いつもと違う、いつもと同じ「2026年START!!」

2026start012026start022026start032026start042026年、新しい年を迎え早くも20日余り。あっという間に日々が過ぎていくのは例年通りではあるが、今年は少しいつもの正月と違った。年末の仕事納めの後、新幹線で西に向かうのがお気楽夫婦の恒例行事。妻の生まれ故郷、浜松に義父母を訪ねるのがお約束だった。ところが今、その義父母はお気楽夫婦の住いから歩いて15分ほどの場所に住んでいる。前年に一大決心をして高齢者向けのサービス付き賃貸住宅に引っ越し、東京都民になったのだ。そのため、浜松訪問はなくなり、久しぶり(コロナ禍で義父母に来訪を拒否されて以来)に年末年始に都内の自宅で過ごすことになった。すると、決して重荷ではなかったはずの妻の実家での短期滞在がなくなっただけで、気持ちが軽くなったのに気が付いた。それは妻も同様らしく、「年末年始のスカジュールが楽になったね、初詣はどこに行こうかとか」などと、やや浮かれ気分。*結局、近所の寺町巡り(大河ドラマ『べらぼう』でファンになった喜多川歌麿の墓参りを兼ねて)、水木しげる所縁の布多天神社など、いくつかの寺社に初詣♬

2026start062026start052026start072026start08ちろん年末には義父母を訪ねて忘年会を、元旦には行きつけの鮨屋で手配したお節料理を抱えて新年会をささやかに開催した。雑煮を作ったり、家事全般にフルで活躍する、いつものマスオさん。忘年会では通販で手配した石狩鍋を、新年会では沖縄旅行でオーダーした「サンスーシー」の京都白味噌の雑煮をそれぞれ作り、出張料理人の面目躍如。さらには、1月が誕生日の義父のお祝いを開催。何と義父は90歳!!「卒寿」のお祝いということで、ご近所の鰻屋で鰻重やら白焼を準備し、食事の後には娘(お気楽妻)からプレゼントの贈呈。2人で選んだ「パパス」のシャツとカーディガン。引越しの際に「洋服を処分し過ぎて(笑)着るものがない!と嘆いていた義父にとっては何より嬉しいプレゼントだった模様。さっそく着てみたら?と促され、着替えてきた義父の目には涙。彼がふだんなら選ばないような色使いで選んだシャツもカーディガンもよく似合っている。「ワタシにはないのぉ?」と笑顔の義母、そして「捨てずにいっぱい持ってきたでしょ!」と突っ込むひとり娘、「ありがとう。ほんとに嬉しい」と涙顔の義父のコントラストが愉快だ。

2026start092026start10年会は他にも数多く開催。前職の先輩諸氏とは「銀座ライオン」で、映画の話、(先輩の豪快な)父親の話、などなど尽きない話題で盛り上がる。初めての顔ぶれだったが、「楽しかった。またやろーぜぃ」「いい飲み会だった」とご一緒したお二人からのコメントもあり、今後も恒例の会になりそうで嬉しい限り。年上の先輩と飲む機会が少ないお気楽夫婦。肩肘張らずにリラックスして飲める先輩の存在は貴重でありがたい。同じく銀座の老舗スペインバル「エスペロ」に集まったのは、ゴルフ(お気楽夫婦はやらない)仲間。同じホテルに宿泊し、彼らは日中にゴルフを、お気楽夫婦はバドミントンやスカッシュを、それぞれやった後に夜の宴会で合流するというメンバーたち。考えたら不思議な旅行仲間であり、飲み仲間だけれど、数ヶ月も先のスケジュールを調整できる同じノリのメンバーとのやり取りはいい感じ。その日は“夏はニセコに行こう!”と盛り上がる。彼らはゴルフ、お気楽夫婦はパデルで!と計画確定。

2026start112026start12本木の別荘では(元)スカッシュ仲間の還暦を祝う会として開催。思えば全員が出会って30年近くのお付き合い。お祝いにと作成したムービーはその出会いから現在までの画像を使った感涙ものの出来。皆んなで「懐かしい!」「若〜〜いっ!!」と笑い合い、当時のことを思い出しながら飲み明かす。「次は2年後に僕の時にもやってもらえますか?」とメンバーの1人が控えめに呟けば、「ワタシは11年後です!IGAさん元気にいてください!きっと元気そうですね」と後輩女子が笑う。どちらもできると良いね(他人事?)。その翌日には娘(のような友人)夫妻と、可愛い孫娘も六本木にやって来た。可愛いだけでなく、自分を(子供だと)きちんと分かっているし、自己主張も(わがままではなく)できる、賢い孫娘。子供が苦手な妻も、そんな孫娘とは仲良し。現在2歳。今まで沖縄でも、バンクーバーでも、もちろん日本でも何度も会っているけれど、いつまで遊んでもらえるものやら。…すっかり本気のジジババ状態。

他にも香港OPENでご一緒したメンバーとの打上げの会、ずっとお世話になっているフットケア店の社長との会、転職したかつての(かなり年下の)同僚のお祝い等、これから開催する予定の新年会を含めると、その頻度は例年以上。公的な(仕事絡みの)新年会は参加しなくなったことを考えると、これはすごい。①会いたい人に、会える内に会っておく、②時間とお金と気力と体力は、ある内に使っておく、というお気楽夫婦のモットーにぴったりな新年のスタートだ。

VIVA!! HongKong!!「香港OPEN2025」

HongKong02HongKong01田発8:50NH859便で向かうのは香港。空港のラウンジでも、機内でも、食すのはフルーツやナッツ程度。香港国際空港到着12:55。すぐにTAXIに乗り込み、ホテルに直行。グランドクラブのカウンタで「Welcome back!」と言われながらチェックイン。そして荷解きもそこそこに階上のビクトリアハーバーを一望するラウンジに向かう。お目当てはこの時間に提供されるアフタヌーンティ。3段のスタンドではないけれど、ビュフェスタイルでセイボリーやスコーン、スイーツが供される。機内食を食べるのを我慢した甲斐がある美味しさ。ビールを飲みつつローストビーフのミニハンバーガー、サンドウィッチで軽くお腹を満たし、クロテッドクリームをたっぷり付けたスコーンをいただく。プティシュークリームとクッキーは紅茶と一緒に。英国統治が長かった香港らしい、そして本家イングランドよりよほど美味しい正統派のアフタヌーンティ。「あぁ〜香港に帰って来た」と実感するひと時だ。

HongKong03HongKong04行先、もとい宿泊先はいつもの「グランドハイアット香港」、客室はこれまたいつものグランドスイート「××10号室」。ベッドルームからは香港島の中心部、中環(セントラル)の超高層ビル群の夜景が眺められ、リビングルームからはビクトリアハーバーを挟んで両岸の街の灯りが美しい。とは言っても、今年は太埔地区で発生した大規模火災の追悼期間中だったため、イルミネーションを控えていたり、毎晩開催されるレーザーショーも休止していたりと例年よりずっと落ち着いた光量だ。かつて1995年に初めて香港を訪れた際に、巨大なビルの壁面全てを使ったイルミネーションが競うように輝いていた。中国への返還前、香港がまだ香港であった頃。大きな地下鉄駅の周辺でも裏通りは恐々歩いた頃。ビルの壁面には競うように派手な看板が水平に飛び出し、どの窓からも洗濯物がやはり水平方向に突き出した物干し竿に干されていた頃。工事中のビルの足場は100%竹だった頃。*今回の大規模火災も竹の足場が話題でしたね。

HongKong06HongKong05ころで、今回の香港訪問の目的はいつものように「スカッシュ香港OPEN」という世界TOPクラスの大会観戦だ。さらにここ数年は日本女子No.1の渡邊聡美ちゃんの応援というミッションも加わった。仕事の関係で長期に休みを取れなかったこともあり、聡美ちゃんの大会参戦前までは週末に掛けて香港を訪れ、準々決勝くらいから観戦し、世界のTOP選手のプレーを堪能するというのが常だった。ところが嬉しいことに(お気楽夫婦の仕事に時間的な余裕ができたこともあり)聡美ちゃんの応援のためにと1回戦から観戦し、2回戦、準々決勝とチケットを押さえて観戦するようになった。世界のトップ選手たちと対等に戦える日本人選手が現れ、応援できるなど、初めて香港OPENを観戦した1998年には考えられなかった奇跡のような幸福。聡美ちゃんの戦績も2022年、2023年にはベスト8、2024年にはベスト16と安定した好成績を残していた。今回も1回戦から準々決勝までチケットをゲット!準備は万端のはず、だった。

HongKong07HongKong08ころが、聡美ちゃんはお気楽夫婦の予想と期待を軽々と超えていった。1回戦、2回戦と順当に勝ち上がり、準々決勝で世界ランキング4位(現在は3位、聡美ちゃんは世界ランキング7位で第6シード、現在は6位)のエジプトの若手ホープ、第2シードのAmina Orfiと対戦。*直前のチャイナOpenでは0−3のスコアで負けて入るものの、それまでの勝敗は3勝3敗と相性は悪くない。そして、4面グラスコートでお気楽夫婦やコーチ、同僚が見守る中、何と3−2で勝利!! 準決勝に進んだのだ。素晴らしい!プラチナグレード、賞金総額3,500万円というグレードの大会(年に5大会のみ、さらにその上はダイヤモンド2大会)で、TOP4!!!!!。日本のスカッシュ界における史上最大のNewsと言っても良い快挙。それも来年以降、それ以上の快挙を聡美ちゃん自身が果たすだろうけれど。素晴らしい!!!!。その場にいることができて、勝利の瞬間に立ち会えたことは鳥肌もの。Thanks!!聡美ちゃん。

HongKong11HongKong12美ちゃん勝った!でも残念ながら翌日のチケットはない(涙)」とSNSにアップすると、「ファイナルのチケットは買いましたよね」と友人からツッコミが入る。残念!準決勝以降のチケットは買っていないのだった。そこで翌日の準決勝は香港の別荘(グランドハイアット香港)のラウンジにパソコンを持ち込み、カクテルタイムの豪勢な料理とわんこシャンパンを楽しみながらスカッシュTVで観戦。USAのTOPプレーヤー、世界ランキング5位、第4シードのOlivia Weaver と対戦。残念ながら1−3で敗退。それまで0勝2敗、いずれも0−3で負けていたオリビアから1Gを取り、次の試合では勝利の期待が持てる試合だった。「終わったね〜」と脱力したお気楽妻。1回戦からTV観戦の準決勝まで6日間の観戦。香港もスカッシュもたっぷりと楽しめた。

通算21回目の香港渡航、11回目の香港Open観戦もこうして無事に終了。スカッシュというスポーツと、聡美ちゃんという稀有なプレーヤーと出会えたことで、お気楽夫婦にとって香港という街は特別なものになった。来年も、こうして香港に来なきゃね。「当然だよ!来年は1回戦から決勝まで、全部チケット取るよ!」とお気楽妻の鼻息は荒い。そうだね。きっと聡美ちゃんが決勝に行ってくれるね。VIVA!! 香港!! VIVA!! SQUASH!! 来年も!

Au revoir !! 浜松「センチメンタル・ジャーニー(2日/3日目)」

hamamatsu13hamamatsu14hamamatsu15松にあるスポーツクラブ「ESPO(エスポ)」は、お気楽夫婦が知る限り、日本で1番(当社比)の施設だと思う。*吹抜けで広々とした明るいプール、ジャグジー、無料のマッサージチェアなど、施設面でもソフト面でも。浜松に通い始めて20年余り、その度にクラブを訪ね、地元のスカッシュメンバーの皆さんとコートに入った。年に2〜3度伺うことでもあり、ラケットとシューズは浜松に常備していた。公式のコートが2面。コートのコンディションの良さはもちろん、コートに集まるメンバーが魅力的だった。その中心にいたのがWご夫妻。住んでるんじゃないか?と思うほど、毎回訪れる度に朝からずっとコートにいた。メンバーに区別なくフレンドリーに声を掛けて一緒にコートに入り、初心者には一から手ほどきをし、コートを活性化し続けた。彼らのおかげで浜松に大勢のスカッシュ仲間ができ、大勢の方と一緒にプレーできた。毎回浜松訪問の楽しみのひとつだった。このコートにも今まで通りに伺うことができなくなってしまう(涙)。スカッシュの後で、中華の名店「氷箱里(ピンシャンリー)」で「これまでありがとうございました!」と、ご夫妻と乾杯したら、「また来ますよね」と返された。多謝。えぇ、また伺いますとも。

hamamatsu16hamamatsu17hamamatsu18松城に行きたいと妻に伝えると、「え!行ったことなかった?」と驚かれた。家康が若かった頃に居城とした浜松城は、「出世城」とも呼ばれ、家康の後の城主も大出世したとか。まぁ、今さら肖って出世したいでもなし、身近すぎて行かなかったというのが本音。行ってみれば再現された天守からの眺めも良く、周囲も広々のんびりとした佇まいで、市民の“憩いの場”感が漂う好感度の高い公園だった。続いては始発駅「シン・ハママツ(ここでもエヴァとの連携)」から遠州鉄道通称“赤電”に乗車(それも運転席の見える最前列)し、終点の西鹿島駅を目指す。お目当ては従弟に勧められた「秋野不矩美術館」。地元浜松出身の日本画家、秋野不矩の作品の展示を中心とした美術館。その独特の空気感を持った外観だけでなく、展示空間には靴を脱いで入館するなどちょっと不思議な雰囲気。その建物の周辺だけが異空間に属し、時間も歪んでいるような奇妙な感触。浜松の市街地からは遠いけれども、建築好き&美術愛好家には一見の価値はある。

hamamatsu19hamamatsu20hamamatsu21松最終日のランチはうなぎ。旅の計画時からそう決めていた。浜名湖周辺ではかつてはうなぎの養殖が盛んだったことから、浜松といえばうなぎと有名だった。現在は養殖池も減った(以前は新幹線の車窓からたくさん見えた)ものの、それでも浜松市内にはうなぎ屋が多数ある。それも、地理的条件から、3種類の食べ比べができる珍しく嬉しいい街だ。ひとつは、腹開きで蒸さずに焼く関西風、もうひとつは背開きで素焼きの後に蒸して焼き上げる関東風、さらには名古屋風の“ひつまぶし”だ。*ちなみに浜松では“ウナ茶”と呼ぶ店もある。これまで浜松を訪ねる旅にほぼ毎回あちこちの店でうなぎをたっぷりと食べてきた。それでは区切りの浜松訪問として何風を選ぶかと迷いつつ、都内では余り食べられない関西風+うなぎ茶漬けを供する「濱松地焼き 鰻 まさ」という店をチョイス。結果、大正解だった。肉厚で大きいウナギが重箱からはみ出さんばかりに乗っている。表面はカリッと、中はふっくらというまさしく関西風。それを薬味と一緒に食べ、その後に出汁でいただくウナ茶がまた旨い。しみじみ幸福な浜松の味。

hamamatsu22hamamatsu23hamamatsu24松みやげと言えば「うなぎパイ」。定番中の定番だ。春華堂という地元のメーカーが昭和36年に発売した、今年でちょうど還暦のロングセラー商品。何といっても安定して旨い。*中でもブランデー入りの「うなぎパイV.S.O.P」が抜群に旨い(当社比)。とは言え、全国区で有名なのに、ほぼ静岡県内(*割れやすく発送に不向きとの判断らしいが、地域限定の希少性?からか転売ヤーが倍の価格で販売し問題になった)でしか買えない。これが嬉しい。妻は新幹線の車窓からホームを眺め、例えば静岡駅から乗ってくる人たちが春華堂の手提げ袋を持っていると、ふふんっと鼻じらむ。それは静岡ではなく浜松みやげだよ!と心の中で叫んでいるに違いない。今回はすっかり東京都民になった義父母からみやげとして頼まれ、自分たち用に買って帰って来た。まさしく浜松人のソウルフードだ。他にも、「浜松餃子ポテトチップス」などの地元限定ポテチ、「治一郎のバームクーヘン」、「みそまん」、などなど、語りたいものはたくさんあるが、自己規制文字数が限られるので今回は深くは触れない。けれど、こう書きながらふと思う。あれ?すっかり私は浜松の人?

浜松に向かう新幹線の車内で、2人宴会を行うのも楽しみだった。お気楽夫婦のSNS仲間にとっては、季節の風物詩。年末になると、新幹線の狭い折畳みテーブルの上に乗り切れないほどのつまみや弁当を載せてビールを飲む(私だけ)風景がアップされると、あぁ年末になったんだなぁと思っていた?と思う。お気楽妻が“ひとり娘”になるための、ある種の通過儀礼?のような時間。私にとっては“マスオさん”生活に向かうための準備だった。もうそんな宴会も開かれない。「また行けば良いじゃない」と、お気楽妻は言うけれど、今までとは意味合いが違う。今回の浜松旅行で、私にとって第二の故郷とも呼べる浜松には別れを告げた。新たな旅先としての浜松を訪問することはあっても、それは違う街だ。とは言え、「Adieu ! (永遠のさよなら)」ではなく、「Au revoir !! (また会う日まで)」と、浜松に言おう。

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