山菜は浜松に限る?「割烹 弁いち」
2019年 5 月18日(土)
毎年GWに妻の生まれ故郷である浜松に向かうのを楽しみにしている。その楽しみのひとつが、この店を訪れること。創業90余年の老舗「割烹 弁いち」だ。この店主の鈴木さんは、食材にかなりの拘りを持つ。遠州灘、浜名湖、三方原と、魚介類や野菜の名産地が近くにあるけれど、地産地消を掲げている訳ではない。季節によって、全国各地の生産者から、納得できる食材を入手する。例えばこの季節なら山菜だ。
田舎育ちの私にとって山菜は採ったりもらったりするもので、店で買うという食材ではなかった。一方、浜松育ちの妻は山菜そのものを食べる習慣がほとんどなかった。そんな2人の前に最初に供された一皿は、コシアブラと山ウドの天ぷらと、鱒の寿司。感涙の味。これらは天竜川の上流にある佐久間町の生産者から入手した逸品たちだと言う。店主の手によって魅力を引き出された、洗練された野生を味わう。上品な香りだ。
続くお碗には、大ぶりのハマグリと共にウルイとワラビが添えられる。クキュクキュとした歯ごたえのウルイはチコリにも似た繊細で上品な味。そう言えば子供の頃に食べたっけなぁと、遠い記憶が蘇る。「あっさりとして美味しいよね」と、妻にとっては新鮮な味。絶妙な味付けのソースを纏った甘鯛にはゼンマイが寄り添う。この店のこの季節の皿には、さり気なく脇役としても山菜が配される。これがまたいいアクセント。
がっつりといただくジューシーで柔らかなラム肉には、サクサクのタケノコとクレソン。食材とソースの味と色合いと歯ざわりの組合せが嬉しくなる美味しさ。お気楽夫婦は基本的にこの店では料理も酒も全てお任せにしている。皿の選択、料理と日本酒とのペアリング、その酒の選択、更には酒とグラスの組合せ、複雑な方程式のようなコースを軽やかに演出するのが、この方、店主の鈴木さんだ。
数年前、店の規模を発展的にスリムにし、ご自分だけで料理ができるように改装された。店を大きくせず、多店舗展開もせず、料理のクォリティを高める方向を選択した。仕事の仕舞い方を考えられた結果だったと言う。当時、自分の仕事をどのように熟させていくかと考えていた時期だったこともあり、とても参考になった。私が熟成してきたかはともかく、鈴木さんの料理が熟成していく過程を年に数回とは言え味わえる幸福。
「山菜って、この店で初めて意識して食べたかなぁ」と妻がしみじみと呟く。苦味だったり、渋みだったり、大人になり、オトナの舌になってこそ味わえる口福。滋味深い食材や、酒や器を選ぶ目。料理の技。それらを組みわせた総合芸術のような「食」を楽しめる喜び。山菜が洗練された技によって食材本来の力を持つ。田舎料理で味わうのもいいけれど、お気楽夫婦にとっては、この店で食べてこその山菜だ。
「次は秋かな、正月のお節かな」タケノコご飯を頬張りながら、また口福を味わえる日のことを思う。そんな店。「次は、○○さんを連れてきたいね。△△さんも喜ぶかもね」親しい友人たちと、この味や空間を共有したいと言う思いが妻の中から溢れ出る。大切な人と一緒に味わいたいと思い、味わってほしいと思ってしまう。そんな店。「秋は天然のキノコが美味しいんだよなぁ」次は、××さん、ぜひご一緒に。