親父の汗、親父の勲章「緑綬褒章」
2008年 11 月24日(月)
ある日、珍しく故郷で暮らす親父からの留守電メッセージが残されていた。「相談したいことがあるから電話が欲しい」との内容。うぅむ。振り込め詐欺に遭う程には耄碌はしていないと思うが、プライドの高い父親が息子に“相談”することとは何だろう。悪い予感がする。同居する弟に何かあったのか。慌てて携帯に電話すると留守電モード。そう言えば、夜が早くなった父親はとっくに寝ている時間だ。改めて翌日電話をすると、「緑綬褒章を貰うことになった。東京は不案内だからいろいろと教えてくれ」とのことだった。ふぅ。良かった。詐欺ではないのね。ところで、緑綬褒章?「国土交通省で受章式典があって、その後皇居に参内するらしい」ふぅ〜ん、皇居に参内ねぇ。・・・えっ?皇居って、天皇のお住まい?天皇に謁見するということ?凄いじゃないか。おめでとう!
「貰えるものは貰っておこうかと思って」照れたように、ことば少なに語るけれど、そのことばに嬉しさが滲み出ている。周囲は大変なんじゃないか?「まだ正式に発表されていないが、祝賀会の手配やらで大変だ」ちっとも大変じゃなさそうに、迷惑そうに(聞こえるように)説明をする父。聞けば、長年自治会長を務める父達が中心になって行って来たボランティア活動が認められ、団体(自治会)として受章するらしい。この春の褒章の際に、杉良太郎が(芸能分野で受章する紫綬褒章ではなく)長年の慰問活動で受章し話題になったのが緑綬褒章。唯一、団体で受章できる褒章でもあるらしい。「文化勲章ほどじゃないが、そのちょっと下ぐらいか」冗談なのか、本気なのか。いずれにしても、父の年代にとっての褒章は特別な意味を持つことだろうし、何より流した汗が認められたということは、誇らしいことだ。
さっそく調査開始。集合は授章式当日の朝10時。前日から宿泊の必要があるだろう。服装は一般的にはモーニングらしい。すると貸衣装か。記念写真も手配する必要があるだろう。だったら全てホテルにお願いするか。「息が詰まるから、そんなに高級なホテルにするなよ」という父の要望もあり、国土交通省にほど近いグランドアーク半蔵門の和室(檜風呂付き)を予約。亡くなった母の代わりに、横浜に住む伯母を誘い、妻と一緒に4人でお祝いの食事をすることにする。父が上京し、一緒に食事をするなどという機会はもう少ないだろう。もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。父にとっても、老いていく自分への花道が準備されたという意識があるらしい。私ができることなら精一杯お手伝いしよう。
前日、東京駅までお迎え。横浜から独りで電車に乗ってやってきた80歳の伯母もピックアップしてホテルに向かう。合流した妻と一緒にチェックイン。明日の会場となる国土交通省と皇居のお堀を臨む良い部屋だ。さっそく祝杯。料理を摘みながら、昔話に花が咲く。父の辿って来た道を想う。そして、自分の辿る道を想う。私はどんな老後を迎えるのだろうか。翌朝、ホテルの衣装室で着替え記念撮影。「受章の報道があってから、いろんな業者が売込に来るんだ。この勲章佩用の金具も、業者のプレゼントだ。まだ何も買っていないのに」そんなエピソードを語る口調も嬉しそう。国土交通省までタクシーに同乗し見送る。「何から何までありがとう。世話になったな」殊勝なことばに少し照れる。良い式になると良いね。警備員の「おめでとうございます♪」の挨拶に迎えられ、庁内に向かう父。次々にモーニング姿や色留袖の晴れがましい人々がタクシーから降りて来る。急に場違いな気持になり地下鉄の駅に急ぐ。私ができることはここまでだ。
夕方、父に電話をする。無事に東京駅まで行けた?「あぁ、もう東京駅だ」ん、口調にちょっと不機嫌さが混じっている。勲章付けて写真撮った?「団体での受章は勲章がないんだそうだ」・・・ふぅん。不機嫌の原因はそれか。勲章を飾る専用の額まで売り込みに来ていたという業者の知識も、国土交通省の事前説明も不足していたということか。まぁ、受章にケチが付いた訳ではない。笑い話にしてしまおう。・・・でも、それができないのが父。まぁ、仕方がない。目に見えぬ勲章を佩用金具に下げて、胸を張って撮影された(であろう)父を想う夕暮れ時だった。