深酒をする夜には、ある法則がある。旨い酒はもちろん、酒が進んでしまう美味しい料理。飲み続けている時間を忘れてしまう居心地の良い店。そして何よりも一緒にお酒を飲んで愉しい相性の良い飲み仲間。これらが揃えば確実に酒量は増える。ましてや、眉目麗しく酒が強い女性が一緒の夜ならば、絶好調!と調子に乗り、間違いなくメーターを振り切る直前まで深酒をしてしまう。ある夏の夜もそうだった。お店は桜上水の「さかなの寄り処 てとら」。肴と魚と酒が旨い、やたらと居心地の良い店。ご一緒したのはスカッシュ仲間の小顔美女。顔色ひとつ変えずに淡々と飲み続ける酒豪。深酒必須の組合せ。家まで連れて帰ってもらうため、もちろん妻も一緒だ。
少し遅れるという小顔美女を待ちながらビールをぐびぐび。夏野菜ときときとの刺身を摘みながら、夏にぴったりという日本酒をぐびり。登場した酒豪美女と一緒にスパークリングワインで乾杯。刺身のちょっとづつ全部盛り、キスと茄子の揚げ浸し、酒と相性の良い料理。貸したり借りたりの小説の話、実ったり実らなかったりの恋の話。愉しい酒だ。いつの間にかするするとボトルが空になる。絶品の潤香(うるか)付きの鮎の一夜干しを肴に、ワインをグラスでいただく。さらに1杯…と飲んだらしい。妻の証言によると。電車で帰ったのは記憶にある。けれど、その後の記憶はまだら。空白の時間を埋めるためには妻のことばを信じるしかない。
また懲りずに、ある夏の夜も。向かったのは松陰神社前の「広東料理 Foo」。季節の食材を活かした慎ちゃんの絶品料理が味わえ、ねもきちの心地良いサービスについ食べ過ぎ、飲み過ぎてしまう中華ビストロ。お相手はご近所の名パティシエ、「ル・プティ・ポワソン」のマコちゃん。さらには馴染みのビストロのシェフ夫妻という組合せ。これまた深酒必須。途中駅でばったり会ったマコちゃんと同伴で入店。「へへ、愛人って感じで同伴♡」人見知りのマコちゃんも、ここまで来たかと涙ぐむ。2人で乾杯。続いて登場したシェフ夫妻と泡で乾杯。すぐにボトルが空になり、白ワインもすぐに消えて行く。お目付役の妻が遅れて登場した頃にはすっかり酔っ払い。

その日のメイン料理は清蒸鮮魚:鮮魚の広東式姿蒸し 熱々油かけ。大勢でこの店に来たら必ず選ぶべき一品。その日はカサゴ。大皿にど〜んと美しい朱色の尾頭付き、たっぷりの白髪ネギと香菜。ねもきちが取り分けてくれる白身の魚のなんと美味しいことか。ワインが一段と進む。楽しい夜だ。ん、?いつの間にか目を閉じて皆の話を集中して聞いていたらしい。いかん、いかん。「さぁ、帰るよ!」妻に促され、マコちゃんと一緒にホームタウンに戻る。「IGAさん、もう少し飲みましょうか♬」え”?まだ飲むか?駅近くのバルを覗く。深夜にも関わらず混んでいる。さすがにもう飲める気がしないし。じゃあ、また今度行こう!と誓いのハグをして別れる。
「今日はお風呂に入っちゃダメ」…と、どうやらその日は言われたらしい。一緒に飲んで愉しい相性の良い飲み仲間がアクセルならば、妻はブレーキ。…では決してなく、シートベルト。飲むことを止めはしない。けれど、お!こいつは危ないぞと思ったら安全を確保する。一滴も飲まずに最後まで働く、妻の絶妙な制御機能。深酒の今夜も感謝せねば。
良い芝居を観た後の高揚感は、芝居の醍醐味のひとつだ。観ている最中に舞台の世界に迷い込む感覚も楽しいけれど、現実に戻ってきた後の時間も悪くない。あの役者の演技が、あの場面での演出がと、観終えた芝居から受け取った熱を誰かにすぐに伝えたくなる。幸いなことに、良い芝居だったねと言い合える相手がすぐ隣にいる。残念ながら隣にいる妻は熱をさほど発しない。けれど、観終わった芝居に満足しているのが分かる。微熱感動。お気楽夫婦は芝居好き。知り合ってからずっと、おおよそ20年もの間、年に20〜40本のステージを観続けている。その数百本の舞台の中に2人の高揚感の記憶がたっぷりと詰まっている。決して当りの芝居ばかりではないけれど。
ロナルド・ハーウッド作、三谷幸喜演出、シスカンパニー公演、『ドレッサー』を観た。大泉洋のセリフ回しは小気味好く、橋爪功の科白は老練なタメを持つ。シェイクスピア劇団の老座長を演じる橋爪と、長く座長に仕えてきた付き人役の大泉の絡みが愉しい。2人の演技は素ではないのかと思わせる三谷の演出。実に巧い。実に面白い。安心して芝居の世界にたっぷりと浸ることができる。良い芝居だ。そんな余韻を味わいながら美味しい酒を飲み、美味しい食事ができれば、最高に幸福な夜になる。三軒茶屋にある劇場に向かう世田谷線の車内で、ふと思い付き予約した店に向かう。松陰神社前駅の目の前、電車からも見える「ビストロ・トロワ キャール」だ。
まずは全部乗せでお願いします!というオーダーに木下シェフがにかっと笑う。そして出てきたのは、前菜を少しづつ、全種類盛付けた美しく嬉しい一皿。タスマニアサーモンのスモーク、キャロットラペなど、お馴染みの珠玉の逸品が勢揃い。一品づつ、じっくりと味わう幸せな時間。マダムのまゆみちゃんお薦めのきりっと冷えた白ワインをぐびり。ん〜っ、これを幸福と言わず、何が幸福か。ボトルに少しだけ残ったワインを注ぎ切ってもらい、さらに小さな幸福が加わる。続いて生ハムと桃、山羊のチーズのサラダ。絶妙な食材と食感の組合せ。「美味しいね〜っ♡」妻のテンションが上がる。焼きたてパンが進む。グラスはいつの間にか空になっている。
「今日はお肉を食べよう!」上がったままのテンションで妻がオーダーしたのは、牛カイノミのステーキ。観劇の後に食べ始めたため、時間は既に22時を廻っている。良いのか?「良いの良いの♬ここでは美味しい肉をがっつり食べなきゃ!」じっくりと焼かれた色鮮やかな夏野菜をお供にステーキ登場。白い皿にどかんと眉目麗しいステーキ、赤と黄のパプリカ、カボチャ、アスパラガス、ズッキーニ、そしてバジルソースの緑が美しい。もはや芸術的な一皿。「んんっ、美味しいぞぉ」妻が唸る。これは確かに旨い。適度なサシ、ジューシーな肉の歯応えと柔らかさのバランスが絶妙。やるなぁ、木下シェフ。良い芝居と美味しい食事。満足で幸福な夜。
「さぁ、電車で帰るよ!」幸福な夜の余韻にさらに浸るために、タクシーに乗ろうという私の機先を制する妻。ちっ、読まれていたか。「電車はまだあるし、駅前にいるんだから」終電間際の電車に揺られ、幸福な夜を味わう。それもまた愉し。「お風呂で寝ちゃダメだからね」妻は余韻を封じ込める。
亡き父の四十九日法要を終えた夏の日、父の書斎を訪ねた。弟が少しづつ整理してくれてはいたものの、ほとんど父が生前のまま。地方史研究の資料、自ら主宰した句会の句集、愛読書などが書架に残る。その中に2冊の詩集を見つけた。高村光太郎『詩集 智惠子抄』『詩集 智惠子抄その後』の2冊。高校生の頃、その父の愛蔵書の奥付に書いてあったメッセージに、若き日の父と母を思った記憶があった。『智惠子抄』を手に取り奥付を見る。記憶違いか、何も記載がない。もう1冊、『智惠子抄その後』を開くと、そこに父から母へのメッセージがあった。
贈 私の最愛の書を以って 貞子の十八才を祝う。
父が十九才、農業高校を卒業し郵便局員になった頃。十八才の母は、女子校卒業の年、大学農学部の助手として花や植物を育てようとしていた頃。農家の次男坊、農業高校だったらと何とか進学させてもらえた父。網元から呉服屋に転じ、羽振りの良かった商家の長女であった母。戦後間もない山形の田舎町では、結ばれようもない2人。けれど、2人は恋をした。そして2人の若き情熱は周囲をも溶かし、叶わないはずの恋を叶えた。そんな恋のはじまりの頃、十九才の父が十八才の母に送った詩集。
その2冊の詩集が今、私の手元にある。亡き母と父からのプレゼント。
中に、こんな詩がある。「元素知恵子」という1篇。〜智惠子はすでに元素にかへった。わたくしは心霊独存の理を信じない。智惠子はしかも實存する。智惠子はわたくしの肉に居る。智惠子はわたくしに密着し、わたくしの細胞に燐火を燃やし、わたくしと戯れ、わたくしをたたき、わたくしを老いぼれの餌食にさせない。精神とは肉体の別の名だ。(中略)元素智惠子は今でもなほ わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。
遠く離れて暮した母の死は、父との別れは、私にとって高村光太郎のこの詩の感覚に近い。肉体は消え失せても、父と母は今でも私の中に居る。私の生ある限り、ずっと居続ける。若き父が、最愛の書として最愛の母に贈った詩集。以来、ずっとずっと仲良く寄り添った2人が大切に持っていた2冊の本が、今私の手元にある。その意味を思う。母が逝って7年、父は愛する母の元へ旅立った。きっとすぐに出会い、また2人で仲良く暮しているに違いない。互いに、高村光太郎の言う「元素」となっていても。
「ふぅ〜ん。元素になったら、きっと私は分かんないなぁ」と妻。いいさ、きっと私が妻の元素を探し当てる。