映像と文字の世界「しゃべれどもしゃべれども」
2007年 7 月01日(日)
この本を読んでいる間ずっと、国分太一くんの顔と声が纏わり付いた。彼が嫌いな訳ではなく、私にとってはむしろ好印象。けれど、文字を読んで自分のイメージを広げるタイプの私としては、太一くんのビジュアルが目の前に始終出て来られると、ちょっと困る。とは言っても映画をきちんと観たわけでもなく、TVで予告編を観ただけ。なのに映像のインパクトは強く、自分の創ろうとしている映像が、どうしても太一くんに勝てない。ジャニーズのキャラは強い。その上、表紙のイラストがますます固定されたイメージを私に植えつける。困った。
それでも、佐藤多佳子『しゃべれどもしゃべれども』を一気に読んだ。実は、彼女の2007年本屋大賞を受賞した『一瞬の風になれ』が気になっている。だが、<特定作家以外のハードカバー禁止条例>が施行されている我が家では、まだ未読の作者である彼女の本は(まして3部作など)到底買えない。そこで文庫本化された彼女の著書の中から選び、読み始めた一冊だった。映画化され公開されるということで本屋に平積みされていたのが目に付き、手にとってみた。当たり♪面白い。軽やかな文体、というよりは主人公の噺家<今昔亭三つ葉>の語り口が実に良い。こぃつぁおもしれぇ。これがまた、私の頭の中では太一くんの声になってしまうのだが。これはもう仕方ないと諦めた。
後はいっそ映画を観に行き、文字と映像の違いを愉しむという反撃に出る作戦もある。この作品は妻も読んで面白かったらしく、映画に行こうかと誘うと「良いよ」との返事。日本映画にほとんど興味を持たない彼女にしては珍しい。そう言えば『博士の愛した数式』『夜のピクニック』など、本屋大賞の作品はいずれも映画化されているが、いずれも誘うと「んん、観なくても良いかなぁ」という反応だった。その違いは“笑い”というか“エンタメ”度の有無。淡々とした映像を愉しむというか味わうことができない妻。「だってわざわざ観に行くのに楽しくなきゃ♪」という姿勢は映画でも貫かれる。それは“快楽主義”そのもの。私を操り、文字を書かせ、実際的にこのサイトを主宰するのは実は彼女なのかもしれない。
それにしても最近自分たちが読んだ本が映像化されることが多い。桐野夏生の『玉蘭』もその一冊。常盤貴子主演でテレビ朝日がドラマ化。そして浅田次郎原作の『憑神』は妻夫木聡主演で映画化され、中村橋之助主演で舞台にもなる。G2が演出する新橋演舞場での公演チケットが取れなかった妻は、「じゃあ映画で我慢するかぁ」とのたまう。彼女の中では、エンタメ度≧芸術性という優先度と、ライブ(舞台)>映像(劇場での映画)>TV(録画再生可能)という数式が明確。これも文字通り消えてしまうお気楽夫婦の“消費”動向に大きく影響している。むむっ?もしかしたら、このサイトだけではなく、二人の生活を主宰するのは・・・。