タイトル買いっ!『限界集落株式会社』他、黒野伸一

Genkaiんだことのない(それもまだ余り知られていない)作家の作品を手に取る時は、何かがひっかかる場合だ。レコード(今はCDだけど、いやネットだったりするからあり得ないけど)の場合は、“ジャケ買い”と呼ばれたアルバムジャケットのデザインだったり、タイトルにピンっと来た場合だったり。本の場合も同様にジャケ(表紙)買い、あるいはタイトル買いをすることがある。黒野伸一『限界集落株式会社』がそうだった。“限界集落”と“株式会社”という想定外の組合せ。メタファーとしての限界集落?けれど、のんびりとした農村のイラストが描かれた表紙を見る限り、過疎化や高齢化により共同体としての維持が困難になってしまった集落=限界集落が舞台らしい。では、なぜ株式会社?という瞬間的な葛藤を経て、その文庫本を手に取りレジに向かった。

ふふ。面白い。冒頭に描かれた主人公の設定が、余りにも典型的エリートであることに鼻白むのも束の間、あっという間に物語世界に引きずり込まれてしまう。限界集落に暮す老人たちや子供たちのキャラクターや、その描写にクスッと笑みが零れてしまう。同時に全国に数多あるであろう、集落消滅の危機という重い社会問題について考えさせられてしまう。そして何より物語の展開が想定外。起業するために会社を辞め、自分自身のリセットのために、なんとなく亡き祖父の家を訪ねただけだったはずの主人公が、集落の農業経営を担うことになる。その経営手法は鮮やかながら反発も買う。失敗もする。けれども、集落に残っていた訳ありの親娘、都会から逃げるように就農研修でやって来たワカモノたちを巻き込んで…。と、寂れた農村を舞台にユーモア溢れるエンタテインメントが展開される。

Masukoかなか面白かったね」と妻。村上春樹、山田詠美、奥田英朗、有川浩、万城目学などの限られた作家以外、日本の作家を余り積極的には読まない妻の感想は意外だった。よしっ!だったら買いだ。文庫本も決して安くはない。1人で読むなら定価通りだけれど、2人で読めば半額相当(?)になる。すかさず紀伊國屋書店に走り、『万寿子さんの庭』を購入。これがまた全く違ったテイストで実に面白い。短大を卒業し就職したことを機に、独り暮らしを始めた主人公。隣に住む庭いじりばかりやっているおばあちゃんと知り合い、当初は意地悪と思えた彼女との関係が年齢を超えた友人同士に変わり、さらに人生や生活の深い部分で関わることになる。お気楽なストーリー展開に油断しながら読んでいると、ストンと深みに落とされる。

いること、親と子について、介護と老後。深刻なタッチで描かれないからこそ心に染み込むことがある。エンディングは何とも言えない不思議な清涼感に溢れている。単純なハッピーエンドではない。分かり易い感涙の物語でもない。類型的な20歳の女の子の成長物語でも、自分を発見する物語でもない。前向きになれるポジティブな物語。美しい友情物語に終わらせず、文字通り汚い部分も当たり前の事実としてフラットに描く。人の悪と善なる部分の二面性、多面性を日常として織り込む。若さだけを肯定せず、老いを否定だけでは終わらせない。解説の吉田伸子氏が書いているように「読み終えるのが惜しい、と思う物語はそう多くはないが、本書はまさにそういう1冊だ。…読んで良かった、と心から思える1冊」だ。

「『子は、一日にしてならず』も、なかかなだよ。かなり面白い♬」先行して3冊目を読み終えた妻が、積極的に薦める。これまた珍しいことだ。現在、途中まで読みかけ。こんな女子いるか?いや、いて欲しくない!それにしても、ここまで書いて良いのか?と、脳みそが混乱状態。きっとまた読者たる私の前半の予測を、良い意味で裏切る結末になるのだろう。「うん、最後はね…」言わんで良い!と、解説から読み始める妻のことばを遮る。物語のカタルシスを楽しみにする私の楽しみを奪わないでくれ!「私はそんなもの期待していないもん。楽しければ良いんだ」という妻。読書スタイルは相容れない、それでも読書好きのお気楽夫婦だった。

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