるのはどんなスポーツでも同じだけれど、チームスポーツは一緒に勝敗を共有できる仲間がいる。個だけでは成し得ない、極みに達するチームが生まれる場合がある。2012年の日本選手たちは、チームスポーツでの活躍が目立った。本来は個人競技であるはずの競泳。男子100m×4メドレーリレーでの銀メダル。北島康介を手ぶらで帰す訳にはいかない。そして、競泳チーム27人全員で獲ったメダルだ。松田丈志がレース後にそう語ったコメントが印象的だった。バドミントン女子ダブルス、卓球女子団体戦に手に汗握った。バレーボール女子の銅メダル獲得に、そしてサッカー女子「なでしこジャパン」の決勝での戦いに快哉を叫んだ。

れにしても、自分の属する国であったり、出身地であったり、卒業校のチームを応援するこの心持ちはなんだろう。いっそどのチームも自分に無関係の競技であったなら、競技そのものを楽しんだり、秀でたアスリートを賞賛したりもできる。ところが、自国のチームが出場する時点で他の全てのチームが敵になる。ひねって言えば、他国を制圧したり領土を侵犯したりする代わりに、平和的に自国の優位性を誇ることができる戦い。政治をスポーツのフィールドに持ち込むことは禁止されていることを前提としながら、間接的に利用されている。応援する我々の心理の深いところには自国愛、突き詰めれば自己愛がある。古くはナチスドイツが、現在は半島の北の国が国威を発揚する場としてオリンピックを利用した。

ーム』という作品がある。堂場瞬一が描く、箱根駅伝の物語。代表校から漏れたチームのメンバーが選抜されて、その年だけのチームを結成する。学連選抜という個の集合体であるはずのチームが、走ることへの情熱と愛情でまとまり、強豪校と競りながら優勝してしま…いそうになるストーリー。秋の予選会から、正月3日の往路ゴールまで、一気に読ませる。同じく箱根駅伝を題材にした三浦しをんの『風が強く吹いている』には現実ではあり得ないだろうからこその面白さが溢れている。それに対し、『チーム』にはもしかしたらと思わせる説得力のあるリアリティがある。そして、爽やかなエンディング、微笑ましい後日談が描かれるエピローグ。何より同じスポーツを愛するアスリートに通底する気持を信じるスタンスが心地良い。チームスポーツの魅力を余すことなく描いている。

なたがチームスポーツに向いてないっていうのは、良ぉく判るよ」と妻。ふんっ。監督なら向いてるかもしれないぜ。こっそりと独り言つ。ロンドンオリンピックも終盤。TVで総集編でも視ながら、堂場瞬一の『水を打つ』を読むか。100m×4メドレーリレーを素材に、個人競技である競泳におけるリレーとは何かを描く物語…だそうだ。読むのが今から楽しみだ。

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