毎年5月の連休にお気楽妻の故郷で行われる「初子」を祝う「浜松まつり」。ゴールデンウィークの人出予想で毎年TOP10に入る人気のイベントだ。神社や寺院の祭礼ではなく、長年続く住民による市民祭。日中は各町内の家々の長男誕生を祝い「初凧」を揚げ、凧合戦を行う大凧を挙げる。そして夜は各町内自慢の御殿屋台と呼ばれる絢爛豪華な山車が街に繰り出し、その意匠を競う。御殿屋台と共に、提灯を手にした法被姿の男たち、女たち、子供たちが練って歩く。ラッパに合わせて「おいちょ、おいちょっ」とかけ声をかけ、すり足で練って歩く。初子を祝う町内の家の前で練って祝い、街の中心で屋台と共にお披露目をする。そんな祭の風景が3日間続く。
祭に参加する町の数は2013年で173。それぞれの町毎に凧の文様(凧じるし)があり、法被がある。参加する法被には正式なモノであることを示すワッペンが縫い付けられている。祭の期間中は誇らしげに法被を着て街を歩く祭好きたちが街のあちこちに溢れる。ファッションとして「なんちゃって法被」を着た若い女の子たちが街を闊歩していたりもする。「お久しぶりです!」お気楽夫婦の前に(正式なワッペン付きの)法被姿の男性が現れた。祭の夜に待ち合わせしていたのは前職「ぴあ」時代の後輩。転職した彼は、転職先の世界的SPA企業でのフランス駐在から帰って来たばかり。奥さまの実家のある浜松の祭に参加するのは久しぶりだと言う。
「懐かしい店に行ってみましょう」彼も私もこの街のチケットぴあの店舗を担当をしていたことがあり、その店に長く務めた担当者の女性に連れて行ってもらったことがある赤提灯。「あぁ、ここだ」1度か2度行ったことがあるだけの私と違い、どうやら彼は何度も足を運んだことがある気配。店の中を覗くとほぼ満席。店主のおばちゃんに挨拶だけして来ると店に入って行った彼が驚いて戻って来る。この店の常連である、かの担当者の女性が独り飲んでいたのだ。「あぁ〜っ!久しぶり!」席を詰め、ご一緒することに。10年以上お会いしていない私と違い、フランス赴任前にも連絡を入れていたらしく、後輩の近況もきちんと伝わっている。さすが、法被姿の婿殿。
「私も浜松出身で、母の実家が××町なんです」「××のJAの近く?」妻が初めましての挨拶をすると、しばらく私を除く3人で浜松話、まつり談義。さすがの私もついて行けない超局地的ローカル話。やるなぁ婿殿。聞けば彼の奥さまは大の祭好き。この季節には血が騒ぐらしい。その日も法被を着せた幼い娘と一緒に、祭仲間たちと一緒に練りをやっているのだという。「あ、今店の前に来たそうです」さっそく何度かお会いしている彼女(と一度会っている娘さん)にご挨拶。ふぅむ。法被姿の3人家族。それぞれがなかなか似合うけれど、祭好きの奥さまはやはり板についている。渡仏前にお会いした際の奥さま然とした佇まいとは見違えるような法被姿。
「町同士のライバル関係とかあって、自分の町の法被の方が粋だとか、僕にとってはどうでも良いんですけど、いろいろと面白いんですよ」そう言いながらも嬉しそうに杯を干す後輩くん。彼もすっかり浜松の男。なんだか嬉しい酒だ。自分たちがささやかながら関わった街に、深い縁ができて度々訪れることになった。そして好きになった街で、お世話になった方に偶然会えて杯を交わすことができた夜。偶然も重なれば必然。またいつか、この街で。祭の夜に!
5月の連休、お気楽夫婦は浜松に向うのが恒例。一人娘の妻は、両親の住む街に帰る度に子供に還る旅でもある。週末の夜、いつもならビールにワイン、おつまみを大量に買込み新幹線宴会を行うところ、今回はワインのミニボトル1本で我慢。それと言うのも、浜松に着いてすぐに向う店があったから。浜松の名店「割烹 弁いち」が、その店。妻の故郷への旅は、弁いちで美味しいお酒と料理を味わう旅でもある。日本各地の季節の食材を、最高のコンディションで取り揃え、食材の旨味を最大限に引き出す料理にする。そしてその料理に合わせた日本酒が用意されている。いつものように個室のカウンタ席に座り、ご主人のチョイスに身を委ねる。すると、いつものように幸福な時間がやって来る。お気楽夫婦が愛する、浜松の大切な店。
ある日の浜松ランチは桜エビのかき揚げ蕎麦。蕎麦中心のメニューの、なんてことはないファミリーレストラン。そんな店に静岡名産の桜エビがあるのが嬉しくなる。冷たい蕎麦の上に、食べやすく小さめに揚げられた桜エビのかき揚げ、おろしダイコン、さやえんどう、レモン。色合いも美しく、涼味と食欲を誘う一品。期待していなかったから、尚更うんまい。思わずビールを頼もうとして踏みとどまる。昼食の後には浜松滞在中に毎日通うスポーツクラブに行かねば、というスケジュール。腰を痛めた義母がリハビリとしてプールでウォーキングするために、毎日義父が付き添うのだ。そこに便乗して汗を流すお気楽夫婦。地元の美味しいモノを食べ続ける代わりに、しっかりとトレーニング。ここ数年ほどのお約束だ。
浜松と言えば、浜名湖の鰻。浜松市の1世帯当りの鰻の蒲焼きの消費量は日本一とのこと。餃子も宇都宮を上回り日本一の消費量だから、鰻や餃子をたっぷり食べて(妻のような)元気な浜松っ子が育つのかと納得しつつ、ご近所に新しくできた鰻屋へ。「鰻菜詩(うなしー)」という名前の、スイーツ店と併設されたこぢゃれた店構え。清潔で上品な店内。ワインセラーや日本酒クーラーが店内に配され、さり気なく酒の品揃えをアピール。ふんふん、メニューも豊富。妻はウナ茶(名古屋で言う櫃まぶし)をオーダー。肝焼きを頬張りワインをぐびり。良い感じ。そこにウナギが美味しそうに盛付けられたウナ茶が登場。表面がかりっとして、内面はふんわりとしたウナギ、これだよ。ん、旨い。これは良い店を発見してもらった。義父母に感謝。
「ポテチ買ってあるよ」お酒を飲まない義父母。けれど、酒飲みの私を気遣い、ヱビスを買い置き、つまみを揃えていつも待っていてくれる。大げさ過ぎるくらいに喜び、お礼を言い、美味しそうに飲み、食べる。それが私の役割。今回は地元名産三ヶ日みかん味のポテトチップス。この地元ポテチシリーズはお気楽夫婦のお気に入り。以前、静岡茶味のポテチがお土産として持ち帰った仲間たちにも好評だった。どこに連れて行こうか、どこで食べようか。娘が帰って来るのを心待ちにし、どうやって楽しませようかといつも心を砕く義父母。感情体温が低く、歓びのリアクションが薄い妻の代わりに“喜び組”となる。喜んだ私に対してリアクションが薄い義父母だけれど、毎回違った趣向で待ち受けていてくれるから、きっと嬉しいのだろうと納得する。
「お疲れさまでした。今回もありがとうね」東京に戻る新幹線の車内で、娘から妻に戻りながらひと言。このひと言のために良い婿殿をやっているようなもの。浜松は妻の故郷であり、地元の美味しい味覚を堪能できる馴染みの旅行先でもある。そしてまた新たに遠州浜松のソウルフードが記録された。次は、秋の頃に!
■「食いしん坊夫婦の御用達」*「割烹弁いち」の詳細データ、訪問記
1988年、名古屋駅近くの笹島貨物駅跡地にキャッツシアターが建てられ、ミュージカル「Cat’s」ロングラン公演がスタート。チケット発売に合わせ、ぴあ中部版が創刊され、チケットぴあ名古屋がスタートした。当時、チケットぴあ店舗開発担当だった私は、名古屋に長期出張で半年近く滞在した。名古屋は独自の文化を持つ、閉鎖的で大きな田舎だと地元の人は自虐的に言った。3M(松坂屋、丸栄、三越)という地域に密着した百貨店、3座(御園座、中日劇場、名鉄ホール)と呼ばれる劇場、プレイガイド協会という既存勢力、地元メディア、名鉄などの鉄道会社、そして東海地区で圧倒的なシェアを持つ興行元のサンデーフォーク。それらの企業間の複雑な調整をしながらの営業交渉。30代に突入したばかりのワカゾーには刺激的な仕事だった。
食文化も独特だった。今でこそ名古屋メシとして全国的に有名になったが、その代表格の手羽先の唐揚げですら当時の東京では未知の食べ物。今や全国に店舗を広げる「鳥良」も1984年に吉祥寺で産声を上げたばかり。初めて「風来坊」や「世界の山ちゃん」で手羽先を食べた時、パリパリとした食感、スパイシーで癖になる味に東京から来たメンバーは「なんだこりゃぁ〜!どぇりゃあ旨めゃ〜でかんわぁ!」と誰もが叫んだ。そして毎晩のように手羽先を食べ続け、脂で汚れた指をしゃぶり続けた。1人で何人前も食べることを常とし、食べ終えた骨がテーブルの上に山と積まれた。他にも「山本屋総本家」の味噌煮込みうどん、「矢場とん」の味噌カツ、「いば昇」の櫃まぶしなどの洗礼を受けた。それらが全て好きかどうかは別にして。
ある春の日、そんな思い出が詰まった名古屋の街に出張。Facebookで繋がり直した当時のメンバーたちと久しぶりに会うことになった。「店は風来坊で良いですかぁ」当時は20代だった名古屋美女から連絡が入る。もちろん異論なし。待ち合わせは風来坊錦店。生ビールを頼むと同時に人数分以上の手羽先をオーダーするのは当時のまま。胡椒と塩味の懐かしく熱々の手羽先をがぶり。やっぱりしみじみ旨い。「風来坊」も「世界の山ちゃん」も東京に出店し、東京でも食べられる味ではあるけれど、やはり名古屋で食べるべき味。懐かしいエピソードで大笑いし、現在の互いの様子を伝え合っては頷き、あっという間に手羽先や生ビールが消えていく。何年も会っていなかったとは思えない、同じ時代を共有する仲間たち。嬉しい限り。
翌日、近鉄で伊勢湾沿いに南下。昼時、ふと思い立って桑名で途中下車。初めて訪れる街。桑名と言えば「焼きハマグリ」ということで店を探すと、「はまぐり食道」というストレートな店名を発見。迷わずハマグリ尽くしのランチを食す。ハマグリのしぐれ煮茶漬け、焼きハマグリ、ハマグリのフライ、ハマグリのお吸い物。それぞれ違う味わいを楽しめるゼータクな美味しさ。これもある意味名古屋メシ。そして帰路、新幹線の車内で味噌串カツを食べながらビール。冷えた串カツが味噌味と相まって、…美味しくはない。けれど、訪ねた土地の食べ物を味わうことを良しとしている私としては、名古屋からの帰路に食すべきは、柿ピーではなく、ポテチではなかったのだ。たとえそれが予想通りに不味くても。
「毎回思うんだけどさ」ん?「なんだか愉しそうな出張だよね。というか、出張なんだよね」妻の疑問もごもっとも。ブログに記すべきは仕事のネタではなく、食いもんネタ。辛いことではなく、楽しい話題。それが“快楽主義”宣言のアイデンティティ。「辛いことなさそうだけど」という妻の声はスルー。久しぶりに名古屋を味わい、楽しんだ旅。もとい、出張。また近々名古屋にお邪魔します。