イチジクは母の味「無花果のコンポート」
2005年 9 月24日(土)
山崎まさよしじゃないけど、育った環境で味覚は違う。私は子供の頃、茗荷やセロリが嫌いだった。香りが強く、ストレートな「植物」の味。齧った瞬間に青臭いだけでなく、独特の香気が口に拡がる。なぜこんなものを食べるのかと、大人という生き物を不思議に思った。それが今では大好物。夏の食卓に茗荷は欠かせない。それどころか、エスニック料理を食べに行けば、香菜(シャンツァイ)などは、追加で注文するほどだ。子供の頃に香菜に出会っていたら、夢でうなされるぐらい嫌になっていたに違いないだろうに。
子供の味覚と大人の味覚の違いは、年齢を重ねて初めて判る。その上、母の料理の味に対しても偏見があった私。子供の味覚から脱皮する時期、高校時代は親に対する反抗期と重なった。空腹が最大のソースで、質より量。一日5食が当然だった日々。そんな時期に母親が作る弁当に入っていたイチジクが嫌だった。味自体は好き。でも、「おかず」にはならない。母に不満をぶつける。弁当箱の中の砂糖で煮込んだ無花果のスペースは、食欲優先の高校生には邪魔な存在だった。それよりも、肉!だった。
東京で暮らした年数が、田舎で過ごした年数を超えた頃から、味覚の嗜好性が変わり、母の料理に対する偏見が消えた。グルメブームで、地方の食材が脚光を浴びたことも影響していたかもしれない。子供の頃、当たり前に食べていた「だだ茶豆」がいつの間にか高級食材になっていたり。(へぇっ?という感じ)そんなある日、スーパーの店頭に並んでいた無花果が妙に私の気持をそそった。思わず手に取り「あの味」を再現してみたくなった。もちろん見様見真似。飲み残したスプマンテと一緒に火にかける。
母親が作ってくれたものとは違い、煮込みすぎず、柔らかめに。そしてスプマンテの香りがふんわりと残るように。あらら、美味しそう。これは無糖のヨーグルトと一緒に朝食にぴったりかも。・・・うっひゃぁ、合う合う、美味しいっ!これはもしかしたら、「無花果のコンポート・ヨーグルト添え」。そうかぁ、こんなものを食べていたのかぁ・・・。あの頃の自分に、あの頃の母親に、こんな食べ方を教えてあげたいなぁ。秋の夜長にしみじみしながら、親不孝だった息子は思った。