Archive for 1 月 11th, 2015

贈る才能、贈られる才能「Gift」

GiftIGAさん、おはようございます。お時間があれば、自由が丘のTWGでSweet France Teaというハーブティを買って来ていただくことはできますか?誕生日のプレゼントを買い忘れちゃって。できたら100gと50gを1つづつお願いできませんか」シングルベル♬パーティの朝、酒豪女子からそんなメールが届いた。とても恐縮した文面。けれど、彼女から何かをお願いされる、ということ自体が何だか嬉しい。TWGはオフィスの目の前、ガッテンだぁ!プレゼント用だったら、リボンを付けてもらう?と返信。「わぁ♡ありがとうございます。よろしくお願いします」との返信に、それにしてもなぜ2つ?と訝しく思いながらも、希望通りのパッケージを2つ、子供のお遣いのようにメールの文面を何度も確かめながら購入する。

Partyりがとうございます。じゃあ、これはIGAさんに♬」酒豪女子に依頼品を渡すと、50gの小さなパッケージが手元に戻って来た。へ?誕生日じゃないし。「お遣いお願いしちゃって、申し訳ないなぁって」あらら。これは嬉しい。というか、まんまと嵌められた。ひとつは自分用とは露ほども思わず買って来た私と、遠慮されないように事前に考えた酒豪女子。参った。なんてスマートなギフトの渡し方。1本取られました。ちなみに、その日のクリスマスプレゼント交換も大盛り上がり。それぞれが1000円前後という子供のような設定を愉しみ、誰に渡ったらどんな反応になるかをイメージしながらGiftを選んだはず。そして不思議とぴったりの相手に渡り、その度ごとに歓声が上がる。Giftは贈る側も、受取る側も、上手くいけば(笑)幸福になる。

Gift2年のクリスマスプレゼントは何が良いかと妻に尋ねると、「今年はウチのリノベーションをプレゼントしてもらったから、もう充分かな」と即答。嬉しいぢゃないか。そんなメッセージこそ、私にとって何よりのクリスマスプレゼント。彼女の美徳は、“残るモノ”に関する積極的な物欲がないところ。ラグジュアリーなホテルに泊まるとか、芝居を観に行くとか、美味しいモノを食べるとか、“消えモノ”に対する消費欲求は人一倍強いのに、モノに対する欲望は薄い。バッグや時計が欲しいとか、ジュエリーが欲しいとか、言ったことが(ほぼ)ない。人間、バランス良くできているものだとつくづく思う。これで彼女の物欲も強かったら、わが家は財政破綻してしまうことを自覚しているだけかもしれないけれど。

Cupぇ〜!ありがとう♬」シングルベルの会の後、自宅に戻って妻にプレゼントを渡す。何もいらないと言われたものの、それでは淋しいからとこっそり買って、隠してあったマグカップ。サプライズを演出したのに、相変わらずリアクションが薄い。「なるほど、そこに隠してあったら分らないね」おいおい、そこぢゃないだろ。学生時代におんぼろディンギーで三浦の海を駆っていた私。前夫や仲間たちと一緒にでかいクルーザーに乗り、レースにも出場していた妻。いつか一緒にヨットをやる日が来ると良いなぁと思いつつ、残念ながらそんな機会が訪れる気配は全くない。そこで、せめてもと毎日使っているマグカップにヨットの絵柄を選んでみた。特に説明はしなかったけれど、何となく伝わってはいるだろうか。

ぁ、そうだったんだ」ブログの記事を読みながら、妻が呟いた。…やっぱり通じていなかったらしい。贈るということは、楽しいけれど、難しい。ところで、「Gift」とは、プレゼントという意味の他に、“才能”という意味もある。神が与えたもうたもの。贈る側も、贈られる側も、その才能の有無が問われる?

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