その1冊との出会い『ブルータワー』石田衣良
2008年 4 月20日(日)
その1冊を読んだ後に、自分の中で大化けしてしまう作家がいる。例えば村上龍。『限りなく透明に近いブルー』は話題が先行し過ぎたために読むのが躊躇われ、学生時代に『テニスボーイの憂鬱』を読んだ程度だったのに、『コインロッカー・ベイビーズ』を読み終えた時に、その天才を素直に賞賛した。同時代を描いているのに、近未来の世界を読んでいるような不思議な感覚に囚われた。未来と現在。不快と快感。倦怠感と疾走感。絶望と希望。それらが矛盾なく織り込まれる物語。すっげえ!そして『トパーズ』『フィジーの小人』『ワイン一杯の真実』『長崎オランダ村』『ラッフルズホテル』『69』など、何冊か読み重ね、『半島を出よ』で堂々MY殿堂入り。(蔵書を数えたら30冊以上あった)
例えば村上春樹。『風の歌を聴け』で、軽やかな文体に魅せられ、『1973年のピンボール』や『羊をめぐる冒険』を読んでも、まだ好きな作家の1人だった。そして『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ後は、内容を確かめずに新刊を買ってしまう愛する作家となった。“世界の終わり”、“ハードボイルド・ワンダーランド”という2つの世界が同時に進行し、融合し、乖離していく、湿った空気の臭いが満ちた不思議な物語。青山一丁目とか絵画館とか、都内の(村上春樹がジョギングコースにしていた)実在の地名が出てくるのに、現実の世界と折り合いがつかない物語が広がっていく。なのに銀座線につながる地下通路にヤミクロが潜んでいると思ってもいる、そんな読者になった。完全にこの1冊でやられてしまったのだ。そして『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』に軽い失望を抱きながらも、新刊を熱望し続ける。(蔵書は全ての著作と何冊かの研究本)
そして、石田衣良だ。話題性で『池袋ウエストゲートパーク』シリーズを手に取り、登場人物たちに惹かれ、読み続けた。マコトの存在を感じたくなり、池袋の駅に降り立ってみたこともあった。『エンジェル』『うつくしい子ども』『娼年』など、現在を描いても陳腐化しない、爽やかで、悪を描いても救いがあり、絶望を描いても明日が信じられる物語。それでも『4TEEN フォーティーン』『LAST』などの、余りに善的な表現が稀に鼻に付くこともあった。だからハードカバーの新刊が平積みされているのを見ても、文庫になるまで我慢できた。けれど『下北サンデーズ』『美丘』など、ここ数年の発表のスピードと話題性に我慢できないギリギリの状態でもあった。そして待望の1冊、初のSF『ブルータワー』が文庫本化。あっという間に読了。そして、やられたっ!
物語は、現在と未来とを観念的に結びつけるだけではなく、瀬野周司(セノ・シュー)という1人であり、2人でもある主人公を通じて物理的にも結びつける。何世紀も前に人類が天を目指し建設したというバベルの塔。その姿が細菌戦の結末に訪れた未来の必然の姿である巨大なタワーと重なる。その塔の描写が私の好きな(良い意味で、映画『フラッシュ・ゴードン』のような)B級SFチックで、プロトタイプの未来図のようでも、初めて示された23世紀のようでもある。これ読んでみてっ!おもしろいから。妻にもすぐに薦めた。「ふぅ~ん、確かに今までの石田衣良とちょっと違うね、かなり面白い」でしょ、でしょ♪
廃墟になった東京に高さ2kmのタワーが聳える、そんな光景が想像できない人はすぐに読んで欲しい。9・11から未来へ続く、思想や階層での闘争の系譜がどんな様相を呈することになるのか、知りたい人は必ず読んで欲しい。鳥インフルエンザに怯え、未来を憂いている人はすぐに本を手に取って欲しい。石田衣良の創造した未来は、刺激的で、悲観的で、残酷で、それでも愛と希望が満ちている。石田衣良の新刊、やっぱりハードカバーで買いたいなぁ。「だって本棚に入らないでしょ」妻の言い分ももっとも。やはり改装して大きな本棚を設えるか。「いらない本は捨てよ~」それができるんだったら、悩みはしない。「私は捨てられるよ」妻の価値観は、ある意味羨ましい。