Happy Birthday to ME !「年齢はただの数字」
2019年 2 月16日(土)
「Age Ain’t Nothing but a Number」年齢はただの数字よ!と、R&Bの歌姫アリーヤが歌ったのは1994年。彼女はまだ“わずか”15歳だった。そして2001年、飛行機事故により“わずか”22歳の若さで亡くなってしまう。「年齢はただの数字、記号さ」と嘯く、年齢を重ねた男女が使う言葉とは逆の意味。15歳は子供じゃないわと彼女は歌った。この曲は、山田詠美のエッセイで知ったのだが、詠美のエッセイではこう続く。
年齢を単なる数字、などと強がるのは、もう止めましょう。意味のある数字と受け入れる方が、人生はるかに楽しいよ、と。ん〜、どっちも違って、どちらも合っていると“61歳”の私は思う。世の中の多くの日本人には定年もあるし、元気だと思っていても確実に老いもする。年齢を数字だとばかりは言っていられない。けれども、年齢を気にして、自分を制限する必要もない。その意味では、年齢は単なる数字に過ぎない。
「誕生日おめでとう♬」ありがとう&おめでとう!と一緒にお祝いをしようと同行した2月生まれの友人に返す。場所は、前年に私の還暦と、妻との25周年を祝ったホテルのバーだ。事前にお世話になった宴会のご担当に挨拶に伺い、友人たちと記念撮影をした場所で自撮りをした後で、友人と落ち合った。「このピッツアむちゃ美味しいね。やっぱりこのホテル良いわぁ」と笑顔。ひと回り年齢の違う彼女は、大切な友人だ。
年上の方に敬意は払うけれど、年齢の違いが儒教的な上下関係になるのは違和感がある。逆も然り。年上だからと、敬語ばかり使われる相手との距離感はなかなか縮まらない。ビールの後は、シャンパンにする?「おっ、良いね。飲もうか♬」私をIGA-IGAと呼ぶ友人が応える。そうか。タメ口ができるかどうは、年齢や親しさを測るだけではなく、彼女のようにキャラ勝ちの要素はあるな。*IGA-IGAと呼ぶ女性を数えたら、現在7人いた!
4年後に、お気楽妻の還暦パーティもここでやろうか!と、冗談とも本気とも聞こえるように言うと、「良いねえ」と友人は答え、妻は「きっとそんなに大勢集まらないよ」と戸惑いながら、それでも満更でもなさそうに返す。2人一緒の写真を撮るよと言うと、「恵方巻き!」と言いながら、2人揃って同じ方向を向いてピッツアを咥える。こんな時は(うっかり)友人の子供のようなテンションに(嬉しそうに)釣られる妻。
「Happy Birthday to You ♬」ピアノトリオの演奏に合わせ、ヴォーカルの女性が歌い始めた。へぇ。私以外にも誕生日の人がいるのか、と思っていたら、キャンドル付きのプレートが我々の席に向かってやって来た。え?え?店内にいる全員の視線が集まる。わ・た・し?どうやらそうらしい。そう言えば、直前にスタッフが執拗にデザートを勧めるから、数種類の中から一つだけ頼んだのに、何と全部盛りだ!サプライズ!
「N田さんの手配だね♬」お気楽妻が動揺した私を愉快そうに眺めながら呟く。そうか、確かにちょうど1年前のパーティでお世話になってと言う会話があった。昨年の巨大なイチゴのケーキサプライズに続き、2年続けてしてやられたぜ。「すごい!初めて!こんなの!」友人は興奮を隠せない様子、どころか「次のステージでもう一回お願いしようよ」と宣う。え?本気?止める間もなく、女性スタッフに無謀なリクエスト。え?
15分後、何事もなかったかのように、「Happy Birthday to You」が繰り返され、さすがに今度は小さなアイスにキャンドルを付けて、スタッフが登場した。素晴らしい。ホテルのスタッフも、度胸があるだけではなく徹底的に楽しもうという友人も。ちょっと恥ずかしいと思ってしまった自分が恥ずかしい。爆笑。節度や品位を保てば、もうオトナなんだからとか、まだ子供だからとか、年齢と同様にそんな概念も関係ないのだ。
「楽しかったぁ♬ありがとう!」と友人が微笑む。こちらこそ。文字通りお腹を抱えて笑った。実に楽しかった。61歳の誕生日も、記憶に残る夜になった。年齢はやはりただの数字だ。けれども、その数字が増える毎に、妻や友人たちとこんな愉しみを味わえたら良いなぁ。友人とお気楽妻と、そして何よりも愛するホテル(パークハイアット東京)と、スタッフの皆さんに感謝!