名古屋メシの記憶「風来坊」
2013年 5 月11日(土)
1988年、名古屋駅近くの笹島貨物駅跡地にキャッツシアターが建てられ、ミュージカル「Cat’s」ロングラン公演がスタート。チケット発売に合わせ、ぴあ中部版が創刊され、チケットぴあ名古屋がスタートした。当時、チケットぴあ店舗開発担当だった私は、名古屋に長期出張で半年近く滞在した。名古屋は独自の文化を持つ、閉鎖的で大きな田舎だと地元の人は自虐的に言った。3M(松坂屋、丸栄、三越)という地域に密着した百貨店、3座(御園座、中日劇場、名鉄ホール)と呼ばれる劇場、プレイガイド協会という既存勢力、地元メディア、名鉄などの鉄道会社、そして東海地区で圧倒的なシェアを持つ興行元のサンデーフォーク。それらの企業間の複雑な調整をしながらの営業交渉。30代に突入したばかりのワカゾーには刺激的な仕事だった。
食文化も独特だった。今でこそ名古屋メシとして全国的に有名になったが、その代表格の手羽先の唐揚げですら当時の東京では未知の食べ物。今や全国に店舗を広げる「鳥良」も1984年に吉祥寺で産声を上げたばかり。初めて「風来坊」や「世界の山ちゃん」で手羽先を食べた時、パリパリとした食感、スパイシーで癖になる味に東京から来たメンバーは「なんだこりゃぁ〜!どぇりゃあ旨めゃ〜でかんわぁ!」と誰もが叫んだ。そして毎晩のように手羽先を食べ続け、脂で汚れた指をしゃぶり続けた。1人で何人前も食べることを常とし、食べ終えた骨がテーブルの上に山と積まれた。他にも「山本屋総本家」の味噌煮込みうどん、「矢場とん」の味噌カツ、「いば昇」の櫃まぶしなどの洗礼を受けた。それらが全て好きかどうかは別にして。
ある春の日、そんな思い出が詰まった名古屋の街に出張。Facebookで繋がり直した当時のメンバーたちと久しぶりに会うことになった。「店は風来坊で良いですかぁ」当時は20代だった名古屋美女から連絡が入る。もちろん異論なし。待ち合わせは風来坊錦店。生ビールを頼むと同時に人数分以上の手羽先をオーダーするのは当時のまま。胡椒と塩味の懐かしく熱々の手羽先をがぶり。やっぱりしみじみ旨い。「風来坊」も「世界の山ちゃん」も東京に出店し、東京でも食べられる味ではあるけれど、やはり名古屋で食べるべき味。懐かしいエピソードで大笑いし、現在の互いの様子を伝え合っては頷き、あっという間に手羽先や生ビールが消えていく。何年も会っていなかったとは思えない、同じ時代を共有する仲間たち。嬉しい限り。
翌日、近鉄で伊勢湾沿いに南下。昼時、ふと思い立って桑名で途中下車。初めて訪れる街。桑名と言えば「焼きハマグリ」ということで店を探すと、「はまぐり食道」というストレートな店名を発見。迷わずハマグリ尽くしのランチを食す。ハマグリのしぐれ煮茶漬け、焼きハマグリ、ハマグリのフライ、ハマグリのお吸い物。それぞれ違う味わいを楽しめるゼータクな美味しさ。これもある意味名古屋メシ。そして帰路、新幹線の車内で味噌串カツを食べながらビール。冷えた串カツが味噌味と相まって、…美味しくはない。けれど、訪ねた土地の食べ物を味わうことを良しとしている私としては、名古屋からの帰路に食すべきは、柿ピーではなく、ポテチではなかったのだ。たとえそれが予想通りに不味くても。
「毎回思うんだけどさ」ん?「なんだか愉しそうな出張だよね。というか、出張なんだよね」妻の疑問もごもっとも。ブログに記すべきは仕事のネタではなく、食いもんネタ。辛いことではなく、楽しい話題。それが“快楽主義”宣言のアイデンティティ。「辛いことなさそうだけど」という妻の声はスルー。久しぶりに名古屋を味わい、楽しんだ旅。もとい、出張。また近々名古屋にお邪魔します。