Au revoir !! 浜松「センチメンタル・ジャーニー(2日/3日目)」

hamamatsu13hamamatsu14hamamatsu15松にあるスポーツクラブ「ESPO(エスポ)」は、お気楽夫婦が知る限り、日本で1番(当社比)の施設だと思う。*吹抜けで広々とした明るいプール、ジャグジー、無料のマッサージチェアなど、施設面でもソフト面でも。浜松に通い始めて20年余り、その度にクラブを訪ね、地元のスカッシュメンバーの皆さんとコートに入った。年に2〜3度伺うことでもあり、ラケットとシューズは浜松に常備していた。公式のコートが2面。コートのコンディションの良さはもちろん、コートに集まるメンバーが魅力的だった。その中心にいたのがWご夫妻。住んでるんじゃないか?と思うほど、毎回訪れる度に朝からずっとコートにいた。メンバーに区別なくフレンドリーに声を掛けて一緒にコートに入り、初心者には一から手ほどきをし、コートを活性化し続けた。彼らのおかげで浜松に大勢のスカッシュ仲間ができ、大勢の方と一緒にプレーできた。毎回浜松訪問の楽しみのひとつだった。このコートにも今まで通りに伺うことができなくなってしまう(涙)。スカッシュの後で、中華の名店「氷箱里(ピンシャンリー)」で「これまでありがとうございました!」と、ご夫妻と乾杯したら、「また来ますよね」と返された。多謝。えぇ、また伺いますとも。

hamamatsu16hamamatsu17hamamatsu18松城に行きたいと妻に伝えると、「え!行ったことなかった?」と驚かれた。家康が若かった頃に居城とした浜松城は、「出世城」とも呼ばれ、家康の後の城主も大出世したとか。まぁ、今さら肖って出世したいでもなし、身近すぎて行かなかったというのが本音。行ってみれば再現された天守からの眺めも良く、周囲も広々のんびりとした佇まいで、市民の“憩いの場”感が漂う好感度の高い公園だった。続いては始発駅「シン・ハママツ(ここでもエヴァとの連携)」から遠州鉄道通称“赤電”に乗車(それも運転席の見える最前列)し、終点の西鹿島駅を目指す。お目当ては従弟に勧められた「秋野不矩美術館」。地元浜松出身の日本画家、秋野不矩の作品の展示を中心とした美術館。その独特の空気感を持った外観だけでなく、展示空間には靴を脱いで入館するなどちょっと不思議な雰囲気。その建物の周辺だけが異空間に属し、時間も歪んでいるような奇妙な感触。浜松の市街地からは遠いけれども、建築好き&美術愛好家には一見の価値はある。

hamamatsu19hamamatsu20hamamatsu21松最終日のランチはうなぎ。旅の計画時からそう決めていた。浜名湖周辺ではかつてはうなぎの養殖が盛んだったことから、浜松といえばうなぎと有名だった。現在は養殖池も減った(以前は新幹線の車窓からたくさん見えた)ものの、それでも浜松市内にはうなぎ屋が多数ある。それも、地理的条件から、3種類の食べ比べができる珍しく嬉しいい街だ。ひとつは、腹開きで蒸さずに焼く関西風、もうひとつは背開きで素焼きの後に蒸して焼き上げる関東風、さらには名古屋風の“ひつまぶし”だ。*ちなみに浜松では“ウナ茶”と呼ぶ店もある。これまで浜松を訪ねる旅にほぼ毎回あちこちの店でうなぎをたっぷりと食べてきた。それでは区切りの浜松訪問として何風を選ぶかと迷いつつ、都内では余り食べられない関西風+うなぎ茶漬けを供する「濱松地焼き 鰻 まさ」という店をチョイス。結果、大正解だった。肉厚で大きいウナギが重箱からはみ出さんばかりに乗っている。表面はカリッと、中はふっくらというまさしく関西風。それを薬味と一緒に食べ、その後に出汁でいただくウナ茶がまた旨い。しみじみ幸福な浜松の味。

hamamatsu22hamamatsu23hamamatsu24松みやげと言えば「うなぎパイ」。定番中の定番だ。春華堂という地元のメーカーが昭和36年に発売した、今年でちょうど還暦のロングセラー商品。何といっても安定して旨い。*中でもブランデー入りの「うなぎパイV.S.O.P」が抜群に旨い(当社比)。とは言え、全国区で有名なのに、ほぼ静岡県内(*割れやすく発送に不向きとの判断らしいが、地域限定の希少性?からか転売ヤーが倍の価格で販売し問題になった)でしか買えない。これが嬉しい。妻は新幹線の車窓からホームを眺め、例えば静岡駅から乗ってくる人たちが春華堂の手提げ袋を持っていると、ふふんっと鼻じらむ。それは静岡ではなく浜松みやげだよ!と心の中で叫んでいるに違いない。今回はすっかり東京都民になった義父母からみやげとして頼まれ、自分たち用に買って帰って来た。まさしく浜松人のソウルフードだ。他にも、「浜松餃子ポテトチップス」などの地元限定ポテチ、「治一郎のバームクーヘン」、「みそまん」、などなど、語りたいものはたくさんあるが、自己規制文字数が限られるので今回は深くは触れない。けれど、こう書きながらふと思う。あれ?すっかり私は浜松の人?

浜松に向かう新幹線の車内で、2人宴会を行うのも楽しみだった。お気楽夫婦のSNS仲間にとっては、季節の風物詩。年末になると、新幹線の狭い折畳みテーブルの上に乗り切れないほどのつまみや弁当を載せてビールを飲む(私だけ)風景がアップされると、あぁ年末になったんだなぁと思っていた?と思う。お気楽妻が“ひとり娘”になるための、ある種の通過儀礼?のような時間。私にとっては“マスオさん”生活に向かうための準備だった。もうそんな宴会も開かれない。「また行けば良いじゃない」と、お気楽妻は言うけれど、今までとは意味合いが違う。今回の浜松旅行で、私にとって第二の故郷とも呼べる浜松には別れを告げた。新たな旅先としての浜松を訪問することはあっても、それは違う街だ。とは言え、「Adieu ! (永遠のさよなら)」ではなく、「Au revoir !! (また会う日まで)」と、浜松に言おう。

さらば浜松(涙)「センチメンタル・ジャーニー(1日目)」

hamamatsu01hamamatsu02hamamatsu03父母が東京都民になって2ヶ月が経った。何の躊躇もなく東京移住を決断し、後ろ髪を引かれることもなく、80年以上住んだ“浜松”を後にした義父母に代わり、浜松を訪ねたお気楽夫婦。2泊3日の感傷旅行(妻の故郷を失ったセンチメンタル・ジャーニー)だ。まずは「浜松餃子」の名店「むつ菊」を訪ねた。浜松餃子の特徴は、野菜たっぷりのタネと店独自のタレ。カリッと円形に焼いた餃子の中央にもやしを乗せる。薄い皮がパリパリとして香ばしく、中はふわっと優しい歯応え。ビールにぴったり。あっさりとしていて少食の2人でもかなりの数を食べられる。いつの間にか全国的に有名になり、地元以外の人も知るようになったB級グルメに満足。*ふふふ、けれどもタクアンのみじん切りが入ったお好み焼き「遠州焼き」を知る人はいないだろう。←美味しいけど有名にはならないと思う。さらに、行きつけだったパン屋「ブランジェリー・スギヤマ」で、翌日のランチ用にパンをゲット。小さい店ながらオシャレで品数もそこそこ揃っていて、どれも美味しかった。この店にも来ることはないだろうなぁ(涙)。後ろ髪をひかれながら店を出る。

hamamatsu04hamamatsu05hamamatsu06松を訪ねたメインの目的のひとつは、売却済み(引渡し前)の旧宅を訪ね、ポスト(郵便物)や室内のチェックを行うこと。チラシ、DMの類は入っていたけれど、個人的な郵便物は特になくひと安心。転居のご挨拶を送ったり、各所に転居の届出を出した効果を確認できた。盛夏には五月蝿いほどの蝉の声が降り注いだマンションの中庭は、今はひっそり。竣工から20年経ち、すっかり大きくなった庭木も堂々たるもの。部屋に入ると、家具などが一切ないためスッキリと広々としていて、義父母たちが住んでいた場所とは違う空間にいるような奇妙な感覚に襲われる。*20年前に引っ越した頃は、義父は今の私とほぼ同年代。皆んな若かった。内見のためにやってもらった不動産会社の掃除も行き届き、まるで新築同様。20年住んだとは思えませんね、という不動産会社の営業マンのトークもまんざらお世辞だけではない。人気の物件ということもあるけれど、早々に売れた理由も分かる。

hamamatsu07hamamatsu08hamamatsu0925年以上(年に数回=通算50〜60回)浜松に通ったのに、訪れていない観光名所を訪ねようというのも訪問のテーマ。そこで選んだのが「浜松科学館みらい〜ら」という浜松駅近くのオモシロ施設。“い〜ら”というのは遠州弁で“良いでしょう?”という意味で、未来と掛けて“みらい〜ら”というネーミングがステキ(笑)。エントランスを入るとすぐに『エヴァンゲリオン』の渚カヲルがお出迎え。浜松市が推進する地域連携プロジェクト「シン・ハママツ計画」の一環として立ちっぱなしのカヲルくん。ご苦労さまです。そして最上階にはプラネタリウム。浜松の夜空をライブ(スタッフが生声で)で案内されながら心地良い眠りにつくお気楽妻。寝不足だね。他にも地元企業(SUZUKI)とタイアップしたバイクのシミュレータが楽しめたり、参加型の科学クイズのコーナーがあったり、時間が足りない!ほどの楽しさ。また来たい!と愚図る子供になりそうな施設だ。

hamamatsu10hamamatsu11hamamatsu12松滞在初日の掉尾を飾るのは、老舗の名店「割烹弁いち」だ。2008年に初訪問以来、毎年数回訪れてきたお気楽夫婦にとって大切な店。17年間に通算で(おそらく)30回以上通い、年始にはこの店のお節料理をいただくのが楽しみだった。その日は地元に住む妻の従弟と同行。祖父の代から続く歯科医院を継ぎ、先祖代々の墓を守ってくれている一族の支柱的存在だ。ほぼ下戸揃いの親戚中で、数少ない“飲める”相手でもある。いつものカウンタ席に3人で並び、食材の良さを最大限に活かした繊細で端正な料理をいただく。いつもの通りに旨い。そして大将の鈴木さんが選ぶ日本酒とのペアリングを堪能する。料理と酒の絶妙なるマリアージュ、それこそがこの店の醍醐味。さらには大将が語る酒の由来を伺いながら嗜む酒の旨さよ。この店に来ることも“マスオさん”たる私にとって、浜松訪問のモチベーションだったなぁとしみじみ。

「楽しく、美味しく、嬉しい時間でした。今は幸せな酔っ払いです」店から30分以上歩いて帰った従弟からメッセージが入った。「もしかしてお酒、強いんじゃない?」と妻が感想を零す。彼が浜松にいる限り、妻の“故郷”は無くならない。またいつか、「弁いち」さんのカウンタで、共に幸福な酔っ払いになろう。

継続するためには…「SQUASH JAPAN OPEN 2025」

JapanOpen01日「SQUASH JAPAN OPEN -2025-」というスカッシュの国際大会が開催された。「JAPAN OPEN」と冠する大会として2002年の第27回以来、何と23年ぶりの復活だ。*第27回大会の参加選手には、今大会の実行委員長でもある渡邊祥広、佐野公彦、青山猛、松本淳など、当時の有力選手の名前が連なる。優勝はマレーシアのKenneth Low、女子は開催されなかった。スカッシュは2028年のLAオリンピックで初めて正式競技として採用され、来年名古屋で開催されるアジア大会の競技種目でもある。日本の有力選手も海外の国際大会に本格参戦し始め、女子TOPの渡邊聡美は現在世界ランキング8位(最高6位)、男子TOPの机龍之介は53位(最高47位)という戦績を残している。世界ランキングでTOP8に入るのは快挙と言える。それでも日本でのスカッシュを取り巻く環境は厳しい。

JapanOpen022002年当時、大きな大会が開催された「ルネサンス幕張(コート数4面?、2011年?に閉鎖)」や「コータコート(コート数9面、2006年に閉鎖)」などは既になく、国際大会を開催するインフラは整っているとは言えない。例えば、2025年10月に開催されたUSオープンの会場は22面のコートを有する。*フィラデルフィアにあるその施設は常設の観客席付き全面グラスコートが2面、ダブルスコートが2面もある。今回のJAPAN OPENは1回戦、2回戦は「Greetings Squash Yokohama(と言っても最寄りは北新横浜駅)」にある4面のコートで開催され、準々決勝、準決勝、決勝は西新宿の「新宿住友ビル三角広場」に設営された4面グラスコートで行われた。いずれの会場も観客席数は多いとは言えず、ましてや公式発表されてはいないが、有料入場者数は限定的だ。

JapanOpen03ベントそのものは素晴らしかった。コンセプトを「スカッシュ×音楽×日本酒の祭典」と銘打って、音楽などのパフォーマンス、トークショーなどと組合せた複合イベントとして、スカッシュの認知を高める試みを行った。「スカッシュ」と「日本酒」をかけ、「スカッ酒 JAPAN OPEN」として全国32ヶ所の蔵元から日本酒の銘酒を集め、屋台で飲み比べができる食のイベントでもあった。酒を片手にスカッシュ観戦を楽しむことができた上に、立見席では無料で観戦できた。会場の造りも“映える”デザインで、三角広場の吹き抜けの巨大な空間の中に4面グラスコートが美しく浮かび上がる。フロントウォール裏の大きなモニターには、イベントの告知、複数のカメラで撮影した試合の中継を放映し、臨場感溢れる雰囲気になった。

JapanOpen04ンジョイ・プレーヤーながら、30年ほどスカッシュを続けてきたお気楽夫婦。毎週(セミリタイア後は数回の)スカッシュのレッスンに励み、海外のリゾートに滞在する際にはスカッシュラケットを抱えて出かけ、国内のハイアット修行の際には最寄りのコートでプレーしてきた。スカッシュのおかげでスカッシュを通じた友人・仲間の輪も広がり、国内外のTOPプレーヤーとの接点も増えた。日本のTOP2人にささやかなサポートを数年間継続しており、今回の大会にも個人として若干のスポンサードを行った。*急遽シャレで作成したロゴが掲載され、ちょっとテレたけれど。それもこれも、2人が愛するスカッシュというスポーツを何とか日本においても元気にしたい、日本の選手たちに強くなって海外で活躍して欲しいという思いから。

JapanOpen05会は15K(男女の優勝賞金総額が15,000US$=225万円)というチャレンジャーという下位カテゴリーの大会の中では高額賞金の大会で、世界ランキング50〜120位クラスの選手が世界各国から日本にやって来た。男子優勝はイングランドの世界ランキング67位のSamuel Osborne Wilde、女子優勝はインドの世界ランキング93位(最高9位)のJoshna Chinappaという39歳の超ベテラン選手。*優勝したチナッパのプレーが凄かった。軽やかで絶妙なタッチで強打の若手プレーヤーをいなし、いつの間にかラリーを制していた。日本選手は残念ながら日本男子TOPの机龍之介、女子の杉本梨沙が準々決勝まで勝ち進むに止まった。とは言え、日本で、新宿で、目の前で、世界トップレベルのプレーを観戦できたことは多くの国内プレーヤーにとって貴重な機会になったのではないか。

JapanOpen08時に会場はスカッシュプレーヤーの同窓会のような雰囲気でもあった。かつて一緒にプレーしていた仲間同士や、久しぶりに会う先輩、後輩があちこちで挨拶を交わし、酒を酌み交わしていた。それはそれで微笑ましいし、楽しい場ではあった。どのスポーツでも同様ではあるが、最大の観客はプレーヤーだ。けれど、そこまでで止まっていてはイベントとして成立しない。ましてや日本におけるスカッシュの競技人口だけではマーケットが小さ過ぎる。スカッシュ観戦に魅力を感じ、観て楽しいスポーツにならないとJAPAN OPENクラスの大会は継続できない。スポンサーを募り、クラウドファウンディングで運営費用を補ったけれど、今大会の収支は間違いなく厳しいであろう。では、大会を継続するためには何をしたら良いのか。何ができるのか。

スカッシュというスポーツに魅せる要素は多いし、多くの人に観てもらい人気のスポーツになる可能性はある。今大会もいろいろな工夫をして、イベント等で動員を図り、スカッシュを観たことがない客層を取り込もうと努力していた。けれど、登らなければいけない山はまだまだ高く険しい。同じラケットスポーツで人気のテニス、卓球、バドミントンと人気や動員などで先行する競技も決して順風満帆だったわけではなく、むしろ苦しんだ時代が長かったし、今も苦しんでいるのだと思う。スポーツや芸術は公共や民間、個人を問わず、何らかの形でサポートが必要だし、答えはひとつではない。2026年の名古屋アジア大会、2028年LAオリンピックに向けて、ひとりのエンジョイ・プレーヤーとして、何かできることがあればと目論む意気盛んなお気楽夫婦だった。「アジア大会もスカッシュの全日程観に行くよ!」と妻。はい、まずはそれくらいから始めよう。

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