『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』村上 春樹

『1Q84』が困ったぐらいに話題になっている。わが家にはなぜかBook2〈7月-9月〉だけがある。発売初日に近所の本屋さんで平積みにされているものを何の躊躇いもなく買った。家に戻り、Book1もあると知り、翌日買いに行ったら在庫なし。マスコミが煽り、社会現象となっていた。そして数週間。ようやくご近所の本屋にも再登場。今度は本を手に取ってレジに行くのが気恥ずかしい。ということで2009年6月末日現在、まだ彼の最新作を読めずにいる。困ったことだ。…というジレンマから逃れてBook1、Book2とも読み終えた。この記事は文章を何度も追加しているので、分かり難いけれど、詳しくは下記のリンクでそれぞれの感想を確認して欲しい。う〜む、である。

*2010年8月、シンガポールでBook3も読み、読んでいる途中でBook4に続く予感がした。そして、案の定…。いつになったら終わるこの賽の河原の石積みのような春樹地獄。好き、買う、読む、う〜む、でも好き、買う…。

ところで、村上春樹の作品で最も好きなものを挙げろと言われれば、迷わずこの『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を選ぶ。まだ『1Q84』を読んでいない今(2009年6月時点)、村上春樹の全著作を読んだと言えないが、読み終わった後でも同じ答えだと思う。「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」というふたつの世界が並行しながら進行し、混じり合い、影響し合い、溶け出して行く不思議な物語。しっとりと湿度感の高い、それでも乾いた春樹文体で物語が紡がれていく。“やみくろ”は、きっと邪悪なものなのだろうけれど、妙に親しみを持っている。「世界の終わり」の図書館を懐かしく思い出すことがある。まるで訪ねたことがあったかのように。

2011年春、漠然とした不安の中『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』という村上春樹インタビュー集を読み、なぜ『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が好きなのかを改めて自覚することができた。シュールレアリスティックな文体で書かれた物語として、著者自身も好きな作品だと語っている。そして、その作風を継続すれば“カルト的な作家”としての位置を確保できたであろうとも。そうなのだ。きっと村上春樹は、私にとってカルトの対象としておきたかった作家であり、『世界の〜』はその代表的な作品なのだ。

【快楽主義宣言より】

■「村上春樹、再発見」2011年4月3日

■「過去の未来、未来の過去」2010年9月23日

「2つの世界、2つの物語」2009年9月20日

「その1冊との出会い」 2008年4月20日

「僕らの声を聴け」 2005年5月26日