サクラのある情景「サクラSONGS♬」

SAKURA1SAKURA2末の朝、サクラの曲がずっと流れている。CATVの音楽専門チャンネルの「サクラSONGS」という特別番組。アンジェラ・アキ「サクラ色」、レミオロメン「3月9日」、ケツメイシ「さくら」、スピッツ「チェリー」、コブクロ「桜」…。多くのアーティストたちが歌うサクラの歌に、いろいろな情景が浮かぶ。ある年の春は、ご近所の友人夫妻(妻のみ)と砧公園に出かけた。お気楽妻と同様にお酒を飲まない彼女だったから、温かいコーヒーを片手に。サクラを眺めながら、お酒も飲まずにのんびりと話をしている2人の後ろ姿は、まだ肌寒い季節なのに、何だかそこだけ温かかった。2人は、ずっと一緒にいられる友人だと思っていた。けれども叶わない思いもあることを後に知った。

SAKURA4SAKURA3災の翌年の春、ワインとアニョーパスカルを抱えて、スカッシュ仲間とやはり砧公園へ。復活祭にアルザス地方で食べられているという子羊型の焼き菓子は、ほんのり甘く、上品で、優しい味がした。自粛ムードが世の中に満ちていた前年のサクラは、誰しもゆったりと眺められなかった。けれど、毎年変わらず艶やかに咲く大木のサクラは、元はゴルフ場だったその広大な公園の象徴であり続けていた。この公園では、人がサクラを眺めるだけではなく、サクラも人を見守っている気配がある。走り回る子供たちや、昼から酒を酌み交わす大人たちに、今年は私を見に来られて良かったねと語りかけてくるようで、なんだか優しく花見の客を眺めているように見えるのだった。

SAKURA5SAKURA6の名所を訪ねる旅をしたのも同じ年だった。秋田に転勤した友人と一緒に、横手や角館のサクラを訪ね歩いた。横手城址のサクラも、角館の武家屋敷の枝垂桜も、桧木内川(ひのきないがわ)の桜並木も、実に見事だった。ことに角館は、狂おしいほどのサクラ色の町だった。桜前線の北上と共に北の国に向かう、吉野のサクラが見頃と聞けば西に向かう、そんな旅をすることができたら、きっと楽しいんだろうなと実感した。引退し始めた団塊の世代の人々が、そんなゼータク旅をこぞって実行しているらしい。ふと自らの数年後を考える。仕事を辞め、スケジュールに余裕ができる年代になったら、却って天邪鬼になり、その季節に大挙して観光客が集まる場所を避ける気がする。

SAKURA7SAKURA8田のサクラ旅は、故郷の父を訪ねた後の“ついで”だった。亡父の傘寿(80歳)のお祝いをするため、温泉宿に一緒に宿泊した。空港まで自分の車で迎えに来てくれた父は、運転操作も問題なく、癌で胃を全摘出したとは思えないほど実に健康で元気だった。海岸沿いをドライブし、チューリップ畑とサクラの共演を楽しみ、故郷の母なる山である嫋やかな姿の「月山」を遠く眺めた。自分のお祝いのためだけで帰省するのは勿体ないと言い張る父に、転勤した友人を訪ねる“ついでに”立ち寄るのだと理由を付け、無理やりスケジュールを入れた。東京の大学で学んでいた甥を同室にして、今の内に彼にとっての祖父の話を聞いておけと命じた。思えば、元気な父に会えた最後の旅だった。

SAKURA9SAKURA10年の春、サクラの頃に故郷の父を訪ねた。厳冬の頃、入院する父を何度か見舞った。けれど、その後に快復の気配も見せず、最後と覚悟した一時退院に付き添うためだった。前年のサクラの頃、傘寿のお祝いにと贈った傘を手に「楽しいなぁ、嬉しいなぁ。ありがとうな」とご機嫌に酔っ払っていた父。促さずとも、亡き母との出会いを、若き日の恋愛を、饒舌に語っていた父。それが、その時はストレッチャーに横たわり、車の中から咲き始めたサクラの気配だけを感じるしかなかった。4月5日は、父の誕生日だった。北国のサクラはまだ早いけれど、都内のサクラはちょうど見頃だった。そして今日、散り始めたサクラを眺めながら、口ずさむ。♬花びら舞い散る、記憶舞い戻る♬

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