ハモニカ横町の夜は更ける「吉祥寺ハシゴ作戦」

NakamiseHarmonicaる週末、お気楽夫婦は迷宮を彷徨っていた。独特の光彩を放つ中央線文化圏の象徴的な存在である吉祥寺。住みたい街ランキングで不動の1位を獲得し続ける街。多くの商店街があり、井の頭公園の自然があり、個性的な飲み屋があり、Jazzなどのライブハウスがあり、行列のできる名物店があり、こじゃれたショップが数多くある。大型商業施設から個人経営の小さな店まで、駅を中心に数百メートルの歩ける範囲に集まり、街がコンパクトにまとまっている。中でも駅の北口すぐの一等地にあるハモニカ横町は、吉祥寺の魅力あるエッセンスをさらにギュッと濃縮し、魅惑的な空間を生み出している。

JollyPadCoconutsいて楽しい街だ。小路の入口にある看板が蠱惑的。ふらっと通りに入り込む。スペースを譲り合いながらすれ違う。狭い路幅が人と人の距離を近づける。どの店も小さく間口は狭い。けれど、通りに向って開かれている。店の外と中の境界がない。隣の店との境界が分からない。通りと店、街が溶け合っている。飲食店の呼び込みの店員の国籍はばらばら。料理のジャンルもインターナショナル。そんな迷宮に文字通り迷い込んだお気楽夫婦。街角を曲がり、同じ小路に戻り、店の選択に迷う。スカッシュの後、喉は渇き腹ぺこ。ふとタイ料理のチープな手書看板が目に入る。今日入るべき店はここか?

333Saladeェトナムビールの333(バーバーバー)とアイスティで乾杯。ふぅ。一息付いて店内を見渡す。プーケットの裏町にある風情。旅情を感じさせる。料理が出てくる。店の選択が間違っていたのに気付く。様子を見ようと、2品だけのオーダーにしたことが成功。すかさずハシゴ作戦に変更。さっと料理を平らげ店を出る。再び迷宮を彷徨う2人。次の間違いは許されない。人気店「ハモニカキッチン」の姉妹店「アヒル ビアホール」に向う。1階は酒瓶が棚一杯に並ぶ立ち飲みバーと焼鳥屋(てっちゃん)」がシームレスに同居。小さな十字路の斜向いの「カフェ モスクワ」も含め、同じ系列の店らしい。

BeansAhiruパークリングワインとジンジャーエールで再び乾杯。ざわざわと適度な喧噪が店を包む。1階の雰囲気とは違い、照明は明るく写真付きメニューが壁にデカデカと貼り出され、ちょっと興醒め。とは言え、料理はフツーに美味しい。ドリンクメニューも豊富で価格も手頃。気軽でカジュアルな使い方ならアリの店。調べて見ると、この店はICUの学生が1980年代に立ち上げたVICという会社が経営し、ハモニカ横町を中心に吉祥寺だけで20店近くの系列店があるという。なるほど。この企業がハモニカ横町のイメージを再構築したのか。吉祥寺の新しい文化を創りつつある勢いだ。

野口伊織氏が1960年代からジャズ喫茶「FUNKY」を皮切りに、「西洋乞食」「サムタイム」「レモンドロップ」「金の猿」などの人気飲食店を経営し“吉祥寺を作った男”と称されたように、このような店を経営する若い力が新たな吉祥寺を作って行くのだろうか。「私は麦グループの方が好きかな」と妻。かつて、吉祥寺の街で気に入った店に出会うと、ほとんどが野口伊織氏率いる麦グループの店だったという経験のあるお気楽夫婦。果たして新たな店をハシゴすることになるのか。

西方への旅愁「車窓の風景」

SetoOhashi暮れ時、巨大な吊り橋が車窓に現れた。神戸市舞子と淡路島を結び、明石海峡を超えて架かる世界最長の吊り橋、明石海峡大橋だ。この橋を渡ったのは10年以上も前。淡路島の西端、鳴門海峡を臨む鎧崎近くにあるホテルアナガを訪れた。「Cadeau de la Mer(カドー・ド・ラ・メール:海からの贈り物)」という名のフレンチレストランが美味しいと評判のホテル。敷地内で採れたというオリーブが不揃いながら妙に美味しかった。大鳴門橋を眺めながらぼぉっとしていた春の日だったなぁ。などと記憶の函の隅の方にちんまりと収まっていた思い出をぽつぽつと手に取る。ようやく結婚できる状況になったことを祝って、妻と一緒に大阪のリッツカールトンに宿泊した後に訪れたのだった…などとついでに来し方を振り返る。

Biwako路。京都を過ぎてしばらく、新幹線の進行方向左手、遠くに雪を冠った山々が見えて来る。琵琶湖の東に聳える比良山を中心とした連山だ。そう言えば、学生時代に輪行車(組立ができる自転車)で琵琶湖周辺を走ったことがあった。ふいにそんな記憶が蘇る。東京から各駅停車の電車で西に向い、東海道中のいくつかのコースを自転車で走った。貧乏学生だったため、静岡や愛知に実家を持つ友人宅やユースホステルに泊まる旅だった。近江八幡駅で電車を降り、組み立てた自転車に乗って琵琶湖に向ったのだった。そんな風に行程のほとんどを折り畳んだままの自転車を抱えての旅だったけれど、結局九州まで行った。竹原古墳の彩色壁画を観に行ったり、開聞岳に登ったり、志賀島の周辺も自転車で回ったなぁ、などとつい遠い目になる。

Mt.Fuji幹線が静岡を過ぎた頃、空いていた前の席に右側の席から移動して来る人がいる。どうしたのかと気にしている内にウトウトしてしまっていた。カシャッという音で目が覚める。車窓を眺めると青い空に富士山。なるほど。慌ててiPhoneを取り出しシャッターを押す。なんとかいつもの場所での撮影に間に合った。富士川の鉄橋だ。この場所は架線もなく、富士山の麓まできれいに見渡せる絶好の撮影ポイント。シャッターチャンスの時間は短いだけに、巧く撮れた場合は思わず得意満面、ほくそ笑んでしまう。それにしても美しい山だ。堂々と稜線を広げ、白い雲を従え、青空に向って屹立する。眺めているだけで穏やかな、なんだか得をした気分になる。つくづく日本人なのだと自覚する瞬間だ。

れ?出張じゃなかったっけ?」と妻。もちろん。自分の頭の中を整理するには移動中の時間がぴったり。流れる景色を眺めながらビジネスの構想を練っているのだよ。そこに、まれに整理の途中で過去の記憶が紛れ込んだりするだけ。「それにしては読んでいる本は重松とか伊集院が多いけど」西日本出身の作家の作品を読むことで西方への旅愁はいやが上にも増す。岡山出身の重松清、山口出身の伊集院静を読んで車中を楽しんでいる…あれ?なぁんだ。仕事は関係ないかもしれない。こうして西方の街を訪れる度に、そんな時間を味わい楽しむのだった。

スポーツとの距離感「スカッシュ団体戦」

Kentaカッシュを始めたのは10数年前。ナショナルチームのコーチでもある有名コーチの元、毎週1回のレッスンを続けて10年以上。最初は中級クラスからスタートし、すぐに上級クラスに引き上げられた。プロも参加するOPENトーナメントにも出場。勝てなかったけれど。その頃既に40歳を超えていた私は、上級クラスのレッスンが終わると口も利けないぐらいに疲労困憊し、なぜお金を払ってこんな辛い思いをしなければいけないんだ!と愚痴った。けれど、それが快感でもあったのだと思う。まだ若いメンバーたちと一緒に、こんなハードな練習ができるんだという自負、自信。とは言え身体は正直だった。肘を壊し、体力は衰えた。試合で勝つことを目標に練習する他のメンバーに迷惑がかかると判断し、数年前に自らクラス替えを申し出た。

Haruれからは楽しいだけのスカッシュ三昧。妻と一緒の中上級クラスに在籍。フルショットでは打たず、ボールのコースも甘くしながら、他のメンバーと長くラリーを続けることを良しとした。ただし、コーチとラリーする時だけはコートを走り回り、フルスイングでボールを打ちまくる。大会に参加することもなくなった。月に1回開催するメンバー同士の交流試合では初級者や中級者を相手にラリーをするだけ。年に1回程度スクールの仲間たちと一緒に団体戦の試合に参加する際は、相手のレベルに合わせてプレーした。お気楽スカッシュ。なのに再び肘を壊した。それも以前より症状は重かった。身体が温まるまでは、恐る恐るボールを打つ。肘の痛みにボールコントロールができず、思うようなプレーができないどころか日常生活にも支障あり。

KatsuGyozaこで本格的な治療を決心。テニスの伊達公子プロも行ったというPRPという治療を行った。自らの血液を採取し、遠心分離機で血小板を取り出し患部に注射するという治癒力を高める治療。あら不思議。痛みが消えた。ハードヒットができるようになった。保険が使えない自費治療。出費の甲斐があったと喜んだ。そして、餃子の街宇都宮で開催されたスカッシュ団体戦に久々に参戦。オフィスの引越のため、遅れて会場に到着。他のメンバーは好調の模様。よしよし。後半から参加したものの…あれ?ゆるゆる中途半端なプレーしかできない。集中できない。勝とうという気持が湧いて来ない。負けても悔しいという気持にならない。どうしたことか。下位トーナメントで優勝したものの、どうやら同じチームの妻にとっては不本意な結果。

Gyozaンション下がっちゃったよ。下手な人みたいだったよ」滅多なことでは怒らない妻のひと言。相当に怒り心頭の顔つき。背中に嫌な汗が伝った。エンジョイスカッシュを標榜している妻の気持さえも萎えさせるプレーをしてはいかん。年齢や体力を言い訳にしてはいけない。所詮は気持の問題だ。楽しむのは良し、汗を流した後のビールが目的でも良し。けれど試合に勝てたらもっと楽しいはず。一所懸命なプレーをしなければ対戦相手にも失礼だ。そうだね。楽しく頑張って結果を出さなきゃね。漫然とプレーしていては、大好きなスカッシュやコーチに対しても失礼ってもんだね。「分かればよろしい。ウチがコートの中でも喧嘩しないのは、レベルが違うからなんだからね。格好悪いプレーは許さんよ!」

が覚めた。もう一度、気持を入れ替えよう。自分のスカッシュをやり直そう。どんなプレーをしたいのか、どんな風にスカッシュと関わりたいのか。「一緒に70歳でも、80歳でもスカッシュやるんだからね」と妻がダメ押し。了解。宇都宮でたっぷりと餃子を食べながら、ビールを飲み干しながら、深く深く頷いた。

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SINCE 1.May 2005