赤と青の風景「故郷の秋」
2007年 10 月08日(月)
初秋の週末に故郷の母を訪ねた。母が逝ってひと月余り。仏教の教えでは、初七日から七日ごとに裁きを受け、来世の行先が決まるという四十九日の法要。普段は特定の宗教も神も持たない私だが、空港に着陸しようとする飛行機の窓から秋の実り色に溢れた、パッチワークのような故郷の風景を眺めたとき、まだ母は“ここ”にいるんだと実感した。亡き母の成仏を願い、極楽浄土に行けるように営む四十九日法要をもって、忌中が明ける。墓所も、仏壇もなかった実家の父や弟たちにとって、全く初めてのことだらけの日々。離れて暮らす私は何も助けにはならなかったけれど、せめて母と、家族と共に過ごしたい。そんな思いで向かった故郷の空に、ふんわりと母の気配が漂った。
法要を済ませ菩提寺に向かう。彼岸花の真っ赤な一叢が晴れた空に眩しい。秋の彼岸の頃に咲く印象的な花、その名前は言いえて妙。墓所に燃えるような赤い花が良く似合う。別名、曼珠沙華。日本ではそれ以外にも異名が多く、死人花とも地獄花とも呼ぶ地域がある一方、天上に咲く花とも言われるらしい。韓国では「相思華」と呼ぶと言う。花が咲く頃に葉がなく、葉が出る頃には花がないという独特の生長をすることから、花が葉を思い、葉が花を思うという意味だという。花言葉の「また会う日を楽しみに」というのも興味深い。母が亡くなっても元気にふるまう父に教えてあげようか。
忌明けの会食に、家族揃って海辺の温泉宿に向かった。父を慰労するための弟の企画。感謝。宿の目の前は海。前日の雨の名残か、海は時化ている。わずかに染まった穏やかな空の下に、荒々しい波が打ち寄せている。沖合いでは小さな漁船が木の葉のように荒波に揉まれている。妻と二人、貸切風呂からのんびりと海を眺める。寄せて返す波はひとつとして同じものはなく、眺めて飽きることがない。風の音、陽の光、空の色、それらの全てに神の存在を感じてしまう風景。心穏やかになる時間を過ごす。
翌日、母の好きだった山のひとつ、鳥海山に向かいドライブ。妻はもちろん、私も、同行した姪、甥たちも初めて訪れるコース。青い空の下、美しい稜線を稲刈りが始まった広大な平野に拡げる山姿に清々しい気持になる。そして山の中腹まで一気に登るドライブウェーの展望台から眺める“青の風景”に心が震える。海岸線まで伸びた稜線の緑が蒼く拡がり、その先に横たわる日本海の青と溶け合い、空の色と水平線で一体となる。そしてその全てを繋ぐ透明な大気までが青味がかった釉となる。なぜか自然と笑みが零れてしまう。この美しい風景に胸を張りたくなる。“鳥海ブルーライン”というドライブウェーの命名に納得。母が若かった頃、この山に登り眺めたであろう風景と出会えた。「きれいだねぇ」口数の少ない妻のひとことに、今回は同意。それ以外、ことばもなし。
てらまち・ねっと
◆赤、白、黄の3色の花。 ヒガンバナ/彼岸花/マンジュシャゲ/曼珠沙華。岐阜市民公園(畜産センター)
26日午後、岐阜市の市民公園(畜産センター)の道路端の彼岸花を見に行きました。 まだ咲き始めで蕾もしっかり。
だから、色も鮮やかで、鑑賞するには一番いいタイミングの花でした。
赤と白と黄色の3色。今は盛りでしょうね。
(写真をクリックすると拡大。写真右下あたりのクリックでさらに拡大)(9月26日午後1時半頃。植物園の南の水路あたり)
岐阜市民公園 地図
花の写真のあとには、ヒガンバナ/彼岸花/マンジュシャゲ/曼珠沙華の4語について、 Google で検索した件数の比較をしてみ…