その東洋的表現「覇王別姫」
2005年 9 月17日(土)
人との関わりを感じた舞台を観た。舞劇「覇王別姫」。四面楚歌などの故事で有名な、項羽と虞美人、劉邦の物語。・・・陳凱歌監督、張國榮主演の「さらば、わが愛/覇王別姫」という映画との出会い。この舞台の制作協力として関わったEさんには、上海出張の際にお世話になった。公演スタッフとして事前に上海に飛んだ古い友人のKくん。彼のブログにも登場するYさんは、Eさんと同一人物。(日中の発音で表記が違うだけ)別々に知り合った不思議な縁。そんな仲間が関わっているだけに楽しみにしていた舞台。
突然「愛・地球博」に日帰り出張。偶然にも「覇王別姫」EXPOドーム公演最終日。会場のインフォメーションで公演の整理券が残っていないかどうか尋ねてみた。予想通りチケットはなし。万博内は有料イベントが開催できないため、東京公演で1万円以上のチケットが無料なのだ。その上、台風が接近し、新大阪までの往復運転となっていた新幹線も気になり、結局会場にいたEさんを訪ねなかった。(東京公演でお会いできた)
その数日後。東京公演は、静かに感動が訪れる不思議な舞台だった。ひとつひとつのポーズが美しく決まるのだけれど、万雷の拍手で迎えられる派手さはない。素晴らしい群舞、高度な跳躍に、じわじわと感動はやってくるのだけれど、がつんと殴られるような心の震えはない。なぜなんだろう。公演中、自分の心の動きがとても不思議だった。音楽も素晴らしかったし、妻が気に入った「馬」役の肉体のキレ、存在感は抜群だった。そして何より、虞美人を踊った朱潔静の美しさ。繊細な身体の線、指先、リフティングの後のステージに触れるか触れないかの瞬間に“重さ”の概念が消えてしまう柔らかさ。“舞い降りる”ということばの意味を知った瞬間だった。なのに・・・。
そうか、今まで私は、余りにも西洋的な感動や演出に慣れていただけなんだ。分かり易いパフォーマンスのエンタテインメントに。この“舞劇”という、台詞のないミュージカル、物語のあるバレエは、その東洋的な表現と音楽とで身体の深いところから沁みてくる美しさに満ちている。だからこそ、西洋人の役を演じる日本人=劇団四季≒TDLという楽しさではなく、中国人が演じる古代中国の英雄の愛の物語として、響いてくるんだ。妙に納得してホールを後にした。・・・それにしても、虞姫の細く長く美しい腕ったら。電車で吊輪をつかんでも、妻のように上腕二頭筋が盛り上がることもないんだろうなぁ。