最後のサギサワ「ビューティフル・ネーム」
2007年 5 月27日(日)
文庫本の表紙をめくると、筆者の近影と略歴が載っている。1968年、東京生まれ。上智大学外国語学部ロシア語科除籍。幅広い読者の支持を受ける現代文学の気鋭作家。2004年4月、死去。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう3年も経つんだなぁと思いながら、ページをめくる。これ以上<サギサワ メグム>という作家の新しい作品は生まれてこないんだ。これが最後の作品なんだ、大事に読まなきゃ。
“遺作”と呼ぶには、余りにも生命の輝きに満ち溢れた作品だ。途中で何度か呼吸を整えながら溜息を付く。涙腺の元栓を閉める。なぜ、なぜこんな才能が世の中から消えてしまったのか。「ビューティフル・ネーム」のタイトルどおりに“名前”に拘った短編が3つ。それも最後の1編は未完。“名前”を巡る、日本という国と、そこに暮らす“日本人”、日本国籍を持たない異邦人たる“在日”の物語。こんな書き方をしてしまうと、重苦しいテーマのように感じるかもしれないが、そこはサギサワ。明るく、軽やかに、だからこそ的確に問題の核を突き、日常の暮らしの中で起こる“矛盾”や“差別”や“無意識”をはっきり意識させる。それに、なんと言っても登場人物たちが、カッコイイのだ。
歴史を知らず、教えられず、知ろうとせずに育った日本人の若者や、正しい情報や知識を与えられずに偏見を持ってしまった日本人の大人たち。そんな大多数に対し「ね、ちょっとこういうのカッコ悪いでしょ」と、日本人の立脚する日本という国に対する幻想や“日本人”の定義に対し、アンチテーゼを突きつける。サギサワは、父方の祖母が韓国人であることを知ったと自ら宣言し、それ以降作風が変化した。傷付き易い危うく繊細な側面が彼女の作品の魅力でもあったが、自分の立脚点を発見し、見つめ直し、良い意味で開き直った後の彼女の作品も大好きだった。「ケナリも花、サクラも花」という韓国留学生活を描いたエッセイ集が、直接的な韓国との出会い、ぶつかり合いだとしたら、この「ビューティフル・ネーム」は、それらが彼女の中で消化され、昇華された物語。
作品という形でしか接点のない読者として、彼女の悩みや迷いや葛藤は知る由もない。しかし、惜しい。余りにも惜しい。せっかくこんな作品を生み出す才能があるのに、それを自ら絶ってしまうなんて。「君はこの国を好きか」などという物騒にも聞こえるタイトルの作品の解説で、映画監督の崔洋一がこう書いている。「鷺沢萠はことばとしての「ハングルに感電した」女(ひと)である」そう、彼女は新たに自分を発見し、ことばや名前についてそれまで以上に敏感になり、新たな作品を生んだのだ。そんなサギサワの感電に、二重遭難的に感電した読者である私は、国境や文化の壁を飛び越えて、彼女の作品を味わいたい。さぁ、韓国料理でも食べに行くか!・・・オチではなく、テレで締めるしかないな。
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