人生で一番の朝ごはん『めがね』
2008年 2 月23日(土)
『めがね』…そのすっとぼけたタイトルの作品を観終わった後ずっと、柔らかく温かい何かが身体の中に満ちていた。妻と一緒に夜の街をごきげん気分で歩きながら、「なんか、お腹が空いちゃったね。美味しいものを食べたいねぇ♪」うん、キリッと冷えたビールも♪と微笑み合った。のんびりした、この映画のことばで言う“たそがれた”時間が、スクリーンの中にずっと流れていた。その時間の速さ(遅さ)に馴染めない人はイライラしてしまい、途中で映画館を出てしまうかもしれない。(実際にお気楽夫婦の観た回でも2人いた)極端にセリフが少なく、大きな事件も起こらず、浮世離れした登場人物たちが“ひねもすのたりのたりと”過ごす、どこでもない、どこかの南の島の物語。
この映画、観ていてお腹が空くのには訳がある。作品中のごはん(食事って意味です)が、どれも実に美味しそうなのだ。ある日はふっくらご飯と焼き鮭(南の島なのに!)に味噌汁の、またある日はカリカリの厚切りトーストとオムレツとサラダの、とても元気になりそうな朝ごはん。大事な人(たぶんハルさん)が来てくれたので皆で一緒に食べるという設定の二段のお重に丁寧に詰められたチラシ寿司と、ジューシーな鶏のカラアゲは『家庭画報』のグラビアに出てきそうな美しさ。旨そうっ!ご近所さんからいただいたというデカイ伊勢海老を手づかみで皆が一斉にかぶりつくシーンでは、思わず唾を飲み込んだ。半屋外のオープンなダイニングにどんと置いてある大きなテーブルを囲んで、明るく清潔そうな空気の中で皆一緒に食べる食事。どのシーンも、どの料理も輪郭がくっきりとして、味が伝わってくる。そして、冷えたビールを美味しそうに飲むのだ、これが。(黒ラベルばっかり飲んでいたが、実はサッポロがスポンサーだった)
物語は青空の中を小さな旅客機が飛んでいるシーンから始まる。ユージ(光石研)が海辺で、ハルナ(市川実日子)が校庭で、空を見上げて「来た!」と小さく呟く。2人の、後に3人の大事な人、ハルさん(もたいまさこ)が、とある(南の島の)空港に降り立つ。…そんな冒頭シーンから、もたいまさこの存在感に集中してしまったら、とても危険。その後に登場するタエコ(小林聡美)やヨモギ(加瀬亮)というオトボケ感満載の芸達者たちをも圧倒する緩ぅ~く、薄ぅ~い、生活感の欠片も感じさせないキャラなのに、物語の中に吸い込まれてしまいそうな存在感。ハルさんが浜辺の茶屋で作る“カキ氷”は、ヨモギくんにとっては“人生で一番のカキ氷”で、ユージさんにとっては人生を変えた一杯だったらしい。カキ氷のお代は、マンドリンの演奏だったり、手編みのマフラーだったり。(南の島なのに!)
『かもめ食堂』のキャストとスタッフが再結集し、今度は南の島の物語を撮った。監督は『バーバー吉野』でデビューした荻上直子。なぜか妻のお気に入り。フジテレビ深夜の不思議ドラマ「やっぱり猫が好き」のファンだった妻と、『やっぱり猫が好き2005』の脚本を手掛けた荻上監督の創る世界、どこか惹かれるものがあるのだろう。肩の力が抜けた脱力系、リアルなメルヘン風、うぅ~ん何て表現すれば良いのだろう。「あ、そう言えば、どこでもないどこかの島って書いてあるけど、与論島だよ。エンディングロールに出てたよ」と妻。…そういう意味ではなく。彼女の素顔は意外にもすっとぼ系。