あの頃、僕は東京で「別冊angle 街と地図の大特集」

Map1聞のコラムに“angle”の文字を発見し、思わず二度見した。「angle」は、1977年〜1985年に主婦と生活社が発行していた“東京”タウンガイドだ。その別冊「街と地図の大特集」が復刻されたという。迷わず書店に走り、中身も見ずに購入した。『あのころ angle 街と地図の大特集1979』というタイトルの2分冊。表紙には“40年前の東京にタイムスリップ!”とある。自分の年齢を忘れ、1979年とは40年も前なのか!と驚愕する。

Map2紙をめくると、「1979年 あなたは東京で何をしていましたか?」と問いかけられ、素直に我が身を振り返る。上京して3年目、アテネフランセと大学のダブルスクール、バイトを掛け持ちし、貯めたお金でパリに短期留学し…と、遠い目になる。『ぴあ』を片手に映画館を巡り、『angle』」を見ながら街を歩いた。青くて苦くて熱い恋もしていた。それを甘酸っぱく思い出すことができるようになるのは、ずっと後のことだ。

Map3らにめくると、復刻版の発行のために再結集した編集者たちからのメッセージ。当時“アンノン族”と呼ばれていた旅好きの女性たちにではなく、旅するお金はないけれど、夢と時間だけはあり余っているむさ苦しい男どものために生まれたのが『angle』だったらしい。さらには、雑駁なエネルギーに満ちた街の姿が浮かび上がり、若き日の自分が、そこで学び、恋し…などと気恥ずかしいけれど、どストライクな文章だ。

Map4ころで、私は復刻版ではない、1979年に発行された『街と地図の大特集』を持っている。表紙は色褪せ、角は擦り切れてはいるが、40年前に買った割には保存状態は悪くない。その頃の私は、風呂も電話もないどころか、トイレも共同の阿佐ヶ谷のボロアパートに住み、大学のある渋谷とアテネフランセのある御茶ノ水に通っていた。それらの街のページを開いてみる。すると、まさしく若き日の自分が浮かび上がってきた。

Map5えば、御茶ノ水。文字がびっしり詰まったモノクロの情報ページの手書き地図に、赤いサインペンで店名がチェックされている。当時の私が行った店なのだろう。「キッチンカロリー」「ジロー」「レモン」など、懐かしい店名が生真面目に細い線で囲まれている。アテネフランセの年長の友人たちと一緒に、背伸びしながらランチをした山の上ホテルの「シェヌー」も今はない。あの頃の“僕”は、あの街で濃密に生きていた。

Map6刻版『angle』を買った書店の平積みの棚に、もう1冊の地図が並んでいた。『Hanako FOR MEN 渋谷(区)新地図。』という、渋谷生まれの渋谷区観光大使、ホフディランのヴォーカル小宮山雄飛の推薦図書というキャッチ付き。100年に1度の大開発と言われている渋谷を、『angle』と全く対照的な現在と未来に向けた地図。と思ってページを開くと、意外にもページに漂う気配が近い。どちらも同じような匂いがするのだ。

Map9通項は何だろうと見比べてみると、はっきりと分かった。効率的にピンポイントで検索して目的の場所に向かうのではなく、街を歩いて楽しもうとするスタンスだ。味わいがあり、人間味のある手書きの地図だけではなく、街を歩き回って取材し、(googleのストリートビューのように切り取るのではなく)街を面で捉えて、街の空気感や色や匂いを掲載しているのだ。これはどちらも地図好きとしては堪らない。楽しい地図だ。

Map7の上、『渋谷(区)新地図。』には、今はなき「東急文化会館(1956年竣工)」、東急百貨店東横店(西館)と名前を変えた「東急會館(1954年竣工)」の開業当時の情報も掲載。これは完全に感涙モノ。東急電鉄の創業者である五島慶太と、ル・コルビジェに師事した建築家の坂倉準三が、渋谷の街の礎を作った経緯も分かり易く纏められている。大胆にも、“地下”鉄を劇場や映画館を配した“地上の”ビルに通したのはこの2人なのだ。

Map8ちろん、未来の渋谷地図もある。2019年から2020年にかけて駅街区や旧東急プラザ跡地、南平台、桜丘と次々に巨大なプロジェクトが姿を現し、現在のハチ公前広場を含めた渋谷の大変革が完成するのが、今から約10年後の2027年!その頃にはきっと“あの頃(現在)”の渋谷と自分を思い出すことになる。街の大きな変遷を眺めることができるのは実に興味深い。私が地図が好きな理由のひとつは、そんなところにもある。

ところで、“その頃(未来)”の私は、渋谷の街で、東京で、一体何をしているのだろう。現在と同様に、好奇心に溢れ、街を歩き回り、飲んだくれていたいものだ。

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