きっとまたいつか?「小田和正@東京ドーム」
2008年 11 月30日(日)
♪たとえ君が目の前にひざまづいてすべてを「忘れてほしい」と涙流しても・・・♬高校時代、若く、真っすぐで、一所懸命な恋をしていた。すきま風の吹き込む体育館、放課後の公園、駅までの通学路。オフコースの「眠れぬ夜」の歌詞が恋の傷に沁み、小田和正の透き通った声とメロディに癒され、痛く、温かい背反する感情が私を包んだ。まだオフコースがメジャーではなく、小田和正と鈴木康博のデュオになり、小さな会場でライブをやっていた頃のエピソード。売れていないのに、気高きアーティストだった。今でも「眠れぬ夜」を聴く度に、その頃の、甘く、苦く、柔らかな情景が浮かんで来る。そして、今でも季節の替わり目などに、「僕の贈りもの」の歌詞がふと浮かび、(お風呂などで)思わず口ずさんだりもする。オフコースは、私にとってそんな存在だった。
そして、1989年2月に解散するまで、数々のヒットと大勢のファンを得た頃には、ちょっとオフコースとの距離が開いてしまっていた。当時、テニス仲間の可愛い女の子(当時)にオフコースの解散コンサートに誘われた。当然一緒に行こうと約束し、チケットも予約してもらったのに、直前に私の都合で(どんな理由かも忘れてしまったけれど)行くことができなかった。その後、小田和正がソロで活躍し、ヒット曲を連発し、メジャーになり、ポップスターになるにつけ、小田和正の曲も、声も相変わらず好きなのに、どんどん私との距離は離れて行った。(デビューした頃の村上春樹作品が好きで、「ノルウェーの森」辺りから少し距離感を持ってしまった気持と少し似ている)それでも、オフコースや小田和正のベスト版を買うぐらいのファンではあった。
2008年初冬のある日、そんな私が妻と一緒に東京ドームにいた。妻の方針に従った結果であり、もちろん、初「生」小田和正。初恋の人と無理やり会わせられるような微妙な気分。席は2階席。ステージはほとんど観えないだろうと席に向かうと、目の前には観たこともないステージレイアウトが。アリーナの中心にセンターステージ、その周囲に4つのサブステージ、それらを繋ぐ長い通路。そしてメインのステージの裏にも客席がある。そして、各所にスクリーン。アリーナの客席はメインステージを向かず、センターステージ向きにセッティングしてある。(調べてみると、小田和正のツアーでは恒例で、それぞれ「花道」「オン・ステージ・シート」などと呼ばれているらしい)いわゆる見切り席が出にくいレイアウト。凄い。6時30分という早い時間の開演にも関わらず、どんどん席が埋まって行く。年齢層は幅広く、親子連れの姿も目立つ。空席は全く見当たらない。凄い。
インストルメンタルメドレーで最初に「僕の贈りもの」が流れ、開演。いきなり涙腺が刺激される。やばっ。そして最新シングル「今日もどこかで」で初の生声。凄い。齢61歳とは思えない声の伸びやかさ、相変わらずの澄んだ歌声に鳥肌が立つ。オフコース時代の曲も含め、耳にしたことのあるメロディが続く。スクリーンや電光掲示板に歌詞が表示されるという細やかなサービスに関心している間に、メドレー。「眠れぬ夜」が流れると、私の目からも水分が流れる。妻にバレないように、こっそりと涙を拭う。大きな会場を走り回り(腰を痛めたそうで、ゆっくりと)歌い続ける61歳。凄い。映像で観る小田和正よりも、むしろ若々しいぐらい。そして、何度も何度も「どぉもぉ!」とお辞儀をして、何度も何度もアンコールに応え、終演は10時過ぎ。公演時間3時間30分以上。途中ビデオ放映があったものの、ずっと独りで語り、そして歌い続けた超人的なアーティストだ。考えてみたら、ビリー・ジョエルよりも年上!凄い!
このサービス精神溢れたステージが、この動員を生むのだろう。(熱狂的なファンが宗教的な空気を作っているのかと危惧したけれど、それも全くなかった)そのアーティストとしての姿勢に素直に脱帽し、改めてファンになる。初恋の人と再会し、改めて恋に落ちた気分。妻に感謝。「声は全く年齢とってないねぇ。それに、意外と脱力してたし、良い感じで老けてるんだね」きっと、年齢を重ねて聖性(誤解のないように言えば、近づき難さ)がなくなったのかもしれない。この時期に初めて生で聴いて正解だったのかも。ツアータイトル通り、きっとまたいつか!そう思わせる素晴らしいステージだった。