仕事と人生の収め方「OU閉店」

EDRADOURく寒かった今年の冬がようやく終わり、誰もが桜の便りを待ちわびる頃、1軒のバーが閉店した。店の名前は「OU」という、恵比寿にあった小さな店。営業していた10数年の間、年に数回訪れたかどうか。決して常連とは言えないし、良い客ではなかったかもしれない。けれど、そこに行けばOUという店があるという、なんとも言えない安心感をずっと持っていた。常夜灯のように、灯台のように。道筋を示してもらわなくても、航路を教えてもらわなくても、道標にならなくても、存在するだけで安心する。私にとってOUはそんな店だった。オーナーはひと回り近く違う前職の会社の大先輩。閉店という知らせを聞いて訪ねた夜は、「ちょいと疲れてさ」と冗談とも本気とも取れるメッセージ。役員まで勤めた会社を辞め、開業したバーには多くのOBや仕事の仲間たちも集った。居心地の良い店だった。

Lapita年前、公務員を辞めてバーを開業するという弟を伴い、OUを訪ねたことがあった。「人の繋がりで、こんな素人の私でも10年やってこられました」「店が休みの日に、他の店に行くとホッとすることがあるんですよ」普段は聞けない、そんな話を伺い、アドバイスをいただいた。その弟も念願のバーを開業して2年を迎える。子供たちの手が離れようとするタイミングで、早期退職に応募した。長年勤めた市役所の仲間たちや、地元で培った友人、知人のネットワークに助けられ、なんとか営業している様子。「開業の準備は大変ですよ、私は10kg体重が落ちましたからね」OUのマスターのことばを思い出す。その先輩のことば通り、弟も開業までにぴったり10kg痩せたと言っていた。目指せ!開業ダイエット…とは冗談にしても、独立して自らの力で働く大変さを弟も実感したらしい。

Benichi立する苦労もあれば、家業を継ぐ苦労もある。妻の故郷浜松に出向く度に伺う「割烹 弁いち」のご主人は3代目。仕事を極め、商売を収めるために数年前に店を改装した。料理を独りだけでやれるように、店をひと回り小さくされた。ご主人曰く、「店を発展的にスリムにし、仕事の内容を充実させる」あるいは「「商売は縮小、仕事は追求が今後の理想」とも。自らブログに書かれているように、“店を大きくせず、多店舗展開もせず、料理のクォリティを高める”仕事をしてきた職人が目指す方向なのだろう。OUのマスターも、弁いちのご主人も、比べようはないが弟も、自らの仕事を見極め、仕事の収め方、人生の収め方を考えた結果。それぞれが自分の仕事を自分の裁量でできるからこその苦労であり、責任であり、やりがいでもあり、そしてもちろん楽しみでもあるのだろう。

Jiyugaoka年勤めたぴあを辞め、その後に大手通信会社に3年勤めた。そこで得た人的ネットワークと新たな専門分野を活かし、独立したのは数年前。自分たちの街を愛するダンナ衆たちに出会い、その街に対する彼らの思いに惚れた。江戸の時代から、街の文化を創ってきたのはダンナ衆だ!そのダンナ衆たちと一緒により良い街を創るのだ!と、決断した。経済性を優先するのではなく、専門性、地域や社会への貢献を優先するという方向に舵を切った。自由が丘の街と自らが住む街で、街を愛するダンナ衆とそんな仕事ができることは幸福だ。自分の蓄積してきた僅かばかりのスキルや経験を活かせることはありがたいことだ。元気で先進的な自由が丘という街の事業をサポートするコンサルティングの仕事と、ひと足早い地域デビューを兼ねた地元の街でのボランティア仕事。これらのバランスを取るのもまた楽しい。

も早くセミリタイアしたいなぁ〜」と妻。おいおいっ!私はセミリタイアしたのではなく、自分のペースで仕事をしているだけ。メリハリを付けて、仕事の合間に自分の時間を取っているだけ。どのように自分の仕事を収めるか、そして人生を。人は企業に属しているだけではなく、住んでいる街に属し、コミュニティに、そしてもちろん家族に属している。その中での自分をじっくりと熟させて行こう。

*食いしん坊夫婦の御用達 「OU」の詳細データはこちら。閉店しましたが。

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