傘寿と喜寿と浜松で。「オークラアクトシティホテル浜松」
2016年 1 月03日(日)
浜松に住む義父が80歳を迎えた。80を漢字で書くと八十、縦に書くと「傘」の略字に似ていることから、傘寿(さんじゅ)という年祝いの年齢だ。義母は77歳で、喜寿のお祝いの年。であれば、2人一緒に祝おうと妻と一緒にイベントを企画した。年末恒例の温泉旅館での宿泊を近場のホテル泊に変え、彼らにはスイートルームに泊まってもらい、お祝いしようという作戦。選んだホテルは、「オークラアクトシティホテル浜松」という駅前にある超高層ビルの上層部にあるホテルオークラ系の高級ホテル。ジムやプールなどのヘルスクラブが充実し、展望風呂もある。いつもの温泉旅館は部屋から大浴場までの距離が遠く、滞在中に何度も延々と歩くのが辛いという義母にもぴったり。
浜松といえばウナギ!という人も多いが、ヤマハ、カワイ、ローランドなどの世界的楽器メーカーの本社があることで知られる楽器の街でもある。ホテルが入居するアクトタワーはハモニカをモチーフにした外観で、浜松で唯一の超高層ビル(地上45階)であり、街のランドマーク。ホテル内部には音楽に関係する意匠が多く、エレベーターのドアには五線譜が記され、ボタンはヴァイオリン、上下を表すランプはピアノ型。そんな遊びのデザインを発見するたびに楽しくなる。客室はオーセンティックな内装で、ちょっとセクシー度が足りず、お気楽夫婦はやや不満。けれども老いた義父母にとっては「ゼータクだねぇ」という感想になる。お祝いするに相応しいハレの空気感はある。
祝宴はホテル内ではなく、「柚露(ゆうろ)」というくずし割烹を予約した。膝の悪い義母向けに椅子で座れる個室があり、主賓用にお祝いの水引を配してくれる細やかな気遣いの店。食事の前にスタッフからもおめでとうございますと挨拶され、まずは家族3人の記念撮影。さて乾杯というところで、義父が「ちょっと良いですか」とことばを挟んだ。「今日はありがとうございます。少しお礼のことばを述べさせてください」と、他人行儀な前置きで、ことばを詰まらせながら訥々と挨拶をする。ふだんはことば少なく、感情を表に出さない義父が、つっかえつっかえ発することばは胸を打つ。良かった。楽しみにしてくれていたのだ。これだけでも企画した甲斐があったというものだ。
祝宴の翌日、冬晴れの朝、しみじみと妻が言う。「遠出はしなくなったし、暗くなったら出掛けないって、行動範囲は狭くなったけど、まずまず元気でいてくれて良かった」本当に、心からそう思う。私の父も母も、何年かの闘病生活の後、病床で逝った。義父母は寿命よりも健康寿命、元気で何歳まで生きられるかを考えているはずだ。義父の挨拶の中にも「認知症にならないよう」と祈るような抱負があった。朝食の後、義父と一緒に遠州灘まで一望できる展望風呂に浸かりながら、珍しく長めの会話を交わす。自分で運転できなくなったら、車なしで行き易いスポーツクラブはどこか、どのクラブのプールが充実しているか。…うぅむ。やっぱり親娘だ。根っからの健康お気楽志向だ。
「私は70歳までスカッシュやるよ」それが妻の目標。いやいや、80歳までスカッシュできますって、あなたなら。今年の抱負はと尋ねると、「身体を鍛えるってことかなぁ」って、毎年同じか?とは言え、離れてはいても遠く義父母の生活を見守りつつ、自らの健康を維持する。一人娘の望みは、きっとそこにもあるのだろう。了解。お気楽夫婦の父母は、彼らしかいない。義父母のために浜松へ、お気楽妻のためにスポーツクラブへ、今年も一緒に出かけよう。