水のある風景、川のある街「リバーサイドタウン盛岡紀行」
2008年 12 月07日(日)
30歳の誕生日を、出張先のその街で迎えた。厳寒の2月。地元の取引先の女性たちに連れて行ってもらった1軒目で、三陸産の海産物を肴にたらふく美味しい酒を飲み、2軒目のバーではママさん(ただし男性)の歌をたっぷり聴かされた。カウンタだけの小さな店。店の照明を落として、自分にだけ(スポットライトのように)ダウンライトを当てて歌う『リバーサイドホテル』。思わず聞き惚れる歌唱力。負けじと歌ったのは何の歌だったのか。店を出て、酔っぱらいながら川沿いの道を、カチンと寒い街を彷徨った。あぁ、こうして自分は「30歳」というとんでもない年齢になってしまったんだと、しっかりと、それでも半ば夢のように記憶に刻んだ。可能性は無限ではないと気付き始めていた頃の、遠い遠い記憶。
そんな記憶を再現するために(という訳ではないが)、ある秋の週末、妻と共に盛岡に向かった。迎えてくれたのは、その遠い日の案内人の1人だった友人。彼女の出演する東京公演を妻と一緒に観たり、3人で食事をしたりと、細いけれど長い縁が続いていた。「予定通りの店で良いですか」事前に何通かメールのやり取りをしたこともあって、前回会った時からの時間はさほど気にならない。街の小さな居酒屋のカウンタで、鉄板で焼いた絶品の牡蛎、地のキノコの天ぷらなど、地元の味を堪能する。地元の文化事業団に勤務する友人とは、もっぱら芝居談義。改めて共通の知人を発見したり、懐かしい人の消息を聞いたり。酒が進み、酔いも進む。良い酒だ。旨い酒だ。
「良い街だよね」2軒目のバー(ママではなく、お洒落なマスターのいる)を出ると妻が言った。「でも、もう帰るよ。かなり酔っぱらってるでしょ」こんな時は、一滴も飲まない冷静な妻に従うに限る。友人と再会を誓い、夜の街で別れる。
翌朝、友人の勧めもあり、前から訪ねてみたかった「神子田の朝市」に向かう。お目当ては「ひっつみ」。早朝の空気で冷えきった身体を暖め、妻の笑顔を呼ぶ優しい味。冬でも毎日(月曜休)開催されている奇跡的な朝市。決して観光客向けではなく、地元の生産者が地元の住民に向けて農産物などを販売している、この街の貴重な財産。貴重と言えば、盛岡は街のあちこちに古い建物が残され、景観に溶け込んでいる。民家の軒先に飾ってあるオブジェも、古い商店街の歩道を整備した際に設置された宮沢賢治の像も、不来方の街に馴染んでいる。ぶらぶらと建物を眺めながら散策するには実に良い大きさの街だ。中津川沿いの道を歩く。産卵し終えて傷だらけの鮭が懸命に泳いでいるのが見える。冷たい風が心地良い。銀杏の金色を敷き詰めた小径を経て、不来方の城に向かう。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心・・・だったかな。盛岡城址公園に石川啄木の歌碑があるというと、妻が不思議な顔をする。「啄木って函館でカニと戯れてた人じゃなかった?」妻は歴代のアメリカ大統領の名前や、ニール・サイモンの戯曲を知っていても、日本の文学者に興味はない。うん、確かに。函館で蟹とね・・・。歌碑を眺める振りをしつつ、こっそり間違えていなかったかと確認する私。よしっ!正解。次は冷麺だ。元祖平壌冷麺を名乗る「食道園」を訪ねる。ここも友人に勧められた店。文句のない王道の味。きっちり美味しい。食後は宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版したことで知られる光原社の珈琲館でお茶。これまた盛岡観光の王道。北上川沿いにあるこの店の中庭の白壁には宮沢賢治の詩。鳥の声に空を見上げると、北に向かう白鳥の群れ。不思議な時間が流れる空間だ。
「良い街だったね。また来たいって思わせる魅力があるね」水のある風景、川のある街はなぜか心地良い。ボストン、NYC、博多。いずれも妻のお気に入り。そして、古い顔を残しつつ、新しいものを取り込み、街の色として溶け込ませる。そんな街。妻に気に入ってもらえる確信があり、連れてきたかった街。またきっと来ようぜ!『リバーサイドホテル』を歌ったママも健在らしい。怖いもの見たさで次はぜひ!「えぇ〜っ。それはいらない」ま、そうだろうけど。