29の日は世田谷線に乗って♬「BISTRO Trois Quarts」

SetagayaLine3:4月29日を「肉の日」と呼んで楽しみにしている友人たちがいる。2人ともスカッシュ仲間。そしてFacebook仲間でもある。29日になると2人一緒に、あるいはそれぞれ別々に(毎月ほぼ確実に)肉料理の画像がサイトにアップされる。バリバリの肉食カップル。彼は見た目通りの、彼女は見た目とは大違いの大食漢で、大酒飲み。そんな2人とご一緒したい店があった。BISTRO Trois Quarts(ビストロ トロワキャール)。世田谷線の松陰神社前駅上りホームからなら徒歩1分、…も掛らない。駅至近の絶品肉料理の店。お誘いすると快諾。とある休日、体調万全に整えて「29の日ランチ」に臨んだ。

PorkSalmonしいっす♬」元野球少年の彼が目を輝かす。「楽しみにしてましたぁ♡」最近は乗馬が趣味だという彼女が微笑む。予約したのは、敢えて4人でカウンタ席。この店はキッチンとの距離が近く、シェフが近い。食事やお酒を楽しむだけではなく、シェフの調理の様子を眺められるカウンタ席がオススメ。次の一皿が出て来る前からライブで料理が楽しめる。まずはイノシシのリエット、白レバーのペーストとカシスソース。「うわぁ〜っ、美味しいっ」「これでワイン1本行けます!」焼きたてのパンとの組合せは幸せなマリアージュ。続いてキャロットラペ、サーモンなどの前菜が波状攻撃を掛ける。

Beafat3:4ぁ〜っ、これやばいっすぅ〜」歓びに身もだえる彼。事前に「厚めに切りますか?」というシェフの聡ちゃんの挑発に乗った。「牛肩ロースのソテー レンズ豆の煮込み添え 粒マスタードソース」が、目の前にどかんと置かれる。ただでさえガッツリ系の店で肉増量とは。さすがだ。ワインも良いペースで飲み干される。うはは。清々しく気持の良いランチだ。「パンのお代わりはいかがですか」の問いにも「いただきます」と即答。小柄な彼女もよく食べ、よく飲み、よく笑う。飲んでいないはずのマダムのまゆみちゃん、お気楽妻の笑い声も重なる。愉しいランチだ。良い店だ。良い街だ。

HanautaManekiNeko本幸久のデビュー作『笑う招き猫』2作目の『はなうた日和』は世田谷線沿線の街が舞台。2両だけの電車が軒先を掠めるように走る街々。この2作を読みながら、この店のすぐ下を通る電車を思い浮かべていた。のんびりと、ゆっくりと、温かな世田谷線。線路のすぐ横にはつくしが顔を出し、紫陽花などの花が咲く。母親に抱かれながら、じっと目を輝かせて電車を見入る幼子がいる。当たり前のような日常が貴重。そんな風景を車内から眺められるスピードで進む世田谷線に乗って、この店に向う。松陰神社前の駅を降りてすぐ、小さな階段を上る。すると温かでラブラブなご夫婦が待っている。

やぁ、良い肉の日でした!」「とっても美味しい肉の日でしたぁ♡」肉好きの2人が声を揃える。微笑ましいくらいに。ここにも温かでラブラブな2人。山本幸久の2作品に「世田谷線の歌」が掲載されている。もちろん山本幸久オリジナル。♬世田谷線はね(中略)おんなじところ走っていたいの おなじ町見ていたいの でね今日もシモタカとサンチャ行ったり来たり♬ 詳しくは集英社文庫を!

楽しい独り酒♡「Foo、3/4、てとら」

Foo1Foo2る日、夕方のスケジュールが急に飛んだ。当初の約束の街に向かって電車に乗った直後、予定変更のメールが入った。オフィスに戻る気分でもない。妻の深夜残業の日々は続いている。自宅に帰っても独り。料理を作ったり、デパ地下で総菜を買って帰る気分でもない。かと言って急に誘える友人も、独りで飲みに行ける店も限られる。ん〜っと悩んだところで「dancyu」最新号のチャーハン特集に掲載された店が浮かんだ。そうだ、Foo行こう。電車を乗り換え、世田谷線で松陰神社前に向かう。

Foo3Foo4IGAさん、こんばんは。おひとりで珍しいですね」と、ねもきちくんに迎えられる。チャーハン食べに来ました!とシェフの慎ちゃんに声をかけ、軽く流される。しゅん。カウンタの端に座り、ビールをぐびり。独りで飲んでも旨い。おひとり様御用達の前菜ちょい盛をつまみながら、おススメのワインをぐびり。ねもきちくんとの会話も良いスパイス。ん?そこでふとあるアイディアが浮かぶ。ちょい飲みでハシゴは楽しそうだ。パラパラの絶品チャーハンをハーフにしてもらい、完食。んまい。次の店に向かう。

3:4 13:4 2にやって来たのはビストロ トロワキャール。ホワイトアスパラを食べに来ました!とカウンタ席に座り、まゆみちゃんおススメのワインをぐびり。やはり独りでも旨い。「ブーダンノワール召し上がりますか」とシェフの聡ちゃん。食べます、食べます♬優しい味わいの“血のソーセージ”をチビチビとつまみがらワインをさらにぐびり。さらに旨い。オランデーズソースを作る厨房の風景を楽しみながらワインをぐびり。待望のホワイトアスパラをいただく。皿まで舐めたい絶品ソース。つくづく幸福である。

Tetra1Tetra2IGAさぁ〜ん、待ってましたぁ〜♡」3軒目の「さかなの寄り処てとら」の扉を開けるとFooのねもきち妻チエちゃんとパティシエのマコちゃん。これは嬉しい誤算。独り飲みのはしごという酔狂な試みも、最後は飲み仲間と合流という方針変更。「IGAさん、ウチの店だけ仲間はずれみたいで淋しいじゃないですか」と絡むマコちゃん。今から店を開けてくれたらタルトオランジュをホールで買うよ!と笑ってかわす。「一緒に飲むのは久しぶりですよね」と笑顔のチエちゃん。相変わらず2人とも楽しい酒だ。嬉しい宴だ。

谷出たよ!」いつも通り簡潔なメールが妻から届く。時計を見れば終電の時間。自転車で店にやって来ていた道交法違反の女子2人を残し駅に向かう。それにしても良い夜だった。淋しさなど微塵もない、楽しいだけの独り酒だった。いろいろな縁で3つの店と繋がり、人と繋がった。独りカウンタで過ごせる店があることがありがたい。「…って、飲み過ぎだけどね」合流した妻も苦笑。こんな夜をまたいつの日か。「こりゃ定期的にやりそうだな」妻の直感は正しいと思ふ。

息子、帰る「祭の日」

Maturi7港として栄えた港町に、弁天島という陸続きになった小さな島がある。そこに厳島(いつくしま)神社という小さな神社がある。広島の宮島にある厳島神社が総本社で、全国に500ヶ所ほどある市杵島姫神(イチキシマヒメ)を祭神とする神社のひとつ。神仏習合時代に、仏教の女神である弁財天と習合された。この町の神社も「弁天様」と呼び慣らわされ親しまれてきた。島自体がご神域でもあのるだろう、島の突端にも鳥居があり、小さな祠があった。市杵島姫神は宗像三女神の辺津宮であるから、中津宮、沖津宮の祠であったのかもしれない。子供の頃は、磯遊びや釣りの場所でもあったけれど、この島そのものに怖れがあり、その怖れの核となるのが神社だった。

Matsuri年4月15日、神社の例大祭が行われる。謂れは知らないが、神事だから曜日は関係なく15日。地元の小学校は“お祭りの日”は休みになり、子どもは神輿の担ぎ手になる。けれど中学は広域学区だから休みにはならず、祭りに参加できるとは限らない。高校生になるとクラブ活動やデート、受験勉強が優先。祭を見に行くことすらなくなる。ましてや、高校卒業後に町を離れた者は祭とは縁遠くなる。まさしく私がそうだった。祭の日は遠い日、子ども神輿を担いだ頃の記憶しかない。ところが、50年近く経ったこの日、入院中の父が一時帰宅。自宅に戻り、病人とずっと付き合うこともなかろうと気遣う父に「観に行ってこい」と促され、妻と一緒に祭見物に出かけた。

Matsuri2輿はどこにいるんだろうね」と妻。遠くからお囃子の音が聞こえる。小さな町だ、すぐに見つかるだろうと見当をつけて歩く。ぴぃ〜りら、ぴりらりらりらり、ぴりららりら、ぴりらりらり♬と、お囃子が近づく。記憶の底に沈んでいた笛の音が間近に聞こえる。そして神輿や獅子舞の行列の先頭で笛を吹いていのるは我が弟だった。地元の市役所に長く勤め、早期退職してバーを開業した弟は、地元でしっかりと根を張っていた。紋付袴、白足袋にワラジの祭装束。何だか誇らしげな後ろ姿だ。神輿とともに町を歩く。担ぎ手たちの足下がふらつく。各家の前で振舞われるお神酒を飲み続け、笛の音に合わせてかけ声を上げ、よろよろと進む。それには訳がある。

Matsuri5装束の精進人(しょうじと)と呼ばれる担ぎ手たち。彼らには試練が待っている。雪解けの冷たい水が流れるこの時期の川に、精進人が担ぐ神輿を流すのが習わし。お神酒を呑まずに川に入ったら秒殺。水の冷たさを感じない高揚が必要なのだ。神輿に川の水を掛け、洗い清める。担ぎ手同士で水を掛け合う。それが祭のクライマックス。子どもの頃、酔っぱらった担ぎ手たちが観客たちに声を掛け、ふらついた足で寄って来る様子が恐ろしかった。けれど、今なら分かる。彼らは町に残り、町と共に生きる、町を愛する男たちなのだ。長い冬が終わり、春を迎える歓びを神事に託しているのだ。今なら分かる。祭りの日を指折り楽しみにして、この日を迎えたのだ。

Matsuri6輿に付いてさらに歩く。お神酒を振舞っている中に幼なじみの顔があった。久しぶりの対面にお互いにちょっと照れながら短い会話を交わす。同級生が見物しているだけの私にもお神酒を振る舞ってくれる。お囃子、笛の音、太鼓の音、精進人たちのかけ声。子供神輿、赤獅子と黒獅子の獅子舞、天狗の装束は猿田彦。酔って倒れ込んでしまった今年デビューの精進人は同級生の息子だという。故郷の祭は懐かしく、かつ初めて観る祭のように新鮮で、かつて子供だった頃の心象風景とは異なる祭として目に映る。少子化、過疎化が進み、担ぎ手たちが減っている中、祭を残そうと奮闘し、かつ祭を楽しむ町の人々。獅子に頭を噛んでもらう幼子を抱く若い母親の姿が嬉しい。

ぃ〜りら、ぴりらりらりらり、ぴりらりりら、ぴりらりらりらり、ぴ〜らりらら♬弟たちの吹く笛の音。東京に戻ってきた春の日に、す〜っと浮かんだ。

*写真の一部は「鼠ケ関神輿流し」より (管理人の1人の)弟から許可をもらい転載しました。

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