美味と美景のホテル「パレスホテル東京」

Palace1生時代、数多くのアルバイトをしながら大学とアテネ・フランセに通っていた。コンサートのスタッフ、花屋の店員、英会話スクールの雑務など、経験した雑多な職種の中でも飲食系のサービススタッフの仕事が多かった。建て替え前の「パレスホテル」では、宴会場の配膳係だった。結婚披露宴でシャンパンを抜くタイミングがズレたりの失敗もあったけれど、飲食系サービスのマナーと技術の基本を学んだ場所でもあった。

Palace2時から(存在そのものは決して派手ではないけれど)パレスホテルは料理が美味しいと評判だった。宴会が終わった後、切り残したローストビーフをスタッフで味見することができた。ローストビーフ初体験。牛丼ばかり食べていた学生にとって、この世には何て美味しい肉料理があるんだ!という衝撃の味だった。…それから40年。当時の貧乏学生は、自腹でパレスホテルに食事に行けるくらいのオトナになった。感涙。

Palace3人たちと一緒に向かったのは「琥珀宮」というホテル内にある中国飯店系の中華レストラン。「広東料理Foo」のサービススタッフだった根本さんが支配人を務める店だ。初訪問ということもあり、ランチでお試しと伺ったところ、絶品料理にノックアウト。前菜のローストポークの香ばしさ、点心5種の大根もちの絶妙な歯ざわり。悶絶の美味しさ。最もお手頃な彩り点心コースでも、味もサービスもボリュームにも満足。美味。

Palace4ンチの後は、客室でティータイム。その日は日曜日。最優先のスカッシュスクールは休講のため、お気楽妻のリクエストで5年ぶり2度目の「パレスホテル東京」に宿泊。客室のタイプは前回同様に皇居や和田倉噴水公園を望むVIEW、そしてちょっとゼータクに前回のデラックス(45㎡)よりやや広めのグランドデラックス(55㎡)。広めのバルコニー、そして何と言ってもバルコニーに面したVIEWバスが嬉しい。

Palace5ルコニーから眺められるのは、左手に東京駅近辺に聳えるスカイスクレーパー群。その高さ(100m)でかつて物議を醸した東京海上の茶色のビルが埋没する、丸ビル(179m)、新丸ビル(198m)をはじめとした200m近くの高さのビル群が皇居のお濠に沿って連なり、日比谷公園の傍らには出来立ての東京ミッドタウン日比谷(192m)が鎮座する。正面には虎ノ門、六本木、赤坂方面のビルが林立し、皇居の緑を縁取る。美景。

Palace6京は美しい街なのかもしれない。決して景観を優先してきた訳ではなく、都市全体のグランドデザインもない。継ぎ接ぎだらけで、部分最適。けれども侵すべからざる空間として、皇居(江戸城)という存在が都心のさらに核となる景観を守った。パレスホテル東京を尖鋭として、皇居に攻め込んだビルたちはお濠で足止めを食らう。競うように立ち上がるビルたちは皇居を引き立てる額縁でしかない。だからこそ美しいのだ。

IMG_2335和40年代までは百尺(約30m)で制限されていた丸の内地区のビルの高さが、100m、200mと高層化すると同時に、複数のビルを合わせて建て替えることで大規模化を実現してきた。それらの丸の内のビル群の成長を、丸の内1−1−1という絶好の場所から見守っているのがパレスホテル東京だ。ビル群と緑が眩しい日中の風景も、黄昏時の眺めも、各ビルがその輝きを競い合う夜景も、どれも美しく、眺めて飽きることがない。

Palace8朝、朝食はインルームダイニングで。お気楽妻はお約束のエッグベネディクトがメインの洋食を満足そうに頬張る。私が選んだ和朝食は、ホテル朝食ランキングで自分史上最高の水準。どれも手が込んだ少量多品種の“おかず”がツボ。ついつい食べ過ぎたため、食後はレイトチェクアウトをお願いして、ジムでたっぷり汗を流す。「やっぱりこのホテルはいいね。住みたいね」と妻の評価は前回同様の最高水準。再訪必至。

スカッシュコート存続の為に「大分スカッシュプロジェクト」

SquashCourt1本におけるスカッシュの聖地、相鉄線緑園都市駅前にあった「横浜スカッシュパーク コータコート」は、そう呼ぶに相応しい素晴らしい施設だった。そのスカッシュ専門施設が保有する9面のスカッシュコートが2006年3月に閉鎖された。スカッシュプレーヤーにとっては、例えば野球なら甲子園球場が無くなるような、テニスなら有明の森が閉鎖されるような、決して大袈裟ではなく、それ程ショッキングな出来事だった。

SquashCourt2カッシュに限らず、スポーツもビジネスである以上事業として継続できなければ成り立たない。日本のスカッシュコートの現状は、ほとんどがスポーツクラブの中に設置されているということもあり、改装の際に閉鎖されるケースも多い。人気がなければ、空間効率の悪いスカッシュコートは排除されてしまう。コータコートも駅前立地ということもあり、所有者の相鉄がマンションに立て替えたのは正しい判断なのだと思う。

SquashCourt3んな一般論はさて置き、スカッシュプレーヤーとしては悲しく、悔しいNEWSだった。コータコートはお気楽夫婦が初めて大会に参戦した会場であり、全日本で千夏ちゃんが初優勝したのもコータだった。そこで立ち上がった2人の元チャンピオンがいた。1人は元学生チャンピオンの丹埜倫(敬称略)。コータコートの資材を利用し、「サンセットブリーズ保田」というスポーツ&宿泊施設を2007年にOPENさせた。*ブログ参照

SquashCourt7う一人のチャンピオンは、全日本7回優勝を誇る渡邊祥広。コータコートに選手及びコーチとして所属していた彼は、同じ横浜の地に「ヨコハマスカッシュスタジアムSQ-CUBE」を立ち上げた。スカッシュコートが無くなってしまうなら、自ら作ってしまおうという発想だけではなく、丹埜は10ヶ所以上の合宿施設を運営したり、渡邊は継続的にスカッシュ大会を開催するなど、ビジネスでもチャンプになっている。さすが。

SquashCourt52008年の秋、お気楽夫婦は(無謀にもワールドマスターズというスカッシュの世界大会参加のために)ニュージーランドに出かけた。大会の開催地となったクライストチャーチには、ラグビー場に隣接して複数面のスカッシュコートがあったり、コートを見下ろす2階にバーが付いており、観戦しながらビールを飲むことができたり、スポーツそのものだけではなくクラブライフを楽しむ環境が整い、文化として定着していた。

SquashCourt6ュージーランドに限らず、欧米の主要国や英領だった香港などの主要都市にはクラブ文化が確立している。メンバー同士の交流があり、クラブの経営者だけではなく、クラブメンバーたちが物心両面で施設を支えている。日本の総合スポーツクラブは、運営企業が設備とスクールやプログラムなどのソフトを用意し、会員が施設を使わせてもらい、プログラムに参加させてもらっている、という関係。そこには大きな隔たりがある。

SquashCourt9崎でスカッシュの火を灯し続けようと頑張っている女性がいる。宮崎県で唯一のスカッシュコート閉鎖を機に、自らスカッシュコートを新設した道下和子さん。彼女もスカッシュ(九州)チャンピオンであり、現在も現役プレーヤーとして大会に出場し続ける鉄人。全国のスカッシュプレーヤーたちにも協力を求め、2013年に「宮崎スカッシュクラブbuddy」を立ち上げた。クラブ文化を宮崎に創るためにも頑張って欲しい。Fight!

SquashCourt82018年、大分でも県内唯一のスカッシュコートが閉鎖されようとしている。そこで、クラウドファンディングによりスカッシュコート新設を実現しようと、地元在住の元スカッシュ(九州)チャンピオン東義智さんが「OITA SQUASH PROJECT」を立ち上げた。7月29日現在、目標金額には届いていないが、残り17日間で目標に到達しなくても建設資金に充当できる。お気楽夫婦も微力ながら協力。加油!東さん!

気楽夫婦には子供がいない。某国会議員に言わせれば「生産性がない」ということになるらしい。だったら、何を生産すべきかを考えてみる。自ら何かの基金を立ち上げたり、相続先を悩む程の資産はない。だったら僅かながらでも気になる対象にシェアしよう!それが結論。若い子にはご馳走しよう(笑)。見返りを期待しない寄付をしよう!(だから「ふるさと納税」はやらない)そんな心持ち。当然、スカッシュというスポーツに多少なりとも貢献したい、という気持ちになる。道下さんや東さんが「スカッシュへの恩返し」というメッセージを発していたけれど、そこはお気楽夫婦も同じ気持ち。かと言って、コートを自分で建設したり、事業を全面的にサポートしたりはできない。そこで、何ができるかという地点に戻る。スカッシュによって得られたモノへの感謝と返礼。だからこそスカッシュコートを存続のためのサポートだ。「…私たちも齢をとったってことだね」とお気楽妻。だね。

ムサコの夜は更ける「さよなら天神湯♨️」

Tenjin-Yu1湯が急激に減っている。昭和40年の東京23区内の銭湯の数は2,385ヶ所だったらしいから、各区平均で100カ所以上もあったということになる。それが平成27年で574ヶ所だから、約50年の間に1/4にまで減少したということだ。*お気楽夫婦の住む世田谷区では、151ヶ所から32ヶ所と1/5に減っている。家風呂の普及が最大の原因なのは間違いないが、スーパー銭湯等が増えていることを考えると原因は他にもあるのだ。

Tenjin-Yu27月22日、神奈川県川崎市にある1軒の銭湯が65年の歴史の幕を降ろす。私鉄の駅から商店街を抜けた住宅街にある、マンション併設の都市型銭湯。ある週末、お気楽夫婦は友人たちに誘われ、その銭湯に向かった。実はこの銭湯はスカッシュ仲間の実家。「廃業する前に一度は行ってみたいね。風呂上りにはビールでも一緒に飲もうか♬」…そんな企画。最寄りの駅に集まり、のんびりと銭湯まで散歩気分で歩き、入口で記念撮影。

Tenjin-Yu3まで迎えに来てくれたスカッシュ仲間は、番台の看板娘に早変わり。常連さんらしい客に声を掛け、声を掛けられる。地元に根付いた銭湯なのだろう。ただし、彼女はあくまでお手伝いの身。3代目の彼女は後継にはならず、他の姉弟同様に会社勤め。そうなのだ。銭湯廃業の理由のひとつが、後継者がいないこと。銭湯の仕事は重労働だし、夜も遅い。利用客の減少に伴い、効率の悪い生業になったのだろう。

Tenjin-Yu4して銭湯廃業の最大の理由が、この貼紙の挨拶文にある通り、施設(と従業員)の老朽化。事業を継続するには設備の更新が必要であり、投資の規模を考えれば敷地を効果的に活用する選択肢は他にもある。「スカッシュコート作れないですかね。1面なら確実にできそうだけど、2面だと柱が邪魔になりそうだな」同行の建築家と湯船に浸かりながら現地調査。以前から冗談で言っていたアイディアを、シャレ半分で検討する時間。

Tenjin-Yu5神湯に乾杯!」「65年間お疲れさま」「良い湯だった」風呂上がりのさっぱり気分で隣駅のムサコまで歩き、ビールをグビリ。美味しいに決まっている。やっぱり銭湯は街の宝だ。財産だ。けれども経営は大変だろうし、スカッシュコートにするにはさらに大変だろう(笑)。「やっぱりコート作るのは無理かなぁ」「本気だったら実測しに行くよ」「コートの横にはバーを作ろうよ」「あぁ、それ絶対良い!」「通っちゃう!」

Tenjin-Yu6湯がなくなる淋しさと、スカッシュコート建設という夢のような話が交錯する。「ワインもう1本飲んじゃおぉ〜っ!」お酒が好きで、スカッシュが好きという共通項で、ずっとお付き合いが続く楽しい仲間たち。かつてスカッシュの大会参戦で訪れたニュージーランドで、大会会場となったコートにバーなどが併設されたクラブの雰囲気、クラブライフに憧れた。仲間たちとあんな場所に集えたら、きっと楽しいに違いない。

カッシュコート、やっぱり作ろう!」「コートを見下ろすバーを作って…」話題がぐるぐる周り始める頃、何本目かのワインが空いた。いつの間にか「焼きトウモロコシとチーズのリゾット」を美味しいからとさらに追加オーダーしたヤツ(あ、俺だった)がいた。こうして美味しく楽しくムサコの夜が更けていった。

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