Archive for 9 月 28th, 2025

幸福な親娘と共に「義父母都民化計画」

TOKYO01TOKYO026月、お気楽夫婦はイングランドに滞在していた…はずだった。旅の目的は日本スカッシュ界の至宝、渡邊聡美ちゃんが出場する「ブリティッシュOPEN」の観戦。彼女を応援をするためにロンドン、バーミンガムに滞在する予定で、観戦チケットはもちろん、航空券もホテルも手配済みだった。さらに裏テーマは、3月に役員を退任した私の“卒業旅行”として、“ビートルズの旅”だった。リバプールの「ストロベリー・フィールド」、ロンドンの「EMI本社」、「アビィ・ロード」など、リリー・フランキーの『ビートルズへの旅』を片手に巡る予定だった。ところが、出発の1ヶ月ほど前に、妻に1本の電話が掛かってきた。「こちら浜松の救急隊です」…義父が肺炎で倒れ、救急車で運ばれたという。「2時間で伺います」と新幹線に飛び乗った妻は、2週間以上帰って来られなかった。結局、旅は中止。妻は毎週のように浜松に通うことになった。

TOKYO04TOKYO03いにして、義父は肺炎の症状も軽く入院することもなく、半月ほどで熱も下がった。とは言え、腰椎を骨折して家事は自力ではほとんどできない義母の世話をするのは義父しかいない。妻のサポートも限界がある。困った。そんな時、ひとり留守宅にいた私の手元に1枚の新聞折込チラシが届いた。サービス付き高齢者向け住宅、いわゆる“サ高住”と呼ばれる施設だった。内容を見るとかなりの充実ぶり。24時間見守りサービスや、施設内に付随する介護施設との提携、広大な敷地内にある病院との連携、3食の食事は施設内のレストランで作りたてをいただけるし、ジムや大浴場まで整っている。何よりお気楽夫婦の自宅から徒歩圏内。素晴らしい。こんなところに住んでもらえればと帰宅した妻と相談。ダメ元で声を掛けてみるかと話したところ、意外にも検討の余地ありとの反応。では早速と義父母に代わって現地を見学してみた。

TOKYO06TOKYO05ねてみてびっくり。新聞折込チラシは元より、事前に入手したパンフレットより、実際の施設が素晴らしいのだった。広大な施設は元は大手保険会社の福利厚生施設(グランドなど)で、お気楽夫婦の住む地域の広域避難場所に指定されている場所。そこが複合的に再開発され、9ha(東京ドーム2個分)の広大な緑の中に、ファミリー向け分譲マンション、クリニックモール、公園、テニスコート、グランドなどが配されているのだ。建物に入ってすぐに、暖炉やソファ、グランドピアノまである吹き抜けの開放的なロビー、コンシェルジェデスク、正面には噴水まで付いた緑豊かな中庭が広がる。下手な高級ホテルより豪華。ゆったりとした食堂、カフェ、定期的に営業する美容室、シアタールーム、ジムにはなんと常勤のスタッフまでいて、多彩な居住者向けメニューが用意されている。自分たちが住みたい!と叫びそうになる。

TOKYO07TOKYO08室もこのような施設としては充分な広さと間取りが用意され、ベランダも広々として明るい。そして驚いたことに、モデルルームとして案内された部屋のベランダから、お気楽夫婦の住むマンションが見えたのだ!営業担当者にそう伝えると、「それは素晴らしい。きっと運命ですね」と、営業トークとしては陳腐だけれど、まさしくその通り。すぐに義父母向けのプレゼンテーション資料をパワポで作成。これまで何千枚も企画書、提案書を作ってきたのはこのためだったのか!という我ながら素晴らしい出来。パソコンをTVに繋いで提案すると、「良いねぇ」「住んじゃう?」と期待以上の反応。連れ出すのは不可能かと思われた義母も下見に行くと言う。何度目かのびっくり。

TOKYO09TOKYO10幹線のグリーン車で送り迎え、都内に入ってしまうと「都会は混んでて嫌!」と言われてしまう恐れがあったので新横浜で下車しタクシーに乗せて前泊地のホテルへ。翌日はタクシーで現地へ、下見した後はタクシーで新横浜経由で帰宅。そこからとんとん拍子に話が進み、契約することに。最大のびっくり。2人とも90年近く生まれた地から離れて住んだことがないのに、終の住まいとして東京を選んだ。お試し期間を作り、戻っても良いように自宅の処分は先にとも思っていたのに、すぐ売却しようという決断。ますます凄い。妻がキラーコンテンツであることは明白ではあった。私からの提案もそれが肝だった。結果、ひとり娘の傍に住めるという幸福を選んだ2人。両親に選んでもらえた妻の幸福。なんて幸福な親娘であることか。羨ましいほどだ。

TOKYO11TOKYO12し、妻のハードワークはそれからが本番だった。転居に関わる諸手続きの煩雑さ。住民票、電気、水道、TVなどの手続きはもちろん、複数の金融機関に資金移動や解約の手配をし、さらに複数の病院に紹介状を書いてもらい、引越し、廃棄物処理などの業者手配など、毎週のように帰省しても追いつかないほどの作業量。その合間を縫ってお気楽夫婦本来の(笑)仕事であるハイアットの修行も行わなければいけない。この春から秋にかけての妻のスケジュールは、もはや“お気楽”では決してなく、会社を退職し、非常勤のアドバイザリー契約に変わっていなければ不可能だった。その点、測ったように(決して良いことではないが)良いタイミングで義母が怪我をし、義父が倒れたものだ。

TOKYO13TOKYO14越し本番。前々日から泊まり込み、最後で最大の作業。最後の夜には従弟も挨拶に来てくれた。しかし、家具を運び出し、さっぱりとしたそれまでの住まいへのお別れもあっさりしたもので、お気楽夫婦の方が却ってしんみり。新幹線での送り迎えも以前の通り、横浜で前泊し、タクシーで新居へ。それまでに家具を買い替えたり、カーテン、家電製品など、身の回りのかなりのモノを処分してもらい、義父母の新居を整えた。「あら、良い感じだわね。ありがとね」と感想もあっさり。義父母の感情の波が穏やかなのは妻と同様。引越し後の後片付けもフルパワーの妻は笑顔で答える。子供が親の住まいを整えようとする際に、こんなに完璧を目指すのかという徹底ぶり。その愛情に感動すら覚える。逆に私ができることは限られるけれど、些かの役には立ったか。

「今日はサッカーの大会らしい。ただいま観戦中」サポートに行っている妻からLINEで報告。送られてきた写真はベランダで子供たちのプレーを見守る義母の後ろ姿。人工芝の緑と周囲の木々が心地良さそうだ。10月1日の「都民の日」を前に、この9月で義父母は東京都民となった。義父が倒れて4ヶ月余り、あっという間にご近所住まいになった。まだ部分的に現実感はないけれど、明日にはまた新しい家具が届き、夏物の整理もしなければと、現実の課題は毎日のように否応なくやって来る。「でも、これからは安心して旅行に行けるしね」と妻。やはりお気楽な(ちょっと照れ隠しの)妻だった。これにて「義父母都民化計画」第1弾の終了。

…か?

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