頑張れ東北駅弁!「元祖 有名駅弁大会」

Ekiben Reafletの学生は東京に向かう旅の途中で「だるま弁当」を買うのが楽しみだった。貧乏学生にとってはゼータクな一食。故郷東北の小さな町の最寄り駅から特急に乗り、上野駅まで6時間余り。その学生が上京した頃、上越新幹線はまだ開通しておらず、夜行電車が全国のローカル線を走っていた。日本はまだ広く、学生の故郷は遠かった。川端康成が描いた国境の長いトンネルを抜けると、東京が近づいた。高崎駅でホームに降り、慌てて赤いダルマの弁当を買い求める。席に戻りダルマの顔の蓋を開ける。茶飯の上に、鶏、山菜、ごぼう、椎茸、タケノコなどがたっぷりと盛りつけられている。透明なプラスティック容器の日本茶セットの中に茶葉を入れる。小さな蓋を茶碗代わりにして、ちびちびとお茶を飲む。鶏を食べ、椎茸を齧り、茶飯を頬張る。旨かった。ちょっと大人になった気分で旅の風情を味わった。それが私の駅弁との長い付き合いの始まりだった。…ちょっと大げさだが。

Salmon &生は旅が好きだった。何度も東京駅発、大垣行きの夜行普通列車で西に向かった。西明石行きの電車に乗り継いで、西日本の各地に出かけた。北に向かうローカル線に乗り、青函連絡船で北海道に出かけた。その度に、駅弁を買うのが楽しみだった。学割のチケットを使い、ユースホステルに泊まる。そんな質素な一人旅でのゼータクが駅弁だった。社会人になると、出張で食べる駅弁が楽しみになった。新幹線に乗り込むと駅弁とビールを買い込み、小さなテーブルに乗せてちんまりと食べるのが好きだった。そして、妻の故郷に同行する際に、2人で楽しむミニ宴会は毎回楽しみだ。そう、駅弁が、電車の中で食べる弁当が、大好きなのだ。そんな私が毎年楽しみにしている催事がある。京王百貨店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」だ。

Salmon OyakoMeshiBeaf DomanNakaしろ「元祖」である。今年で数えて47回めの開催である。毎年趣向を凝らし、飽きさせない品揃えで話題を作る。TV各局がこぞってレポートし、中継まで行うという、地味な京王百貨店の年に1度だけの(失礼!)晴れ舞台。この催事にお気楽夫婦は毎年2回顔を出すのが恒例。今年の企画は「がんばろう日本!東北駅弁特集」。うしっ!分かった応援しよう!…という訳で、1回めは三陸鉄道北リアス線の陸中野田駅「北三陸野田村 鮭いくら弁当」。まだ運行できない区間が多いという三陸鉄道。チラシには復興に向けて頑張っている野田村の村長さんが顔写真とメッセージ入りで紹介されている。その意気込みが伝わる美味しさ。ぴかぴかのイクラはもちろん、鮭の醤油漬け焼きが香ばしく美味しい。ご飯とのバランスも抜群。旨い。そして、奥羽本線米沢駅の「牛肉どまん中」。文句なし。人気弁当上位の常連の余裕さえ感じられる安定した美味しさ。そぼろと牛肉煮の2つの味の組み合わせが絶妙で、飽きずに最後のご飯一粒まで楽しめる。さすが!

Hirame & ButameshiHirameして2回めは、東北本線郡山駅の「特醸 女将のよくばり豚めし」、東北本線八戸駅の「熟成平目のぽん酢寿司」を事前にチラシでチェック。催事場に向かうと両ブースに長い列ができていた。どちらも会場で弁当を作る実演販売。2手に分かれて列に並ぶ。毎年の駅弁購入経験に培われた作戦だ。お隣の「しお味・仙台みそ味牛タン弁当」はさらに長い行列ができている。去年の駅弁大会で味わった「前沢牛ローストビーフ肉巻にぎり寿司」も健闘している。いずれも東北駅弁。なんだか嬉しく、誇らしい。頑張れ!東北駅弁!思わず力が入る。たかだか駅弁を買うのに力んでも仕方ないのだけれど。そして無事に2つの駅弁をゲットして自宅でゆったりと楽しむ。揺れる車内で食べる味わいも捨てがたいが、これはこれで至福の時間。互いに食べ始めの弁当を選び、交換し合いながら食べ比べ。そして完食。

メはなぜか太っちゃうんだよねぇ」パン好きの妻が、年に2回米食に賛同してくれる貴重な機会。駅弁の思い入れは私程ではないにせよ、それでも嫌いではないらしい。しばし駅弁が作られた駅に思いを馳せ、駅弁を食べながら眺める車窓の風景を想像する。新宿まで往復数十分で得られる、駅弁で楽しむ小さな旅。また来年を楽しみに!

*催事の会期は1月24日(火)まで。

栄枯盛衰、有楽町「日劇〜西武〜ルミネ」

YurakuchoSeibuの学生は、まず最初にアテネ・フランセのクラスを選び、空いている時間に大学の講義を選択した。そして平日の夜と土日はアルバイトでスケジュールが埋まった。花屋の土日1人店長、英会話学校のスタッフ、飲食店でのウェイター、ホテルの客室係など数多くの職種を経験した。そしてある日、自分の職業選択に影響を与える仕事に出会った。母の同級生が事務局長を勤めていた関係で紹介された日本中国文化交流協会だった。協会設立25周年事業の準備のために、会員への宛名書きなどの事務スタッフとして有楽町の事務所で働いた。会員リストには、井上靖、中島健蔵、千田是也、北村和夫、水上勉、栗原小巻などの著名人が名を連ねていた。25周年パーティで、そんなオーラ溢れる方々と接することができた。そして、思った。文化に貢献する仕事がしたい!…30年前の私。若いということは、つくづく青いということだ。

infomationさな組織だった日中文化交流協会への就職は残念ながら叶わず、他の非営利団体を探すことになった。けれど、いずれも定期採用を行っていない団体がほとんど。困った。そんな時、ある企業と出会った。「不思議、大好き。」「美味しい生活」などの糸井重里のコピーで人気の西武百貨店。情報発信企業を標榜し、セゾン文化なるものを生んだ、魅力ある企業だった。そして、その学生が入社した年に、西武百貨店池袋店は三越本店を抜いて売上高日本一になり、西武ライオンズの優勝の度に感謝セールを行い、1984年には待望の銀座(有楽町)に進出した。有楽町マリオンに阪急と共に出店した有楽町西武だ。日本劇場、丸の内ピカデリー、朝日新聞東京本社跡地だったその地は、池袋の下駄履き百貨店からスタートした西武にとっては、聖地のような場所だったに違いない。しかし、そんな黄金の時代もつかの間。すぐ後に百貨店の冬の時代がやって来る。

LUMINE1985年、西武流通グループから西武セゾングループと改称し、多店舗展開を行った。WAVE、無印良品、銀座セゾン劇場、リブロなど新たな業態も開発していった。かつての青い学生:私が望んだ文化や流行を創造する企業となった、ように見えた。けれど、やはり根幹は流通業だった。文化を売る企業ではなく、モノを売る小売業だった。そこで退社を決意した。その後、西武百貨店は過剰な不動産投資、グループ企業の不良債権問題などが起こり経営危機が表面化。ミレニアムリテイリング(そごう)と経営統合、その後商号は株式会社そごう・西武となり、さらに2006年にはセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入った。かつて流通業の雄として小売業のトップに君臨した百貨店が、スーパーやコンビニを中心とした流通グループに吸収されるという、凋落する百貨店という業態を象徴する出来事だった。

YurakuchoLUMINEして2010年12月25日、有楽町西武が閉店。26年の歴史に幕を下ろした。開店当時、「マリオン現象」とまで呼ばれる人気だった店も、経営不振に陥っていた。フルライン展開でセゾングループのショーケースだった位置づけから、レディスファッション専門に業態を変えるなど、苦心を重ねた末、息絶えた。私は自分の属したその企業の凋落の象徴を寂しく思い、閉店前の有楽町西武を訪ねた。店頭に貼られたお客様へのメッセージを読むのが辛かった。その跡地を巡る複数企業の争奪合戦が行われ、JR東日本系ファッションビル「LUMINE」が勝利。ルミネとしては待望の駅ビル以外での展開、それも銀座(有楽町)地区への初進出となった。かつて映画やレビュー、歌謡ショーなどで“文化の殿堂”だった日劇から、情報発信企業と称した西武へ、そしてルミネへ。…有楽町での栄枯盛衰。

る日、お気楽夫婦は有楽町ルミネを訪ねた。TOHOシネマズ日劇で、『ミッション:インポッシブル4』を観るために。そして、日劇の名を残す大劇場で映画を観た後、有楽町の街をぶらり。いろんな思いが溢れた。かつてアルバイトとして働いた日本中国文化交流協会の事務所は今でも有楽町にある。そして、その会長は、かつて勤めた西武百貨店の会長であった堤清二であり、詩人で作家の辻井喬なのだった。

小さな自分史?「Facebook タイムライン」

Facebook timelineる週末、体調を壊し嘔吐を伴う下痢が続いた。脱水症状と共に脱力感。快復しつつある最中でも仕事をする気にならず、ブログの記事を書く気力もない。そこでふと思い付いた。前から気になっていたFacebookの「タイムライン」の設定をしてみよう。Facebookを利用するようになって1年余り。毎週のブログ記事をアップする以外に、「今日の○○」というタイトルを基本に写真をアップしてきた。それらをタイムラインを使い時系列に整理して、さらにはFacebookを始める前の写真も掲載してみよう!デジカメで撮り貯めた写真データ、かつてフィルムカメラで撮影した写真をデジタル化(スキャン)したデータを、冴えない体調のまま、ぼぉ〜っと眺める。だらだら気分の作業は、今の自分にはぴったりだ。

ずは「カバー写真」と呼ばれるタイムラインのトップ画像を選ぶ。いわば表紙のような大切なコンテンツだから、自分らしいものを選びなさいとガイドにはある。なるほど。のんびり写真データを眺め、いくつか候補を絞る。旅の写真、料理の写真が圧倒的に多いし、自分を表すのはどちらかのジャンル。ということで、数年前に何度目かのバリ旅行で宿泊した、リッツ カールトン バリ(現在は別資本のホテルとなっている)の夕景の写真をチョイス。自動的に横長にトリミングされた形で設定される。なるほど。我ながらなかなか良い写真だとほくそ笑む。自己肯定、自己満足。ぼぉ〜っとしている証拠だ。

Blogいてブログ記事の選択。タイムラインは、「いいね!」やコメントの数などで、表示する記事や写真を勝手に選んでしまう。書いている本人にとっては何の脈絡もなく、余計なお世話じゃぁ〜っ!という内容。それを地道に消し、掲載したい記事をハイライトにする。*いったんハイライトにすると、小さく表示し直しても記事は消えない。この作業を行わないと、前には表示されていた記事もいつの間にか消えてしまう。そしてタイムラインの勝手に設定機能?と格闘すること数十分。ようやく自分の望む表示ができた。ブログの記事がずらっと並び、見易いかどうかは意見の分かれるところだけれど、一覧性は確保できた。

1999は、いよいよ本番。タイムラインを使ってやりたかったこと。Facebook利用前の写真を、「地図」という機能を使い世界地図にプロットする。その写真データに以前書いたブログの記事をリンクさせ、かんたんなコメントを追記。私のブログ記事は、食事あるいは旅した日時、ホテルや店の住所、電話番号、などの基本情報を記載しないというスタンス。それでは読む人に優しくないということで、他のブログ「食いしん坊夫婦の御用達」や「お気に入りホテルカタログ」などには詳細なデータを記載している。今回はそれらに時間の流れと地図で追えるという機能を加えたことになる。これがなかなか楽しい。自分のアルバムというよりは、かんたんな自分史を作る気分。プライバシーに問題ない範囲(友人の友人まで)を設定し、公開。

こで、ふと思った。このタイムラインでの自分史作りを父親に勧めてみようか。長年介護してきた最愛のパートナーを亡くし、弟夫婦と孫たちと一緒に暮らしている父。地域でのボランティア仕事も辞め、時間はたっぷりあるはずだ。写真を整理し、デジタル化し、文章を書き、時系列に並べる。あの親父のことだから、父の両親のこと、母の両親のこと、さらにその両親のこと。家系図を作るように時間を遡るかもしれない。子供に、孫に、家族に残す記録と記憶。

ずは大きな文字で表示するパソコンを買ってあげなきゃね」妻の言うことは実にごもっとも。今年の夏にでも計画してみようか!

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