さよなら!「コータコート」
2006年 3 月19日(日)
1998年5月、お気楽夫婦は無謀にもそのコートに立った。スカッシュを始めて数ヶ月。それまで続けていたラケットボールというベースはあるものの、ルールも良く分からない。それなのに、「コータコートカップ」という大会に参戦してしまった。・・・結果は2人とも初戦敗退。ふぅ。しかし、その敗戦がスカッシュにハマるきっかけのひとつになった。負けた悔しさもあり、参加できる大会には可能な限り参加した。3週連続で出場し、いずれもベスト8以上に残り、おまけに腰を痛めたこともあった。海外旅行に出かける時は、スカッシュコートがあるホテルを探した。そして、ラケットやシューズを持参して飛行機に乗り込んだ。スカッシュのサイトで知り合った友人たちと、香港まで試合を観に行った。そして毎週日曜日のレッスンが最優先・・・。
そんなふうにスカッシュが2人の生活の核のひとつになった。そのスタートが、この「コータコート」だった。コート数9面、大会用に周囲全てが透明な壁のセンターコートもある日本有数の規模。“スカッシュの聖地”だった。・・・過去形で書くのは、残念ながら2006年3月で閉鎖されてしまうから。(テニスで言えば有明テニスの森、野球で言えば甲子園球場が閉鎖されるぐらいの影響)この大規模なコート閉鎖だけではなく、各地でコートが減っている。冷たく言ってしまえば、ビジネスである以上、適正なマーケットに適正な施設数、ということも言える。使用する人が少なければ減り、多ければ増える。魅力あるスポーツであれば人気が出る。当然の淘汰。
ただし、自分に関わることになると建前は吹っ飛ぶ。お気楽夫婦が愛する、このスカッシュというスポーツは残って欲しい。絶滅危惧種になる前に、自分たちに何ができるのか。・・・取りあえずコータコートを会場とする最後の大会に妻が参加した。結果は、初戦敗退。彼女に勝った相手が優勝。消化不良の最後の試合。ふぅ。
しかし、その日、素晴らしい試合を観戦できた。一般男子準々決勝「福井VS清水」。若手有望選手同士の息詰まるラリー。勝利した福井の、戦略的な試合運び、類まれなフィットネス・・・涙が出そうになる程、素晴らしい試合だった。こんな試合が国内で実現できるスポーツなら、チャンスはある。より多くの人にこのスポーツを知ってもらえるように、好きになってもらえるように、スカッシュの後のビールの旨さを体験してもらえるように、・・・って、おいおいっ!途中まで良い話だったのに、結局“お酒”かいっ!