桜咲き、サクラ散る「サクラの国の人々」

FlowersSakura本人にとって「お花見」の「花」と言えば、サクラを指す。百人一首に小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」という歌がある。この「花」は「サクラ」であり、美しかった自分であり…と遠い昔に習ったことを思い出す。小野小町の生きた平安の時代から、花=サクラと遺伝子に刻み込まれてきた日本人。寒い冬が終わる頃、暖かな春を待ちわびる気持は、サクラの開花を待つ気持と重なる。サクラは日本人にとって春の象徴であり、卒業・入学・入社の時期と重なることもあり、新たなスタートの新鮮な気分や人生のひと区切りをも象徴する、多くの日本人にとって特別な花だ。

JiyugaokaSakuraNakameSakura2012年春、今年のサクラはいつもと違う顔を持っていた。2011年3月11日の直後に蕾をつけた去年のサクラはひっそりと咲いていた。正確には、全国的に自粛という御旗がたなびき、各地のサクラ祭りは中止となり、夜桜の提灯は灯らず、誰もサクラの下で大騒ぎができず、ひっそりとしていたのはサクラではなく、サクラ好きの日本人。自粛の強制はいかがなものかと議論になったが、多くの公園でお花見宴会の中止を求める案内板が立った。そして2012年。週末に満開の時期が重なった首都圏で、多くのサクラの名所に人が溢れた。例年以上の人出だった。

KonnouSakuraSakuraHonjou気楽夫婦も2年分まとめてサクラを愛でた。毎年恒例の砧公園ではスパークリングワインを飲みながら、芝生に寝ころんで周囲の平和な休日風景を満喫した。自由が丘の呑川緑道ではワインを飲みながら、サクラとハクモクレンと軽やかに街を歩く軽装の女性たちの競演を眺めた。中目黒の夜桜見物の人出に驚きながら、サクラの樹の下に現れた夜市のようなエネルギーを楽しんだ。妻のオフィス近くの神社に咲く金王桜という長州緋桜を、ランチの後のぽかぽかした気分で眺めた。そして、スカッシュ仲間と訪ねた「用賀 本城」で、美味しい料理とともにゼータクな花見もできた。サクラ尽くしの春。

SakuraChiruCarpetに浮かれた訳ではない。けれど、今年のサクラは妙に愛おしく、巡ってきた春をたっぷりと味わいたかったのだ。私にとって去年の春からサクラの愛で方が変わった。去年のサクラは軽やかな気持で眺めることができず、心の底に沈む重いモノを取り除けなかった。春を告げるサクラも晴れやかな気持にさせてくれなかった。サクラの季節は誰にも永遠に巡ってくる訳ではない。このサクラをあと何度観ることができるのだろうと、大袈裟に言えば人生のお終いをはっきりと意識した。あの時から私の中に貯まり始めた澱は、ゆっくりと積み重なっている。けれど、その澱を意識できたことが嬉しくもある。いつか終わる「今」を楽しむ気持が、私の中ではっきりと輪郭を持った。

ぁ〜に春だっていうのに暗ぁい文章書いてんの!」と、ポジティブな妻。咲いたサクラも良いけれど、散るサクラも悪くない。そしてまた来年、軽やかな気持でサクラの季節を迎えたい。

嘘ついてましたっ!「ウチメシの日々」

RoastBeef気楽夫婦は外食ばかりで料理を作らない。そう思われている、らしい。困ったことに、ほぼ事実である。子供のいない2人。それぞれ仕事を持ち、帰りは毎日そこそこ遅い。仕事が終わった後にスポーツジムに行くことも多く、自宅で食事をすることが少ない。毎日自宅で食事をしない、ということは食材を買ってもムダにすることが多くなる。逆に限られた食材では栄養のバランスも偏ることになる。言い訳に聞こえるかもしれないが、健康を考えて料理は作らない。自宅で食べるにしても、てっとり早くデパ地下のデリを買って帰る、というケースが多い。ということで、必然的に2人の夕食は、外メシ(外食)か、お気楽夫婦がウチメシと呼ぶ「中食」になる。*「中食」とは、調理済みの食材を買って自宅で食べること。

NikuUdonれど、料理を作らないのと、料理を作れないのは大きく違う。お気楽夫婦の場合は、作らない。休日に時間があっても、休日だからこそ食べに行きたい!と思う店も多く、料理を作らない場合が多い。作る時間がないのではなく、ましてや料理ができないのではない。料理とは呼べない程度のかんたんな料理を作ることは多い。例えば休日のランチ。最小限のストック食材を使って、うどんやラーメンなどをささっと作ることはできる。ある日のランチメニューは、豚のバラ肉、油揚、青ネギを使った肉うどん。ダシは化学調味料(ほんだし)だし、うどんは乾麺。けれど、料理の見た目も味もまぁまぁのモノはできる。並行してサラダを1品作り、パン食の妻に供する。これもかんたん。

HaruCabegeく稀に、もう少し手の込んだものを作る場合もある。例えば、春。キャベツが美味しい季節。お気楽夫婦の住まいの前にはJAが運営する直売店があり、地元の農家が作る野菜が並ぶ。10時の開店と同時にレジに行列ができる人気の店。ある週末、お昼前に店を覗くと、元気の良いキャベツが数個残っていた。食べる前からしゃきしゃきと旨そうな面構えだ。買い!けれど、小食の2人にとっては勇気のいる買物。2人とも食材をダメにしてしまうのが嫌いで怖い。キャベツを中心に4食ぐらいのメニューを考えないと食べ切れない。クックパッドを参考にメニューを組み立てる。ちなみに、これらは全て調理担当の私の役割。

Yakigyozaず1品めはサラダ。キャベツと冷蔵庫に1本だけ残っていたニンジン、キューリを細く刻んで塩揉みにして、重しを乗せて浅漬け風に。大きなボウルにたっぷり。それをマヨネーズ中心の味付けでコールスロー系にしたり、酸味の強いドレッシングでさっぱり系にしたり、食べる度に味付けのバリエーションを変える。便利な一品。次は、ざっくり切ったキャベツ(それも外側の青味の強い部分)をさっと茹で、はちみつと醤油で味付けしたツナと和える。残ったキャベツは翌日の朝に目玉焼きと共に千切りで、さらに残ったものはもやしやタマネギを1ヶだけ買ってきて、野菜たっぷりのタンメンを作ろう!と万全の計画ができた。そして、餃子だ。

せて!」珍しく妻が胸を張る。フライパンに油をひき、浜松風にギョーザを円く並べる。水を注ぎ、蓋をする。良い音だ。ひっくり返す。良い色だ。実に美味しそう。…ん?餃子は手作りではないのか?いえ、冷凍食品です。ひと言も手作りとは言ってません。Facebookに写真をアップしたら、妻に好意的なコメントを寄せる皆さまが誤解されただけです。その上、アップしたのは4月1日。はい、申し訳ない。消極的にではあるものの、嘘ついてました!

仕事と人生の収め方「OU閉店」

EDRADOURく寒かった今年の冬がようやく終わり、誰もが桜の便りを待ちわびる頃、1軒のバーが閉店した。店の名前は「OU」という、恵比寿にあった小さな店。営業していた10数年の間、年に数回訪れたかどうか。決して常連とは言えないし、良い客ではなかったかもしれない。けれど、そこに行けばOUという店があるという、なんとも言えない安心感をずっと持っていた。常夜灯のように、灯台のように。道筋を示してもらわなくても、航路を教えてもらわなくても、道標にならなくても、存在するだけで安心する。私にとってOUはそんな店だった。オーナーはひと回り近く違う前職の会社の大先輩。閉店という知らせを聞いて訪ねた夜は、「ちょいと疲れてさ」と冗談とも本気とも取れるメッセージ。役員まで勤めた会社を辞め、開業したバーには多くのOBや仕事の仲間たちも集った。居心地の良い店だった。

Lapita年前、公務員を辞めてバーを開業するという弟を伴い、OUを訪ねたことがあった。「人の繋がりで、こんな素人の私でも10年やってこられました」「店が休みの日に、他の店に行くとホッとすることがあるんですよ」普段は聞けない、そんな話を伺い、アドバイスをいただいた。その弟も念願のバーを開業して2年を迎える。子供たちの手が離れようとするタイミングで、早期退職に応募した。長年勤めた市役所の仲間たちや、地元で培った友人、知人のネットワークに助けられ、なんとか営業している様子。「開業の準備は大変ですよ、私は10kg体重が落ちましたからね」OUのマスターのことばを思い出す。その先輩のことば通り、弟も開業までにぴったり10kg痩せたと言っていた。目指せ!開業ダイエット…とは冗談にしても、独立して自らの力で働く大変さを弟も実感したらしい。

Benichi立する苦労もあれば、家業を継ぐ苦労もある。妻の故郷浜松に出向く度に伺う「割烹 弁いち」のご主人は3代目。仕事を極め、商売を収めるために数年前に店を改装した。料理を独りだけでやれるように、店をひと回り小さくされた。ご主人曰く、「店を発展的にスリムにし、仕事の内容を充実させる」あるいは「「商売は縮小、仕事は追求が今後の理想」とも。自らブログに書かれているように、“店を大きくせず、多店舗展開もせず、料理のクォリティを高める”仕事をしてきた職人が目指す方向なのだろう。OUのマスターも、弁いちのご主人も、比べようはないが弟も、自らの仕事を見極め、仕事の収め方、人生の収め方を考えた結果。それぞれが自分の仕事を自分の裁量でできるからこその苦労であり、責任であり、やりがいでもあり、そしてもちろん楽しみでもあるのだろう。

Jiyugaoka年勤めたぴあを辞め、その後に大手通信会社に3年勤めた。そこで得た人的ネットワークと新たな専門分野を活かし、独立したのは数年前。自分たちの街を愛するダンナ衆たちに出会い、その街に対する彼らの思いに惚れた。江戸の時代から、街の文化を創ってきたのはダンナ衆だ!そのダンナ衆たちと一緒により良い街を創るのだ!と、決断した。経済性を優先するのではなく、専門性、地域や社会への貢献を優先するという方向に舵を切った。自由が丘の街と自らが住む街で、街を愛するダンナ衆とそんな仕事ができることは幸福だ。自分の蓄積してきた僅かばかりのスキルや経験を活かせることはありがたいことだ。元気で先進的な自由が丘という街の事業をサポートするコンサルティングの仕事と、ひと足早い地域デビューを兼ねた地元の街でのボランティア仕事。これらのバランスを取るのもまた楽しい。

も早くセミリタイアしたいなぁ〜」と妻。おいおいっ!私はセミリタイアしたのではなく、自分のペースで仕事をしているだけ。メリハリを付けて、仕事の合間に自分の時間を取っているだけ。どのように自分の仕事を収めるか、そして人生を。人は企業に属しているだけではなく、住んでいる街に属し、コミュニティに、そしてもちろん家族に属している。その中での自分をじっくりと熟させて行こう。

*食いしん坊夫婦の御用達 「OU」の詳細データはこちら。閉店しましたが。

002317208

SINCE 1.May 2005