村上春樹、再発見『夢をみるために 毎朝僕は目覚めるのです』村上春樹インタビュー集1997-2009

Haruki Murakami Interview論家や研究者でない限り、読書をする際に作品を分析をしたり、作品毎に分類して系統付けたりすることは余りない。少なくとも私はそんな読者ではなかった。もちろん作品を読み進めているうちに、ページをめくるのがもどかしいほど面白いとか、残りのページの厚さにうんざりするほど退屈だとか、読み終えるのがもったいないぐらい楽しいとか、せっかく買ったけれど途中で止めてしまおうかと葛藤したりとか、自分なりの評価は生まれる。そして、気に入ったとか、気に入らなかったとか、大雑把に分類された作品が物理的な書架と(こちらは妻が取り仕切り、作家別、出版社別、刊行日順に整然と並べられる)記憶の書架に収められ、整理される。ちなみに、記憶の書架の整理が不充分な場合がままあり、同じ本を2度買ってしまうということが(稀に)起きることがある。

Norwegian Wood上春樹のインタビュー集『夢をみるために 毎朝僕は目覚めるのです』を読んでいる。…このブログの記事では基本的には読了した本を紹介することが前提なのだが、今回は特例。ただ今読みかけのこの本は、お気に入り分類で言えば、読み急がず、丁寧に読んでおきたい1冊ということになる。ご存知の通り、村上春樹はメディアのインタビューにはめったに応じない。海外に滞在していた期間が長かったこともあるのだろうが、特に国内のメディアに“ナマ春樹”はほとんど登場しない。このインタビュー集に掲載されているのも、アメリカ、フランス、中国など海外のメディアに掲載されたものが多く、国内のメディアは半数に満たない。そのインタビューに対する彼のスタンスは「あとがき」の中に詳しいが、基本的に「作家はあまり自作について語るべきではない」と思っていると書いている。

World's Endのになぜこんな本が出版されたのか。それも「あとがき」の中にあるが、文藝春秋の編集者の「きっと面白い本になりますから」という熱心な主張から生まれたという。その編集者(岡みどりさんという方らしい)に感謝。これが、実に面白い本になっているのだ。村上春樹研究本は世の中に数多く出されている。やはり春樹ファンの妻が購入した何冊かを私も読んだ。けれど、実にこれがどれも退屈なのだ。理由ははっきりしている。一般の読者である私は、村上春樹を研究をしたいのではない。彼の作品を楽しみたいのだ。文章を味わいたいのだ。そんな読者には、この1冊は貴重だ。漠然と『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が最も好きで、『ノルウェーの森』は嫌いだと、子供のような大雑把な感想を持っていた。その理由は何なんだろう?それがこのインタビュー集を読むと、そんな疑問が氷解する。あ〜なるほど!と、すとんと腑に落ちるのだ。

After the Quake2004年にジョン・レイという作家から受けたインタビューで村上春樹はこう語っている。「僕自身のスタイルは『ノルウェーの森』よりは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の方に近いと思います。リアリスティックなスタイルで書かれた小説を、僕は個人的にあまり好まない。どちらかといえばシュールレアリスティックな文体の方が僕は好きです。しかし、『ノルウェーの森』を書いたときには、とにかく百パーセント・リアリズムの手法で小説を書いてみようと試みました。…中略…非リアリズムの手法でそのまま小説を書き続けていれば、僕は一種のカルト的作家としての位置を保つことができたと思います。…中略…書こうと思えばリアリズムの手法を使って本が一冊ちゃんと書けるんだ、ということを証明しておきたかった。だからこの小説を書いたわけです。これは日本ではベストセラーになったし、それはある程度は予測できたことでした」

CARVER'S DOZENんっ!(膝を打つ音)あ〜っ、すっきり。引用した文章の前後のやり取りも含め、インタビュアーとのやり取りを読むことで、自分の中で靄が掛っていた村上春樹像(というよりも村上春樹作品像)がくっきりと鮮明になった。レイモンド・カーヴァーをはじめとする翻訳した作品に対するスタンスも知ることができた。村上春樹自身が語る自分の作品に関する思いや背景を確認しながら、その作品を読み返す。『スプートニクの恋人』も悪くないなぁ、『神の子どもたちはみな踊る』は、こんな本だったのか…村上春樹を再発見。これはとても楽しい時間だった。室内の暖房を止め、ダウンジャケットを着込み、窓際に椅子を寄せ、熱い紅茶をいれる。インタビュー集を読みつつ、旧作をじっくりと読み返す。3月11日からしばらくの間、自宅での仕事を増やしたことで、仕事の合間にそんな時間を持つことができた。

ぁんだ。家で仕事なんて言いながら、そんな楽しそうなことしてたんだ」妻のことばも心なしか柔らかい。「でも、私はきっと読み返さないな」…人には人それぞれの読み方がある。

遇う、そして繋がる「Facebook」

Futakotamagawa Riseぜか、偶然人に遇うことが得意(?)だ。あるプロジェクトでご一緒しているノルウェー人の社長と渋谷で遇った。人通りの少ない平日の昼下がりの公園通り。Apple Storeを目指し、緩やかな坂道を上っていた。すると坂道を下りてくる長身の男性の姿。ん、あれは…と思っていると、「Hello!IGAさん。お元気でしたか!」と声を掛けられた。その場で思わず立ち話。地震の話題から、なぜかiPad2の話題になり、また一緒にスカッシュをやりましょう!と畳掛けられる。ここで日本人同士のように、そうですね近いうちに!と終わらずに、すぐにお互いのスケジュールを確認。土曜日はどうかと問うと「Oh!すいません。土曜は息子のFootballの練習があって…」そうか、彼らの家族はフツーに日本で暮らしているんだと、なんだか嬉しくなる。電話でお気楽妻のスケジュールも確認し、スカッシュの約束確定。

う」とは、辞書によると「偶然に出会う」「思いがけなく知人に遇うこと」とある。その翌日、あるスポーツクラブで知人のご夫婦と遇った。「あっ!やっぱりIGAさん。お久しぶりです。隣のロッカーに奥さんの名前があったから、来てるんだと思って♬」とジムで奥さまに声を掛けられた。そこは彼らのホームクラブではなく、前回訪れたのは数年前とのこと。お気楽夫婦も3ヶ月に1度程度しか行くことはない、互いにビジターのクラブ。不思議な邂逅。そして実は、渋谷遭遇事件の前日には、二子玉川で前職の後輩に遇っていた。震災の影響でオープンが数日遅れていた二子玉川RISEのエスカレータ。妻が誰かと挨拶しているなぁと思って振り返ると、私が在籍していた頃に社長秘書をしていた女の子。「IGAさん、お久しぶりです。お変わりないですねぇ」そう言う彼女は入社間もなかった当時と違って、すっかり大人っぽくなっていた。思えば、その会社を辞めて以来だから、5年振りに会ったことになる。変わりもするかぁ…。すっかりシミジミするオヤヂ。

Jambon近、そんなことがネット上で頻繁に起きている。Facebookに登録したものの、しばらく放置状態。ところがある日、前職の後輩から友だちリクエスト。Facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグを描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』を観た直後、ミクシィもブログもやっていない妻が珍しくFacebookに興味を持ったタイミングだった。彼からのリクエストを了解したところ、次々に懐かしい名前に遇った。同じくその会社を辞めたかつての同僚がいた。独立して会社を起こした先輩がいた。短い間だったけれど上司だった人がいた。年賀状のやり取りさえしていない方々と久しぶりにネット上で出会い、繋がった。かつての仲間たちの「今」を知ることができた。前職の会社との接点を意識して避けていた訳では決してない。けれど、妻がその会社に在職し続けていることもあり、積極的にコミュニケーションを取ることはしていなかった。けれど、実名での登録が原則のFacebookであれば、遇える、繋がれることが分かった。ちなみに、ノルウェー人社長も、知人夫妻もFacebook仲間。

たリクエスト来たよ♬」震災後すぐにFacebookに登録した妻が楽しそうにiPhoneの画面を覗き込む。あの悲しい出来事のあった直後からTwitterが活躍した。新たにFacebookに登録する人が増えた。明らかに情報伝播の潮目が変わった。残念ながらデマの垂れ流しもあったけれど、確実にソーシャルネットワークが広がった。情報の真偽を自分で確かめ、取捨選択の判断をする目も必要ではあるけれど、今までの自分の視点や方法論だけでは得られない情報を入手できるチャンスが広がった。受けるだけではなく、発信する人が増えた。人と人のネットワークが複層的に広がった。

んな今、実験的に(匿名性を前提に記事を書いている)自分のブログの記事をFacebookにリンクしている。善し悪しはある。現在、仕事での付き合いがある方にも、プライベートを曝け出してしまうことになる。お気楽夫婦以外の特定の個人が分からないようにとの配慮が一層必要になる。「でも、お気楽な内容が多いから、別に良いんじゃない?」と、相変わらずROMのお気楽妻。「ということで、発信は任せた!お腹が空いたから、そろそろ食べに行こう!」本城さんにお邪魔して天ぷらを食べ、その美味しさに却って火が点いてしまった「春の天ぷら」を食べるために、そして何より飲食業会活性化のために、天一 玉川店の“揚げ場”に向う2人。まぁ、良いかっ。こんな内容なら…。

パン食い・ワイン飲み満足コース「スモークハウスTERA」ご近所散策 祖師谷編

Hayazaki SakuraNanohana気楽夫婦の住む街の周辺には2つの川がある。目黒川の支流である烏山川、多摩川水系の野川の支流である仙川だ。烏山川の源流のひとつは、烏山寺町の高源院という寺にある(実際に鴨が渡ってくる)鴨池。お気楽夫婦の北側の散歩コース。一方、仙川は三鷹方面から甲州街道や京王線の下を流れ、祖師谷公園や成城学園の横を巡り、東名高速の下をくぐった後に野川と合流。その後、多摩堤通りに沿って流れ、二子玉川駅の下で多摩川に注ぐ。お気楽夫婦にとって普段の行動エリアの近くを流れる最も身近な川であり、南側の散歩コース。ある週末、そんな川沿いの道を非常時の帰宅ルートのひとつとしてじっくり歩くことにした。

SmokeHouse TERATERA Showcase震が起きて帰宅困難者になってしまった人々の姿を描く『HOME』という、劇団「マシュマロ・ウェーブ」の作品がある。かつて、前職の同僚が仕掛人の1人になり、その舞台をリアルな街に移し、実際に各街道をハイキングしてみるというイベントを実施した。実に先見の明があった企画。けれど、このような大震災が起きてからは再演は却って難しいと劇団関係者が3/16付けのブログで言っている。それはさておき(さて置くのか!)お気楽な2人にとって、ぐぐっとモチベーションが高まる仕掛けを散策コースに設定した。妻が大好きなハード系パンと、私の命の水のひとつであるワインを美味しくする食材をゲットするという企画だ。

L'atelier de PLAISIRBibou no pain田谷には農道から生まれた細く曲がりくねった道と、住宅街に点在する美味しい(けれど店の場所は分かり難い)店がある。迷い易い細道を辿って、探し難い美味しい店を巡るという世田谷らしいラリー企画。そこに妻の愛用するiPhoneという心強いパートナーを持参。最初に目指したのは祖師谷にある「スモークハウスTERA」という薫製屋さん。のんびり歩くと、仙川沿いには菜の花が咲き、お屋敷の庭から早咲きの桜が顔を出す。この店を訪ねるにはそんなたっぷりの時間か、迷っても良いという相当の覚悟か、ナビシステムが要る。最寄りの駅からは歩いて2〜30分。肉屋だったご主人が仕入ルートを活かして自宅で始めたというデリカテッセンの店。2人が着いた頃はランチタイムが終わり、スタッフのおばちゃんたちが賄いご飯の最中。箸を置き立ち上がったおばちゃんに「決まったら声を掛けますからどうぞ召し上がってください」と妻。「あら、どうもすみません」と食事に戻るおばちゃん。店構え、店内の雰囲気、接客の全てが、緩く温かく良い感じ。

SmokePain au Fruitぅ〜ん、迷うねぇ。どれも美味しそうだぁ♬」妻が唸る。確かにショーケースの中にあるローストビーフ、スモークした何種類もの肉、色とりどりのハム、手造りソーセージたちが「どうだ旨そうだろう!光線」を放ち、どれも視覚に訴える。迷った末、ローストビーフ、合鴨のスモーク、ピスタチオ入りのハム、ソーセージセットをゲット。ずっしりとした重量が嬉しい。「さぁっ、次は美味しいパンだぁ!」妻の足取りが軽くなる。次に向ったのは「ラトリエ・ドゥ・プレジール」という最近評判の自然酵母パンの店。祖師ケ谷大蔵駅と成城学園駅の中間、清楚な店構えの店内には“べっぴんさん”のパンが並ぶ。どれもが実に見目麗しく、どのパンからも「いかが?美味しくってよ!光線」が発せられている。ぴかぴかの輝きに参った参ったと、バゲットをはじめ何種類かのパンを購入。妻は満面の笑み。

ぁ〜っ、美味しい♡」買ってきたパン・オ・フリュイを齧る妻の目が輝く。粗挽きペッパーが効いた合鴨スモークも、涙ぐむほど美味しい。散策の最後に立ち寄った成城石井本店で買込んだワインとの相性も抜群。「ローストビーフもあの店らしい味♬」ローストビーフ好きの妻も太鼓判。ふんふん、こりゃ旨い。確かに派手ではないが丁寧な職人の味だ。片道約4kmの散策コースは、パン好きの妻にもワイン好きのアル中にも満足のルートだった。「また行かなきゃね」と妻。非常時の帰宅ルートならぬ、平常時のお気楽ルートとしておススメです。

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SINCE 1.May 2005