
梅雨明けの沖縄。遠方(沖縄)に向かう朋あり、共に向かった。彼女たちはゴルフ、お気楽夫婦はバドミントンと、渡沖の目的は違っても、南の島を楽しもうという思いはひとつ。日中は別行動で、夜の宴だけはご一緒しようという作戦。前回と顔ぶれが多少違うけれど、沖縄に共に旅するのは2回目。地元のゴルフ仲間の皆さんも交え、やはりゴルフ仲間が経営するイタリアンレストランで南の島の宴会。ゴルフやスカッシュの話題はもちろん、コンサートや芝居、美味しいモノなど、いろんなジャンルに話題が広がる。友人たちはもちろん、地元のゴルフ仲間も“楽しもう”というベクトルがきっと同じで、だからこそ初めて会うのにリラックスできるのだ。「それが上等さぁ♬」

「友達の友達は〜友達だ♬その友達の友達も〜皆な友達だ♬」という曲があった。1969年に水前寺清子が唄った「友達の唄」という曲。昭和の能天気な歌詞。けれど、それはその夜のテーマ曲だった。ご一緒したのはスカッシュ仲間のママ友たち。ところがその日は肝心のスカッシュ仲間はおらず、その上メンバーのおひとり(NYC駐在経験あり)は、お気楽妻と初対面。そこで冒頭の曲に繋がる。友達の友達は友達だ。もう一人は駐在中のダラスから一時帰国している間に時間を作ってくれた(すでにスカッシュ仲間を介さず)飲み友達。彼女が指定した店は、飯島直子がホストの某TV番組で中井貴一と小泉今日子を招いたビストロ。偶然にもその収録と同じ席に案内され、「わぁ〜!Kyon2と同じ席だ♬」と喜ぶ駐妻。ミーハーで可愛いぞ。彼女はアメリカでそのTV番組を視て「美味しそう!」と店を選んだという。そしてNYC駐在経験のあるママ友は家族で思い出の街を訪ねるという。そんなメンバーで「トランプはきっと暗殺される」などと、物騒なUSAネタなどで話も弾み、再会を約束し散会。

恵比寿のスポーツクラブのスカッシュレッスン仲間が集まったのは、クラフトビールの店。共通のコーチを囲んで初めての顔ぶれで暑気払い。何度も同じコートでスカッシュをしていても、同じ場で酒を酌み交わさなければお互いの“核”の部分は分からない。←昭和のオヤジ的発想。メンバーは、恵比寿という街で、平日の日中に、毎週スカッシュのレッスンを受けられるということ(月〜金勤務の会社勤めではない)だけでも同種、同類の仲間だということなのだろう。スカッシュはもちろん、共通の話題も多く、幅広く、改めて一人ひとりのキャラクターがはっきりと際立ち、今まで以上に親しみも湧く。今までと同じようにコートに入っても、今までより距離が近くなったのが嬉しい。

横浜の別荘(ハイアット)に滞在する度にご一緒するのは、横浜在住の友人夫妻。別荘ができて(2020年開業)からは、以前より頻繁に会えるようになった。彼らの自宅から歩ける場所に(彼らの場合に限定:その距離は5km以上‼︎)別荘があるということもあり、年に数回、別荘近辺で一緒に食事をした後は、決まって別荘に立ち寄り、夜の散歩をしながら帰宅するというのが常。「IGAさんたちは私たちより詳しい‼︎」と友人(妻)に言われるように、毎回訪問したい店を探し出し、彼らをお招きする。その日は敢えて中華街ではない場所で、メニューを見るとビビってしまう高級中華料理店をチョイス。友人(夫)の誕生祝いだし、お互い良いオトナだしと選んだ店。これが大正解。料理の味はもちろん、お願いしたお祝いメッセージは桃饅頭付きで出していただくなど、きめ細やかなサービスにお友人夫妻も満足の様子。いつものように別荘経由で徒歩でご帰宅。

文字通り世界各地を飛び回る2人とお祝いの席を設けた。お2人の婚約をお祝いしようとやりとりしながらスケジュールが合わず1年が過ぎ、ようやく実現した宴席もやはり中華料理店。その間、「今年の目標は世界ランキング10位内です」と言っていた日本スカッシュ会の至宝、渡邊聡美ちゃんの世界ランキングは6位まで上がった。凄い、これは凄い、もの凄い。お祝いをせねば!という宴席でもある。PSA(プロスカッシュツアー)参戦の聡美ちゃんはイングランドがベース、ジュニア日本代表コーチの海道くんは年間の半分は海外遠征の日々。2人一緒に日本でお祝いの席を設けられたのは奇跡的。来年名古屋で開催されるアジア大会、そして2028年のLAオリンピックでのメダル獲得に向けて、さらにはその後の2人のビジョンについて、それぞれの話が聞けた貴重な時間でもあった。お気楽夫婦にできることは限られるけれど、細やかながら引き続きサポートして行きたいと思わせる、力強く頼もしい2人だった。
近頃、お気楽夫婦の仕事は「旅人」と嘯いている。これは着実に実行できている。そして2つ目の仕事は「スカッシュ」だとも。週3回スカッシュのレッスンに通うお気楽妻(私は2回)、それができる(時間的、経済的、肉体的)環境を共に実現できているのは嬉しい限り。そして何よりスカッシュを通じて、あるいはスカッシュをきっかけに、友人たちを訪ねたり、ご一緒していただく日々はありがたいことだ。
とは言え「70歳までスカッシュやるよ‼︎」と、随分前に妻に宣言されたけれど、それもあと数年に迫った。今後は、スカッシュとどう付き合っていくか、そしていつまで旅人でいられるか。悩ましい日々でもある。「考える前に、まずは日々実行だよ!」とお気楽妻。了解(汗)。

揃ってセミリタイア生活に入ったお気楽夫婦。どこに行っても混み合うGWにわざわざ出かける必要はない…はずなのに、諸々の事情であちこちに出かけた2025年の春。まずは世界各地に駐在した後に何故か世田谷からつくばに居を移した友人を訪ねた。調査によれば魅力度で毎回最下位近辺に沈む茨城県。訪ねてみれば決してそんなことはない。関東平野を一望する(はずの…曇天でした)筑波山や、広大な敷地にゆったりとした施設が点在する筑波大学など魅力たっぷり。ベランダに出るちょっとした時間も日焼け止めを忘れないと言うお肌ピカピカの友人からはワタシの卒業祝いのサプライズ企画もあり、“茨城再評価”の旅になった。*間もなく古希を迎えるはず?の友人の美魔女ぶりは健在。

翌日はひたちなかに住む妻の従妹を訪ね、偶然にもネモフィラが満開の「国立ひたち海浜公園」を散策。小さい頃から仲の良かった2人は今でも頻繁に連絡を取り合い、近況はお互いに知っているものの、会うのはなんと16年ぶり。菜の花やネモフィラ、チューリップの咲き誇る広大な丘を肩を並べて歩きながら、話は尽きない。小柄な2人は姉(妻)のお下がりのワンピースをピアノの発表会(従妹はピアノの先生)で着たり、妹(従妹)からお礼だと送ってくれる干し芋を楽しみにしていたりする、そんな微笑ましい擬似姉妹。これからはもっと頻繁に会えるだろうし、また会おうねと別れた2人。卒業したからこそ、そんな精神的・時間的な余裕ができたことが側からも見ても嬉しい。

高校時代の同級会が都内で開催されたのはGWに突入する直前の週末。故郷山形からも大勢の懐かしい顔がやって来た。ほとんどは卒業して以来初めて、すなわち50年ぶりに会うメンバーばかり。同級会あるあるで、会場に入って席についても誰が誰やら、ほとんど判らない。胸の名札を見ながら相手の変貌ぶり(お互い様だけど)に驚きながら、昔話に花が咲く。あっと言う間に50年前にタイムスリップする時間も不思議で、それにも増して楽しい。かつての若々しい同級生たちの姿が蘇る。乾杯の前に亡くなった同級生たちに献杯というお約束の進行ではあるが、その物故者の多さに驚愕。いかに見た目が変貌し劣化(失礼!!)しようが、こうして元気に集まることができる幸福を胸に刻む。
*会場で急遽作られたLINEグループでのやり取りに、近所に熊が出た!猪も!などというやり取りがあるのもご愛嬌。かつては熊が出る!などと聞いたこともなかったのに、今や田舎あるある?

妻の故郷浜松を訪ねる前に「富士スピードウェイホテル」に数日滞在するのも最近のお約束。ホテル名の通り、サーキットに面するホテルの客室から高速で走るスポーツカーを眺めるのも楽しいが、朝に夕に眼前に眺めることができる富士山が実に素晴らしい。富士山のいろいろな表情を観られる幸福。さらには外資系のリゾートホテルとしては珍しいと思うのだが、客室から部屋着とサンダルで温泉大浴場に行くことができる。そして浴室から雄大な富士を眺めることができ(それもだいたい空いている)、なんと(笑)湯上がりのコーヒー牛乳を(無料で)飲めるという贅沢。レストランの質の高さ(味もサービスも)と並び、お気楽夫婦がこのホテルを気に入っている理由のひとつだ。

妻の故郷で待っているのは義父母だけではなく、「割烹 弁いち」という老舗の料理店。毎年お節料理を頂いてはいるけれど、店に伺うのは久しぶり。そしてこの季節、この店に伺うのは格別。楽しみにしていた春の山菜、そして筍が待っていてくれた。全国各地の旬の厳選食材と酒を2人が“幸福のカウンタ”と呼ぶ個室(厨房に隣接する最大で4人までのカウンタ席)で味わう。絶品料理に合わせ、厨房から顔を出してくれる店主の鈴木さんがセレクトしてくれる酒(蔵や杜氏のエピソード付き)を堪能する。いつもと変わらぬ、なのに毎回新鮮にその味に唸る、料理と酒と時間と空間。妻と2人、満足の笑みを交わし合い、やっぱり美味しいねと頷く。これを幸福と言わず何と言おうか。

静岡には「しぞーか(静岡)おでん」という名物がある。イワシを使った黒ハンペンも薄い色に見えるほど真っ黒な煮汁。浜松の人はあまり食べない。東西に広い静岡県は伊豆(東部)、駿河(静岡市を中心とした中部)、遠江(浜松市を中心とした西部)に別れ、少しづつ文化、風土が違う。そして静岡市と浜松市には微妙なライバル意識(群馬県の前橋と高崎のような?)もある。けれど、「だもんで」という方言を多用することとか、共通することももちろん多い。同じ県だしね。とは言え、円く焼いて真ん中にもやしを配する「浜松餃子」などは、静岡市民は「この辺じゃ食べんもんで」とか言っているのだと思う。でも、もちろんどちらも旨い。そんな因縁?の料理も仲良く?2人を待っていた。
こうしていつものように慌ただしくGWは過ぎて行った。ただし、違うものもあった。重ねた時間の分だけ、ひとり娘を待っていた義父母は緩やかに老いた。50年ぶりに会った同級生たちが確実に年齢を重ねたのと同じように。客観的に比較する対象が一同に集まった場で、そう思わざるを得なかった。あぁ、自分はこんな年齢なんだと。ましてやその親の年齢は言うまでもない。妻は月に一度以上、家事のサポートのために帰省している。*親子だけの時間を過ごしてもらうために、私は3回に一度くらい。妻も親元を離れて40年以上経ち、改めて親子の時間を過ごしている。かつての親子の形とは違うけれど、それも幸福な時間なのだと思う。
来年のGWも、いつものように、少しでも長い間親子の時間を過ごしてもらうために、あらゆる家事に活躍するマスオさんとして浜松に同行できますように。