初めてデニッシュを食べたのは、1977年だった。青山通りにあった「青山アンデルセン」で買って食べたダークチェリーは衝撃だった。それまでアンパンやクリームパンくらいしか食べたことのなかった上京したてのワカモノにとっては、飛び上がるほどの美味しさだった。サクサクとした生地と甘酸っぱいフルーツとが相まって、何とも言えない歯触りと舌触り、味と香りとが口の中で爆発した。*写真はアンデルセンのサイトより借用。
1977年とはっきりと覚えているのは理由がある。学生時代に掛け持ちしたアルバイトのひとつが、青山にあった「きりしまフラワー」で、お昼休みによく食べたのがすぐ並びにあったアンデルセンのパンだったのだ。思えばそれは幸運な出会い。1962年に日本で初めてデニッシュを作ったアンデルセン(広島が本社)が、青山アンデルセンをOPENしたのが1970年。そのアンデルセンによってデニッシュが日本国中に広まった。
その東京に初めて登場したデニッシュが、私の初めてのデニッシュ体験。偶然とは言え、これが私のデニッシュ好きの始まりだった。…ところが、しばらくデニッシュとは疎遠となる。TOKYOには他にも食べるべきモノが余りに多く、デニッシュにばかりかまっていられなかったのだ。そして昨年、40年余りの歳月を経て、デニッシュが私の元に帰って来た。そのきっかけは自粛期間中の散歩で発見した近所の小さな店だった。
「ムッシュピエール」がその店の名前。無口な店主が(おそらく)ひとりでパンを作り、ひとり小声で接客をする。11:30開店と言いながら、店先に行列ができていても平気で?11:40くらいにならないと店が開かない、地味で陰気(明るく元気ではないという意味)な店。なのに(失礼)、抜群にデニッシュが美味しいのだ。これ以上のサクサク度はなかろうという歯触り。そしてデニッシュの種類が豊富で、小さく、安い。実はこれ大切。
美味しいけれど高いのはまだ許せても、少食であるが故にサイズが大きいのは困る。いくつか味わいたいのに、ひとつ食べて満腹では不満が残る。その点、ムッシュピエールはお気楽夫婦の欲求を完全に満たす。いつも5〜6種類並ぶ小ぶりなデニッシュは、なんと150円!ちなみに手書きのPOPの文字も小さい。そしてパン好きの妻は(パンの種類が何であれ)パンを食べられる分には不満はなく、いつも喜んで付き合ってくれる。
AD(アフターデニッシュ)元年となった2020年以降、お気楽夫婦はデニッシュを求めて旅に出た。鎌倉に出向けば「ビゴの店 モンぺシェ ミニヨン」や「ベルグフェルド」で買い込み、虎ノ門に行けば「BOUL’ ANGE」で虎ノ門ヒルズ店オリジナルのマーブルクロワッサンやら白虎クイニーアマンなどを頬張る。ホテルに泊まれば、朝食に(和食が好きなのに)バスケット入りのパン目当てにアメリカン ブレックファーストをオーダー。
さらには横浜でお気に入りの店を見つけた。泊まったホテルの近くにあった「ブラフベーカリー日本大通店」で何種類かを味わい、これは美味しい!と気になり、山手にある本店に出かけた。あ、念のためにお断りしておくが、どの店にも誰かさん(Mさんというパン好き女史)のように走って行ってはいない。ホテルの朝食を断り、朝一番で坂道を登る。ホントに、最後の何メートルかは“登る”のだ。Mさん、どうぞお試しを。
人気のパン屋らしく、早朝(8時OPEN)でも既に先客あり。スタイリッシュで、種類も豊富、明るく爽やかで好感度高し!という店。味も見た目も文句なし。ムッシュPとは好対照。でもムッシュが好き。これは横浜に来たらぜひの店。そして坂を下り、老舗「ウチキパン」と新星「マリンベーカリー」でパンやエッグタルト(デニッシュの親戚?)をゲット。満足の旅路となった。…アンデルセンから40年、思えば遠くに来たものだ。
目視できない“アイツ”が暴れるせいで、毎年の年末恒例マスオさんの旅が中止になった。いつもの年末年始は妻の故郷である浜松で、義父母と一緒に過ごすのがお約束。浜松に向かう新幹線の車内でお気楽妻と2人忘年会、義父母に代わって大掃除、4人で温泉旅館に1泊、馴染みの割烹「弁いち」さんのおせち料理を堪能…というスケジュールは全てキャンセル。涙。嫌々妻に同行している…のではなく、実は大好きなのだ。
私の父母は既に亡く、齢80歳を超えた妻の両親が私に残された父母。一人娘の妻が2人を思い労る気持も、父母のもとを訪ねると娘に還る妻の心情も、良く分かる。私にとっては親子3人の空間にちょっとお邪魔するというスタンス。いわゆるマスオさんだ。実はこのマスオさんが良く働くのだ。義父母宅のキッチンは、到着した時から私の居場所になる。毎日の朝食はもとより、年末の年越し蕎麦、正月のお雑煮などは私の担当。
なのに、この年末年始はそれも叶わなかった。代わりに、20年ぶりにお気楽夫婦だけで過ごす東京のお正月を楽しもう!と目論んだ。まずはお節料理の手配。実は私は、お節料理が大好き。加えてお節をつまみに箱根駅伝のTV中継を視るのが毎年の愉しみなのだ。どこに頼もうかと悩んだ結果、馴染みの「鮨いち伍」に数量限定締切の所、無理を言ってお願いできた。これでひとまず正しい日本の正月が迎えられる!とひと安心。
続いて、お節と合わせる日本酒のチョイス。これだけは既に万全。秋に福井の「久保田酒店」で仕入れた銘酒の数々がスタンバイ済み♬ 完璧。さらに自宅にお籠りをするための料理作りに取り掛かった。無観客のビストロ808のメニュー、パテドカンパーニュ 、ローストビーフは外せない。これまた好物の筑前煮も忘れずに。その筑前煮の味見と称して「梵 特選純米大吟醸 磨き三割八分」をいただく。くぅ〜っ!幸福の味だ。
大晦日、お昼に年越うどん(笑)を食し、主役のお節料理を受取に出向く。鮨屋の料理だけあって魚の料理がたっぷりと詰まっている。カラスミ、子持昆布、タラの子旨煮、数の子粕漬、子持ち鮎有馬煮など、魚卵好きの私にとって至福のラインナップ。お雑煮は白味噌とお澄ましを隔日に作って変化を楽しむ。ちなみに私は、お雑煮も大好きときているから、朝から旨い酒を飲んで、お節をつまみ、お雑煮を食せる正月は極上の時間。
初詣も地元の神社へ。箱根駅伝往路のゴールを視終えた後に、散歩がてらに出向くと長蛇の列。例年との比較はできないが、遠出をせずに地元で済ます住民が多かったのか。とは言え、並ぶのが嫌いな2人は即座に諦め、翌日の復路6区の襷が渡った直後に参拝。まだTV観戦中の人が多い時間に、数人だけの列に並んで無事に疫病退散を祈る。それにしても、退散する気配のないしぶといアイツは、いつ大人しくなるのだろう。
お参りから帰ると直ぐに、お気楽妻が何か生き生きと動き始めた。文庫本や雑誌、CDなどの収納を見直したいと言う。どうやら新年の断捨離を思い付いたらしい。収納の多い我が家ではあるが、限界はある。収納できるものだけを納め、はみ出るものを処分する。人生終盤に2人にとって必要なものは何か、何を残して何を捨てるか。モノに限らず、それは全てのことに言える。そんなことを改めて考える貴重な時間になった。
お気楽夫婦の2020〜21年の年末年始は、こんな風に過ぎて行った。当たり前だと思っていたことが、貴重なモノだったと気付いた2020年。2021年の新たな日常はそこからスタートする。残りの人生に置いて何をすべきで、何をすべきではないのか。お気楽夫婦と言えどもそんなことを考える年齢になった。さて、どんな1年にしようか。すると「今年もお気楽だよ♬」と妻。2021年初場所も肩透かしで私の黒星スタートだ。