さらば浜松(涙)「センチメンタル・ジャーニー(1日目)」
2025年 11 月23日(日)


義父母が東京都民になって2ヶ月が経った。何の躊躇もなく東京移住を決断し、後ろ髪を引かれることもなく、80年以上住んだ“浜松”を後にした義父母に代わり、浜松を訪ねたお気楽夫婦。2泊3日の感傷旅行(妻の故郷を失ったセンチメンタル・ジャーニー)だ。まずは「浜松餃子」の名店「むつ菊」を訪ねた。浜松餃子の特徴は、野菜たっぷりのタネと店独自のタレ。カリッと円形に焼いた餃子の中央にもやしを乗せる。薄い皮がパリパリとして香ばしく、中はふわっと優しい歯応え。ビールにぴったり。あっさりとしていて少食の2人でもかなりの数を食べられる。いつの間にか全国的に有名になり、地元以外の人も知るようになったB級グルメに満足。*ふふふ、けれどもタクアンのみじん切りが入ったお好み焼き「遠州焼き」を知る人はいないだろう。←美味しいけど有名にはならないと思う。さらに、行きつけだったパン屋「ブランジェリー・スギヤマ」で、翌日のランチ用にパンをゲット。小さい店ながらオシャレで品数もそこそこ揃っていて、どれも美味しかった。この店にも来ることはないだろうなぁ(涙)。後ろ髪をひかれながら店を出る。


浜松を訪ねたメインの目的のひとつは、売却済み(引渡し前)の旧宅を訪ね、ポスト(郵便物)や室内のチェックを行うこと。チラシ、DMの類は入っていたけれど、個人的な郵便物は特になくひと安心。転居のご挨拶を送ったり、各所に転居の届出を出した効果を確認できた。盛夏には五月蝿いほどの蝉の声が降り注いだマンションの中庭は、今はひっそり。竣工から20年経ち、すっかり大きくなった庭木も堂々たるもの。部屋に入ると、家具などが一切ないためスッキリと広々としていて、義父母たちが住んでいた場所とは違う空間にいるような奇妙な感覚に襲われる。*20年前に引っ越した頃は、義父は今の私とほぼ同年代。皆んな若かった。内見のためにやってもらった不動産会社の掃除も行き届き、まるで新築同様。20年住んだとは思えませんね、という不動産会社の営業マンのトークもまんざらお世辞だけではない。人気の物件ということもあるけれど、早々に売れた理由も分かる。


25年以上(年に数回=通算50〜60回)浜松に通ったのに、訪れていない観光名所を訪ねようというのも訪問のテーマ。そこで選んだのが「浜松科学館みらい〜ら」という浜松駅近くのオモシロ施設。“い〜ら”というのは遠州弁で“良いでしょう?”という意味で、未来と掛けて“みらい〜ら”というネーミングがステキ(笑)。エントランスを入るとすぐに『エヴァンゲリオン』の渚カヲルがお出迎え。浜松市が推進する地域連携プロジェクト「シン・ハママツ計画」の一環として立ちっぱなしのカヲルくん。ご苦労さまです。そして最上階にはプラネタリウム。浜松の夜空をライブ(スタッフが生声で)で案内されながら心地良い眠りにつくお気楽妻。寝不足だね。他にも地元企業(SUZUKI)とタイアップしたバイクのシミュレータが楽しめたり、参加型の科学クイズのコーナーがあったり、時間が足りない!ほどの楽しさ。また来たい!と愚図る子供になりそうな施設だ。


浜松滞在初日の掉尾を飾るのは、老舗の名店「割烹弁いち」だ。2008年に初訪問以来、毎年数回訪れてきたお気楽夫婦にとって大切な店。17年間に通算で(おそらく)30回以上通い、年始にはこの店のお節料理をいただくのが楽しみだった。その日は地元に住む妻の従弟と同行。祖父の代から続く歯科医院を継ぎ、先祖代々の墓を守ってくれている一族の支柱的存在だ。ほぼ下戸揃いの親戚中で、数少ない“飲める”相手でもある。いつものカウンタ席に3人で並び、食材の良さを最大限に活かした繊細で端正な料理をいただく。いつもの通りに旨い。そして大将の鈴木さんが選ぶ日本酒とのペアリングを堪能する。料理と酒の絶妙なるマリアージュ、それこそがこの店の醍醐味。さらには大将が語る酒の由来を伺いながら嗜む酒の旨さよ。この店に来ることも“マスオさん”たる私にとって、浜松訪問のモチベーションだったなぁとしみじみ。
「楽しく、美味しく、嬉しい時間でした。今は幸せな酔っ払いです」店から30分以上歩いて帰った従弟からメッセージが入った。「もしかしてお酒、強いんじゃない?」と妻が感想を零す。彼が浜松にいる限り、妻の“故郷”は無くならない。またいつか、「弁いち」さんのカウンタで、共に幸福な酔っ払いになろう。