Archive for 6 月 30th, 2013

自由が丘か、千歳烏山か「ナボナ vs パンセ」

Navona50thボナはお菓子のホームラン王です」ある世代以上の方なら誰でも知っているTVコマーシャル。ホームラン王として子供たちに大人気だった王選手がユニフォーム姿で登場し、笑顔でそのセリフを言うのだ。これでナボナも、東京自由が丘・亀屋万年堂も一躍有名になった。ナボナを食べたことがない子供はいても、ナボナを知らない子供はいなかった。◎◎は△△のホームラン王です、という言い回しも誰もが一度は使ったはずだ。そのナボナが発売50周年だという。ナボナが誕生したのは東京オリンピック開催の前年、1963年。1960年に始まったカラー放送開始から3年、カラー放送の番組はまだ少なく、新聞の番組表やTV画面の端に「カラー」の文字があった時代。洋菓子などはまだ一般には食べられていない頃。

Pensee心たちばな」という菓子店がある。本店は世田谷区の千歳烏山。朝日新聞の1面、題字下に広告を出していたこともある。創業昭和34年。その創業の頃から作り続けている菓子が「フレッシュパンセ」というブッセ。ブッセとは、サクッとした軽い歯触りの焼き菓子で、中にクリームやジャムをはさんであるもの。世田谷の銘菓として、周辺住民にはお馴染みの定番菓子。直営の数店以外にも、京王百貨店や調布パルコなどに売場を持つ。パンセ以外は和菓子が中心で、「花仙堂」という定番の創作和菓子や季節の和菓子が贈答用にも人気。それでも京王線沿線、千歳烏山周辺住民なら誰もが知っている、それ以外の地域では知る人ぞ知る、というポジション。

Jiyugaoka和13年に創業した亀屋万年堂が、王選手をCMに起用したのは昭和42年。創業者のお嬢さんがジャイアンツの選手、コーチ、二軍監督だった国松彰氏と結婚したのがきっかけだという。ちなみに国松さんは引退後、亀屋万年堂の社長となり、現在は会長職にある。直営の店舗数は東京、神奈川に約60店舗。それ以外にも取扱店舗は関東周辺に数十店舗。ナボナ発売50周年で記念パッケージにしたり、復刻版ナボナを販売したり、話題づくりも巧み。自由が丘という街のブランドが高まったこともあり、ナボナは今や自由が丘近辺だけではなく、広く浸透した東京銘菓となっている。

Navona由が丘と千歳烏山、それぞれの街に仕事で関わる立場として、ナボナとフレッシュパンセを比べてみた。ナボナのパッケージは50周年を記念した6代目。since1963の文字を配した華やかでシャレたデザイン。それに対し、パンセは落着いた色彩の上品な和紙のパッケージ。ナボナの定番はチーズクリーム、それにカラーナボナとして宇治抹茶クリーム、さらに季節ナボナのレモンクリームなどをラインナップ。一方のパンセはチーズバターとアンズジャムが定番。そして春にはイチゴ、抹茶、夏には白桃、パイン、秋にはマロンなど季節毎のパンセが店先に並ぶ。

Eat番同士(ナボナはチーズクリーム、パンセはチーズバター)で食べ比べ。大きさや見た目はほぼ同じ。表面は敢えて違いを言えばナボナがふんわり、パンセはややサクッとした歯応え。ナボナのチーズクリームは甘めでボリューム感があるのに対し、パンセのチーズバターはしっとりしていて、ほんのりバター風味。うぅ〜む、どちらも美味しい。この地に30年以上住み、食べ慣れているからか、パンセの方が舌に馴染む。「この2つを比べたら、私はナボナかな」と妻。そんな彼女はパンセで季節を知るのだと言う。イチゴや抹茶パンセで春の到来を感じ、巨峰やマロンクリームが店先に並ぶと夏の終わりを実感するらしい。

由が丘発で全国区になったナボナ、世田谷の銘菓に止まるパンセ。商業的にはナボナの圧勝だけれど、地元密着で愛され続けるパンセの立ち位置も悪くない。ナボナがホームラン王なら、パンセは地元出身のレギュラー選手。それぞれの街を代表する2つの銘菓は、それぞれの街を象徴してもいる。

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