ゆく川の流れは絶えずして「しかも元の水にあらず」
2021年 10 月30日(土)
退院後しばらくして大きな箱が届いた。中に入っていたのは旬のフルーツと、シャンパン。それも大量の可愛いベビーボトル。おぉっと声が出た。一緒にスカッシュをやっている(復帰を前提に敢えて「やっていた」とは書かない)仲間たちからだった。思わず笑みが溢れる。自宅でのひとり酒にはぴったり。さすが長年の付き合いだ。贈ってくれた友人たちの顔が浮かぶ。外出できない私を慮って図書カードがあるのも嬉しい。
後日、いただいたシャンパンを飲むための料理を作る。毎日在宅勤務で、買物や散歩で出かける程度で外出できない身にとっては、自らの手料理は日々の楽しみだ。メインはシャンパンだから、逆算してシャンパンに合わせるメニューを考える。シャインマスカットなどのフルーツとクリームチーズのサラダ。トマトたっぷりのビーフストロガノフ。そして何よりも美味しいパンの盛合せ。*病院のコメ食の反動でパン三昧の日々。
博多からも到来もの。美味しい街から届いたのは、フグのコンフィ詰合せ。これは嬉しい。プレーン、中華風味、バジル風味の3種。美味しいもの好きの飲んべいの友人が選んだ「博多のフク(博多ではフグは濁らず、縁起の良い「福」に繋がるからフクと呼ぶ)」だ。不味かろうはずがない。高級食材のフクを気軽に食べられるようにとオイル漬けにしたと女将が語る、博多の料亭「い津”み」が生んだ新しい食べ方の提案だ。
さっそくカリカリのバゲットを薄く切って、サクサクに焼いたメルバトーストに3種の福を乗せ、ぱくり♬むふっ、旨い。頂き物だから、お高いモノだろうが敢えて気にせずゼータクに盛り付ける。これこそが到来モノの醍醐味。嫌らしい言い方をすれば、自分の懐が痛んでいないからこそできる贅沢。贈った方も自分用にだったらもったいなくて買えないくらいの品だと思う。贈答品消費の“あるある”だ。ありがたく味わう。
神が不在だという神無月、10月はお気楽夫婦の記念日ラッシュ。妻の誕生日に真っ赤な薔薇の花束を贈る。贈る方も受け取る方も小っ恥ずかしがっては負け(笑)。学生時代に花屋でのアルバイト経験がある私は、若い頃から照れずに堂々と花束を贈ってきた。思えばバラの花束も典型的な贈答品消費。女性の誕生日や記念日、お祝いに贈るのはお約束。銀座方面ではめっきり花屋の売上が落ち込んでいるという。踏ん張れ!夜の街。
実はこの花束、閉店間際の花屋に飛び込んだら「最後の10本なので半額にしておきます」と嬉しい価格だった。ところが、花瓶に挿して飾った翌日には頭を垂らし始めた。むむっ。バイトで得たノウハウで水切りをしても元気にならない。そこで閃いた。幸い花びらは元気だからバラ風呂にしよう♫これも夫婦間でのプレゼントとは言え、贈ったモノだからこそできる贅沢だ。いずれにしても、外向きではなくウチ向きの消費。
そして結婚記念日の月でもある10月、いただいたシャンパンと豪勢に焼いたサーロインのタリアータ、そしてご近所の名店「ユウ ササゲ」にて手配したシャルロットマロンでお祝い。例年なら友人たちと行きつけのビストロで一緒に乾杯しているところだが、今年は残念ながら2人だけで乾杯。ワクチンの接種率も上がり、陽性者も確実に減り、かつての日常が戻ってきそうな気配もありつつ、まだまだ今まで通りとはいかない。
例えば、このタリアータ用の肉は、今までであればお店で食べていたはず。自分で焼いた肉も美味しいけれど、プロの技には遠く及ばない。友人たちが贈ってくれたシャンパンも、本来なら皆んなで大きなボトルで飲みたいところだ。けれども、毎日のように外食をすることはなく、頻繁に友人たちと集まることはない。一度変化した消費のスタイルや生活のリズムは全く同じ形には戻らない。そう、世界は変わったのだ。
お気楽夫婦は、二重の理由で新たな日常を迎えている。無事に手術を終え退院したものの、日常生活に制約は多い。在宅勤務の毎日、コロナ対策と療養、運動不足を補う散歩、矛盾とストレスに溢れた日々。友人をランチに誘うのにもドキドキだ。誘っていいものか、相手の感染予防ポリシーが気になる。…ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず。一見同じように見えても、今までとは異なる新たな日常が始まった。
変わらないモノもある。久しぶりに友人と会って(みやさん、ありがとう♬)目の前で語り、同じものを食べ、笑い合い、リアルな空間と時間を共有することの楽しさを思い出した。これは人には必要だ。そして店舗での飲酒が解禁され、プロが注ぐキリッと冷えた生ビールを飲み、揚げたてのフライドポテトを頬張る。これも絶対に2人の人生に必要だ(笑)。新たなライフスタイルの中にも、忘れてはいけない大切なモノがある。