桜咲き、サクラ散る「サクラの国の人々」
2012年 4 月14日(土)
日本人にとって「お花見」の「花」と言えば、サクラを指す。百人一首に小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」という歌がある。この「花」は「サクラ」であり、美しかった自分であり…と遠い昔に習ったことを思い出す。小野小町の生きた平安の時代から、花=サクラと遺伝子に刻み込まれてきた日本人。寒い冬が終わる頃、暖かな春を待ちわびる気持は、サクラの開花を待つ気持と重なる。サクラは日本人にとって春の象徴であり、卒業・入学・入社の時期と重なることもあり、新たなスタートの新鮮な気分や人生のひと区切りをも象徴する、多くの日本人にとって特別な花だ。
2012年春、今年のサクラはいつもと違う顔を持っていた。2011年3月11日の直後に蕾をつけた去年のサクラはひっそりと咲いていた。正確には、全国的に自粛という御旗がたなびき、各地のサクラ祭りは中止となり、夜桜の提灯は灯らず、誰もサクラの下で大騒ぎができず、ひっそりとしていたのはサクラではなく、サクラ好きの日本人。自粛の強制はいかがなものかと議論になったが、多くの公園でお花見宴会の中止を求める案内板が立った。そして2012年。週末に満開の時期が重なった首都圏で、多くのサクラの名所に人が溢れた。例年以上の人出だった。
お気楽夫婦も2年分まとめてサクラを愛でた。毎年恒例の砧公園ではスパークリングワインを飲みながら、芝生に寝ころんで周囲の平和な休日風景を満喫した。自由が丘の呑川緑道ではワインを飲みながら、サクラとハクモクレンと軽やかに街を歩く軽装の女性たちの競演を眺めた。中目黒の夜桜見物の人出に驚きながら、サクラの樹の下に現れた夜市のようなエネルギーを楽しんだ。妻のオフィス近くの神社に咲く金王桜という長州緋桜を、ランチの後のぽかぽかした気分で眺めた。そして、スカッシュ仲間と訪ねた「用賀 本城」で、美味しい料理とともにゼータクな花見もできた。サクラ尽くしの春。
春に浮かれた訳ではない。けれど、今年のサクラは妙に愛おしく、巡ってきた春をたっぷりと味わいたかったのだ。私にとって去年の春からサクラの愛で方が変わった。去年のサクラは軽やかな気持で眺めることができず、心の底に沈む重いモノを取り除けなかった。春を告げるサクラも晴れやかな気持にさせてくれなかった。サクラの季節は誰にも永遠に巡ってくる訳ではない。このサクラをあと何度観ることができるのだろうと、大袈裟に言えば人生のお終いをはっきりと意識した。あの時から私の中に貯まり始めた澱は、ゆっくりと積み重なっている。けれど、その澱を意識できたことが嬉しくもある。いつか終わる「今」を楽しむ気持が、私の中ではっきりと輪郭を持った。
「なぁ〜に春だっていうのに暗ぁい文章書いてんの!」と、ポジティブな妻。咲いたサクラも良いけれど、散るサクラも悪くない。そしてまた来年、軽やかな気持でサクラの季節を迎えたい。