風邪にご用心『その日のまえに』重松清
2009年 1 月24日(土)
西高東低の気圧配置。冬の空気は乾燥している。そんな時に気をつけるべきは、火事と風邪。年末からの晴天続きですっかり乾燥しきった年始に火事が多かった。ちょっとした不注意からあっという間に火が回る。ある朝、起き出して窓の外を眺めると黒煙が上がっていた。火事のようだ。慌てて妻を起こす。幸いにも火はすぐに消し止められたらしく、高層マンションを包むように立ち昇った恐ろしいほどの煙はあっという間に収まった。やれやれ。先日も近くで大きな火事で亡くなった方が出たばかり。火の元の注意は細心に。外出しようと鍵を閉めた後に「あれ?電気ストーブ消したっけ?」と部屋に戻る妻を温かく見守る日々。
もうひとつ気を付けるべき風邪。今年は風邪を引かないなぁと油断していた頃に喉が痛み出した。私の風邪は喉から来る“銀のベンザ”タイプ。加えて今年の症状は鼻水ずるずる。そんな症状の中、出勤前に病院に行き、処方された薬をもらい、通勤の途中で重松清『その日のまえに』を読み始めた。悪寒。指先が冷たい。けれど手袋をしたままでは上手くページがめくれない。仕方なく手袋を外し、かじかむ手をこすりながらページをめくる。4つの独立した短編、3つに分かれた短編「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」という7つのショートストーリー。それぞれに共通するのは、“その日”。言い換えると、最期の日。それぞれの物語に登場する、幼かった頃の決して仲は良くなかった友人が、かつての教え子が、働き盛りの主人公が、母と息子のふたりの暮らしを守る大黒柱の母が、そして最愛の妻が、“その日”を迎える。
読み始めてすぐに、しまった!と思った。風邪で弱った身体。ヤワになっている気持。そして何より登場する主人公たちが、同じ年代であること。物語に感情移入してしまう環境は充分に整っていた。元々、重松清自身が自分と近い世代ということもあり、彼の描く物語には身につまされるものが多かった。しかし、多くは子供のいじめの問題、親と子の関係など、子供がおらず親の面倒を弟に託す困った長男としては、さっと身をかわすことができるものだった。しかし、今回は不意打ちだった。思ったよりずっと早くやって来てしまった“病”によって“その日”を迎えてしまう登場人物たちが、私と同年代なのだ。働き盛りの主人公が告知を受けた日に向かう小学生時代に住んだ街。そこで出会ったかつての友人・・・そんな話まではまだごまかせた。私は風邪を引いているだけなのですという風を装って鼻をかんだ。目もちょっと赤いのは、熱もあるせいで・・・。
ところが、「その日のまえに」の連作を読み始め、偽装は諦めざるを得ない状態になった。止まらないのだ。堪えても、堪えても。これはいかん。良い大人が電車の中で嗚咽を漏らしてしまっては。すぐに読むのを止め、自宅まで封印。そして風邪でぼぉ〜っとした状態で、その日の業務を終え、帰宅。一気に読もうとした。しかし、読んでいる途中で止まらない。涙。もう風邪のせいなのか、涙のせいなのか、訳の分からない鼻水がずるずる。告知を受けた妻、夫婦でその日を迎えるまでの日々。そして、その日。さらにはその後を綴る身近な日々と心情。ティッシュでは追いつかなくなり、洗面所で顔を洗う。ふぅ〜っ。数年来、私自身も“その日”に向かう準備をしていた。母の病と死を経験し、父の老いを実感し、“勤め人”としての終わりを意識した時に、何を優先すべきかを意識し始めた。自分が不慮の事故などで突然“その日”を迎えてしまっても大丈夫かと自問する。よし、これだったら大丈夫と確認する。そのための、いろいろな準備。でも、逆に妻がとは考えもしなかった。だからこそ、そんな私にこの物語は辛かった。
「でも、“その日”が分かった方が幸せかもね」そうだね。残された時間が分かった方ができることは多いかもね。この本、読んでみる?「うぅ〜ん、良いや。乾いてなさそうだし。それに、風邪治ったら印象変わるかもよ」むむ、確かに。あざといとは言わないまでも、“泣かせ”はある。しかし、読後感はすっきりと爽やか。物語には救いがあり、登場人物たちは明るく、前に進もうとする力がある。もし妻が先に逝くようなことがあったら、この物語を読み返してみよう。「大丈夫!ぜったいないから」・・・まぁ、その方が幸せ。