この店で、この酒を、この一皿を♬「割烹 弁いち」浜松

Ben1Ben2生最後の一杯を、どこで、何を、誰と飲むかと先週のブログに書いた。自分が酒に通じている訳ではないから、自分で何を選ぶというよりはプロに身を委ねるとも。すると、この店で人生最後の一杯を選んでいただくという選択肢もある。浜松にある「割烹 弁いち」は、三代続いた料理自慢の店ではあるが、それ以上に店主鈴木さんの酒の目利きに魅力がある。日本各地の旬の食材を選ぶ店主鈴木さんの作る料理と、日本各地の酒蔵と酒卸店に太いパイプを持つ彼の選ぶ酒は、所謂“マリアージュ”と呼ばれる相性の良い組み合わせになり、料理と酒が互いを引き立てるのだ。

Ben3Ben4烹 弁いち」は、浜松市肴町という古くからの繁華街にある。数年前に店の規模を縮小し、仕事の内容を充実させる方向に舵を切った。1階にあった調理場もカウンタ席の個室も2階に移し、他は数室の座敷とした。お気楽夫婦が改装前から伺っているのは、そのカウンタ席。造作に拘った壁、カウンタ、椅子、この小部屋は店主の美意識を象徴する佇まい。調理場に隣接し、扉1枚向こうの調理場の物音や声が漏れ聞こえるライブ感溢れる空間。店主の鈴木さんが選んだ酒を手に顔を出してくれるというゼータクな席であり、プライベートダイニングのような趣。お気楽夫婦にとってのベストシートだ。

Ben5Ben6の日の前菜は、ホタルイカ、笹竹、こしあぶら…春を盛り付けたひと皿。合わせていただいたのは「鳳凰美田純米大吟醸」という瑞々しくクリアな1杯。料理で春の味と香りを楽しみ、吟醸生酒の香りを味わう。ほんのひと口舐めた妻も「ん、おいしい♬」と笑顔になる、幸福な時間の始まりだ。皮目を炙った白甘鯛とウルイの椀に合わせるのは「東一(あづまいち)純米大吟醸 選抜26BY」という、純米大吟醸の斗瓶の中から選び抜かれた証「選抜」の酒の香り高き一杯。貴重な白甘鯛のほんのりとした脂の旨さと繊細さと、貴重な酒の何とも上品で艶やかな組み合わせ。すっかり店主の術中に嵌る。

Ben7Ben8造りの皿と一緒に登場したのは「伯楽星(はくらくせい)純米大吟醸」と店主の鈴木さん。「若い杜氏さんたちが頑張っている蔵ですね」鈴木さんに伺う蔵や杜氏の物語や情報は、その場で頷き楽しく聞かせてもらうものの、基本的にはBGMのように聞き流す。私にとって重要なのは、酒や蔵の情報ではなく、鈴木さんがこのひと皿に、この酒を選んでくれたということ。口当たりが滑らかで、キレがある食中酒としてぴったりな一杯に深く頷く。店主との会話は、食材や酒の話題に留まらず、音楽だったり、旅だったりと広がっていく。それもまた食事というライブ中のMCのように、楽しく味わい深い。

Ben9Ben10の筍を使ったら、他所のものは使えなくなります」京都乙訓の白子筍を香ばしく焼き、自家製のアンチョビソースをたっぷり掛けたひと皿は、感涙もの。心地よい歯応えを残しながら、絶妙な柔らかさと、エグミのなさ。The KING of タケノコ。タケノコの最高峰。それに合わせるのは、「新政NO6 クリスマスヴァージョン」というワインのようなエチケット(日本酒は単にラベルか)が楽しい1杯。クリスマスは季節はずれだけれど、美味しいタケノコをいただき、アゲアゲ気分で春を寿ぐにはぴったりの酒。塩味が効いたアンチョビソースだけでも酒が何杯かいけそうな組み合わせ。至福の味。

Ben11Ben12味しい〜っ!」妻が気絶しそうな声をあげる。それまでは料理と酒の組合せの妙を堪能し、締めは料理のみをじっくり味わう。シラスご飯と赤だしに続いて、デザートはブランマンジェとアズキ…かと思えば黒砂糖で煮たというレンズ豆。「甘いレンズ豆って初めて!」妻が組合せの斬新さに目を輝かせる。煮崩れないレンズ豆の歯触りが楽しい。料理と酒のマリアージュだけではなく、食材の幸福な出会いもあるのだ。食材の味を最大限に引き出す料理の多い「弁いち」の面目躍如。最後の一杯、最後の晩餐は、この店の、このカウンタ席で?「ん、それも良いかもね」妻が満足そうに頷いた。

人生最後の1杯♬「どこで、何を、誰と」

Endo1Endo10藤だったら、彼らを誘おうよ!」久しぶりに馴染みのワインバーに誰かを誘って行こうかと妻に尋ねると、迷わずスカッシュ仲間の酒豪夫妻の名前を挙げた。神泉にある「遠藤利三郎商店」は、ワイン好きだったら一度は訪ねて欲しいオススメの店。彼らならきっと喜んでもらえるだろう。「行きまーす!食べまーす!飲みまーす!」と返信があり、店で待ち合わせ。少し遅れて店に入ると、先に到着していた2人がちょうどワイングラスを手に持ったところだった。「IGAさんも最初はスパークリングで良いですか?ボトルにしちゃいました」うはは。彼ららしい。さっそく彼らが選んだNZホークスベイのスパークリングワインで乾杯。きりりと冷えてきめ細かな泡が旨い。

Endo2Endo4インを注いでくれる顔なじみのスタッフに、彼らは今までお連れした友人たちの中でダントツの飲んべだなんだと囁くと、「うわぁ〜、そうなんですか。それは嬉しいなぁ♡」と返される。いつもスタッフの彼女任せでワインを飲む私。「IGAさん、今日は何杯ですか」と聞かれ、3杯と答えると「分かりました」と、その日飲むべきワインを選んでもらえる。ところが、その日は一緒に語る客がいた。次の料理に合わせ、全体のバランスと予算を考え、次の1本を選ぶ表情が楽しそう。2人が選んだのは、やはりNZネルソンのソービニョンブラン。友人(妻)はニュージランド産(帰国子女)なんだと伝えると「あぁ、そうなんですか。それでこのチョイスですね」とスタッフが頷く。

Endo5Endo6のパスタは桜エビとウドですから…」3本目のワインのチョイスが始まった。赤ワインを余り飲まない私に気遣って、白を中心に選んでいる模様。決まったのはローヌのマルサンヌという珍しい品種。ふんふん、桜エビたっぷりの香り高いリングイネにぴったり。そしてメインのもち豚のコンフィ用に4本目をチョイス。宣言通り、気持ち良く飲んで、気持ちよく食べる2人。お気楽夫婦だけでは、ワインも料理も(他に2品いただいた)こんなに幅広いメニュを選べない。嬉しい夜だ。やって来たのはNZセントラル・タオゴのドライ・リースリング。ドライタイプなだけにクリアで果実味があり、豚の脂に良く合う。んまいぞ。選んでもらうワインが料理に合う嬉しさも一緒に味わう。

Endo7Endo8は◯◯が良いですね」「私は◯△かなぁ」2人に人生最後の1杯は何を飲むかと尋ねると、熱く語り始める。その知識と飲んだワインの本数は見事だ。オランダに駐在していた間は、1日1本以上は必ず飲んだらしい。「この店にあるボルドーは向こうにいた時に全部飲みました」そりゃ凄い!実は、質問をした私は彼らが何を語っているかは全く解らない。私は店のスタッフにワインの好みを告げ、何度かやり取りしている間に“お任せ”で身を委ねてしまう。だから人生最後の1杯は自分で決められない。「今夜最後に一杯だけ飲ませてってお願いしたんで」いつの間にかフィーヌ・ド・ブルゴーニュという熟成の1杯が。おぉ〜っ!ワイン?ブランデー?こりゃあ、確かに幸福に旨い。

生最後の一杯は…。改めて自問してみる。最後の晩餐、何を食べたいかをグルマン(食いしん坊)なお気楽夫婦は何度も語ってきた。妻はショコラティエ・ミキのボンボンショコラ(すでに晩餐ではない)だと言い、私は穴子の白焼きだったり、鮎の塩焼きだったり。何を飲みたいかは、その日初めて考えた。そうか!分かった。何を飲みたいかという問いに、私には答えはない。何を飲みたいかではなく、彼らのような気の置けない友人たちと一緒に、もちろん妻も一緒に、お気に入りの店でワイワイと食べ、オススメされるままに、美味しいお酒を愉しく飲みたい。それが答えだ。そんなことに今更気づく、春の宵だった。

親父の背中「BAR LAPITA 閉店」

Lapita1染みのバーが閉店するという便りが届いた。2010年夏に開店し、5年余り営業してきた店のささやかな歴史の幕を閉じるという。店の名前は「LAPITA」。長弟が長年務めた市役所の早期退職制度に応じ、独立して開店した店だった。さっそく妻に伝えると、「だったら閉店前に店に行かなきゃね」と即断。相変わらず男前の妻。春に忙しい彼女の最繁忙期なのに、スケジュールを調整し、あっという間に旅の手配を済ませた。6年前の春、開店準備中だった弟が上京した際、参考になる店を案内して欲しいという要望に応え、1日で6軒の店をハシゴした。自由が丘と恵比寿のスポーツバー、立ち飲みバル、先輩が経営するオーセンティックなバー、明大前のスポーツバー、そしてお気楽夫婦の住むマンションの1階にあるベルギービールのバー。深夜、やはり繁忙期だった妻がその店で合流した。そんな懐かしい記憶が蘇る。

Lapita2の名前は小学館の雑誌「ラピタ」に因んだとのことだった。雑誌ラピタのコンセプトは、オトナの少年誌。彼の店の佇まいも、その名の通りだった。店の奥には客が持ち込んだドラムセットやギターが置いてある。貸切営業の際に、客が楽器を持ち込んで演奏することも多かったらしい。壁面には大きなモニター。ヨーロッパサッカーの中継、懐かしい映画、好きなアーティストのライブ映像などを、時に客のリクエストに応え、時に(多くは)マスターの趣味で流していた。壁を飾るアルバムジャケットは、キングクリムゾンの「ポセイドンのめざめ」、ジョン・レノン「ダブル・ファンタジー」、ブルース・スプリングスティーン「ネブラスカ」、森田童子「グッドバイ」など、マスターの音楽嗜好を色濃く反映していた。マニアックではあるけれど、偏狭なのではなく、節操がないだけ。決して嫌いではないし、寧ろ好きなチョイス。

Lapita4のつまみは出前が基本。近所の焼鳥屋、寿司屋、ピッツェリアから料理を届けてもらい、時にマスターが自ら調理した。締めのカレーだったり、ビーフシチューとバゲット、地元料理の孟宗汁、玉こんにゃくのおでんなど、限定的なメニューながら好評だったようだ。妻が好きだったのはおつまみのビュフェ。駄菓子屋風に並んだ柿ピーやポテチ、小袋のおつまみを自由に選んで菓子鉢に入れるというスタイル。自宅で寛ぐように、ぽりぽりと柿ピーを齧っていた。壁一面のラックには’80〜’90年代中心のCD、雑誌のバックナンバー、マンガの単行本などがたっぷり並んでいた。まったりとした空気が流れる店内は、友人の(マスターの)自宅に招かれて飲んでいるようなリラックスした気分になった。だからこそ、客を選んでしまったのかもしれない。友人知人でなければ店に入り辛く、和めなかったのかもしれない。残念。

Lapita5杯!お疲れ様でした!店をやっている間はほとんど自宅にいなかった長弟よりも、苦労があったであろう義妹に労いのことばを掛ける。深夜、閉店後に店のソファで仮眠し、出勤する義妹と入れ違いに帰宅するという生活は、どちらもたいへんだったと思う。3人の子供たちを育て、それぞれが成人する直前の5年余り、長弟の家族の時間が終わろうとする時期にこの店はあった。妻と一緒に入院した父親を病院に見舞う度に立ち寄った。お気楽夫婦にとっては、長弟家族が住む家よりも、この店こそが故郷の拠点だった。居心地の良い空間だった。「飲んでみて」最後の一杯に何か選んでくれとオーダーをすると、ジョニーウォーカーの免税店向けの限定商品が供された。久しぶりのブレンデッド・ウィスキー。何だかとてもしみじみと、美味しいけれど淋しい味がした。最後まで良い意味で素人っぽさが僅かに残った店だった。

店後のマスターは、地元の公民館の主事を専任で勤めるのだという。独立後の再就職先は、奇しくも亡き父が晩年携わっていた仕事だ。地元のコミュニティ作りを親子二代でやるのも良いかなと呟く長弟。父は長年勤めた公務員の仕事を辞め、亡き母と一緒にインテリア店を始め、そして地元で公民館主事、自治会長などを長く務めた。長弟の辿ってきた道は、父のそれと良く似ている。父の最晩年にはその活動が認められ、自治会として緑綬褒章を受けた。遠く離れて暮らしていた長兄(私)と違い、同居していたからこそ、互いに認めながらも反発し合っていた父と長弟。けれども結果的に、地元に残って父母と一緒に暮らした長弟は、そんな親父の背中を追っていたのだろうか。頼もしくもあり、些かの不安もある。再スタートすることになった、これからの長弟の行く末に幸あれと願うばかりだ。

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SINCE 1.May 2005