Archive for 7 月 21st, 2013

亡き父母の『智惠子抄』高村光太郎

ChiekoShoき父の四十九日法要を終えた夏の日、父の書斎を訪ねた。弟が少しづつ整理してくれてはいたものの、ほとんど父が生前のまま。地方史研究の資料、自ら主宰した句会の句集、愛読書などが書架に残る。その中に2冊の詩集を見つけた。高村光太郎『詩集 智惠子抄』『詩集 智惠子抄その後』の2冊。高校生の頃、その父の愛蔵書の奥付に書いてあったメッセージに、若き日の父と母を思った記憶があった。『智惠子抄』を手に取り奥付を見る。記憶違いか、何も記載がない。もう1冊、『智惠子抄その後』を開くと、そこに父から母へのメッセージがあった。

贈 私の最愛の書を以って 貞子の十八才を祝う。

Birthdayが十九才、農業高校を卒業し郵便局員になった頃。十八才の母は、女子校卒業の年、大学農学部の助手として花や植物を育てようとしていた頃。農家の次男坊、農業高校だったらと何とか進学させてもらえた父。網元から呉服屋に転じ、羽振りの良かった商家の長女であった母。戦後間もない山形の田舎町では、結ばれようもない2人。けれど、2人は恋をした。そして2人の若き情熱は周囲をも溶かし、叶わないはずの恋を叶えた。そんな恋のはじまりの頃、十九才の父が十八才の母に送った詩集。

その2冊の詩集が今、私の手元にある。亡き母と父からのプレゼント。

GensoChiekoに、こんな詩がある。「元素知恵子」という1篇。〜智惠子はすでに元素にかへった。わたくしは心霊独存の理を信じない。智惠子はしかも實存する。智惠子はわたくしの肉に居る。智惠子はわたくしに密着し、わたくしの細胞に燐火を燃やし、わたくしと戯れ、わたくしをたたき、わたくしを老いぼれの餌食にさせない。精神とは肉体の別の名だ。(中略)元素智惠子は今でもなほ わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。

Chiekoく離れて暮した母の死は、父との別れは、私にとって高村光太郎のこの詩の感覚に近い。肉体は消え失せても、父と母は今でも私の中に居る。私の生ある限り、ずっと居続ける。若き父が、最愛の書として最愛の母に贈った詩集。以来、ずっとずっと仲良く寄り添った2人が大切に持っていた2冊の本が、今私の手元にある。その意味を思う。母が逝って7年、父は愛する母の元へ旅立った。きっとすぐに出会い、また2人で仲良く暮しているに違いない。互いに、高村光太郎の言う「元素」となっていても。

ぅ〜ん。元素になったら、きっと私は分かんないなぁ」と妻。いいさ、きっと私が妻の元素を探し当てる。

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