“5”を待ちきれず「iPhone4S」
2012年 4 月15日(日)
ケータイが元々好きではなかった。どこにいても連絡がついてしまうのが嫌だった。前職でも業務上持つように言われても拒み続けた。けれど、関わったあるプロジェクトのためにケータイを持たざるを得なくなった。それが2004年。かなり遅い導入。嫌いだと言い続けていた私がようやく携帯電話を持ったと周囲が驚いた。キャリアはそのプロジェクトの関係でDoCoMoしか選択の余地がなかった。そして転職先もNTTコムということで、2代目のケータイもDoCoMoだった。ケータイを2代目に買い換えた年、iMacがわが家にやって来ていた。当時発売されたばかりのiPhoneを選びたかったけれど、残念ながら選択の余地はなかった。
昨年、Mac Book Airもわが家にやってきた。自宅用と外出用のMac2台体制の時代に入った。ちなみに、妻は東京デジタルフォンの時代からケータイを持ち始め、Vodafoneを経てとっくにiPhoneを使い始めている。それも、なぜかVodafoneのアドレスを使い続けながら。こうして着々と外堀は埋められていた。NTT城に籠る私の携帯電話も生命の限界が近づいていた。ガラケーと蔑むように呼ばれ、国内メーカーのシェアが下がり、SMAPはNTTからSoftBankにCM出演を乗り換えた。今年発売される携帯電話のほとんどはスマートフォンだというニュースが流れる。退路も断たれた。籠城生活もこれまでか。
とは言え、スマートフォンを拒んでいた訳ではない。むしろ欲しいのだ。スマホは携帯電話ではなく持ち歩くパソコン。ついでに通話もできるデバイス。だからこそ、それもMacユーザとしてはiPhoneを一刻も早く使いたいのだ。妻が持つiPhoneを横目で眺めながら、羨ましそうな目をしていないか自分の視線を確かめる。うっ!欲しい!そんな気持を抑えながら、外出先で路線検索やMAPの検索を妻に頼む。悔しい。全くもって不本意だ。けれどキャリアは変えたくない。仕事で使うことも多いアドレスが変わるのが嫌だし、困るから。決してNTTグループに義理立てしている訳ではない。
今秋にDoCoMoがiPhoneを導入!というニュースが流れて喜んだのも束の間。すぐにDoCoMoから否定の公式コメントが流れ、落胆。残念。待っていたのだ。DoCoMoのiPhone導入を、それもiPhone5を。私の携帯は日々老いて行く。購入当時の機能が陳腐化し、必要のない機能だけが空しく表示される。同報メールの宛先は5件だけしか選択できず、パソコンから送ろうとすると拒否されるケータイがあり、共通の友人たちへの連絡は妻に頼む。無念。ダメだ、もう待てない。SoftBankショップに走った。お父さん犬が優しく迎えてくれた。アドレス帳の移行も無事に済んだ。MMSとメールの使い分け方を妻に教わった。分厚いマニュアルはない。使って慣れてくれ!というスタンスはMacで経験済みだし、iPhone独特の用語も慣れてきた。
「このカップはウチでは要らないなぁ」ファンシー系なデザインに全く興味を示さない妻。お父さん犬マグカップの運命やいかに!