さよならバニー『PLAYBOY』終刊

Playboy誌文化が大きな転換期を迎えている。情報誌も、女性誌も、マンガ誌も、総合誌も、それぞれがたいへんな局面。老舗雑誌の休刊が相次いでいる昨今。主な休刊だけで、『読売ウィークリー』『月刊現代』『ロードショー』『主婦の友』『広告批評』『論座』『GRACE』『Lmagazine』などなど。その背景のひとつとして活字離れが叫ばれるけれど、ネットやケータイも広義の活字文化ではある。同様に日本語の乱れを指摘する声もあるけれど、ことばは時代と共に変わるもの。当然メディアの形態も変わって行く。けれど、この雑誌の終刊(一般的には“休刊”ということが多く、復刊することを示唆するのだけれど、彼らは終刊と明記している)は、大げさに言えばひとつの時代の終わりを感じてしまう。

メリカ文化に対する“憧れ”の時代の終わり。ベトナム戦争が終結した年に創刊された日本版PLAYBOY。アメリカはまだまだ遠い国だった。政治、経済、文化、スポーツ、あらゆる面で圧倒的なリーダーだった。日本ではもちろんヘアー解禁など想像もできない時代、プレイメイト(PLAYBOYにグラビアが掲載される女性たちをそう呼ぶ)たちは、遠い異境の女性にしか見えなかった。アメリカは憧れの国だった。そのアメリカは、日本版創刊から33年経った今、身近な国になった。アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひくと揶揄されるように、(日本からすれば)深い結びつきになった。しかし、アメリカの世界における相対的地位は低下した。そしてオバマ新政権の下、世界のリーダーとしての役割を“もう一度”果たそうともがいている。

Playboy_2るいは、大人の雑誌文化の終わり。PLAYBOYには、硬派と軟派と、性と生と、カルチャーとサブカルチャーと、文学とノンフィクションと、そんな単なる対立項ではない雑誌文化が矛盾なく、実に魅力的に誌面に溢れていた。グラビア、ジャーナリズム、紀行、ロングインタビュー、対談、そしてパーティジョーク。パソコンやインターネットなど想像もできなかった時代、雑誌の情報は隅々まで読み尽くすものだった。(ちょうど『ぴあ』の“はみだしYouとPia”が人気だったりしたように)斬新な誌面レイアウトとデザイン、クオリティの高い写真、タイポグラフィ。切り抜かれた誌面を開くと隠されたビジュアルが現れる、思わずにやっとさせられる仕掛けなど。それらは、動画や音声など雑誌が実現できなかった表現形態を伴にして、サイトの世界に引き継がれた。

久保存版」と記された白い表紙の終刊号。思わず手に取り迷わず購入。30周年記念号の企画以来、久々で最後の購入。そう言えば、日本版創刊からしばらくは、このバニーマークだけが表紙を飾った。白地、黒地、金、ブルーなどの表紙にバニーが誇らしく記されていた。PLAYBOYが休刊することを妻に零すと「あれ?でも、これ最終じゃないみたいよ。“終刊前号”って表紙に書いてあるよ」やられた!確かに、永久保存版の下にも小さく「前編」とある。最後までやられっぱなしだった。そして、もちろん騙された(訳でもないけれど)ことすら嬉しく思いつつ、翌月の「終刊号」も迷わず買った。2冊とも実に読み応えのある内容だった。時代を振り返るアルバムのような、33年間のPLAYBOY文化のダイジェスト版だった。さよなら!PLAYBOY!さよなら!バニー!

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